第二千百五十四話・六角家の苛立ち
Side:六角義賢
次から次へと届く知らせに、苛立ちそうになるのを抑える。
奉公衆? 恥を知らぬのか? 上様が苦しまれておった頃は素知らぬふりをし、権威を取り戻された途端に家職に準ずる立場を求めるとは。
吉岡殿を筆頭にというのは、我らの配慮でもあるのだぞ。三国同盟から筆頭を出せば畿内との対立になりかねぬ。さりとて面目だけで騒ぐ愚か者では困るというので、敗れても武芸大会に挑み続ける吉岡殿ならばと仕官を頼んだと言うのに。
さらに面倒事がある。織田との力の差が誰の目にも分かるようになり、不満が高まっておる。
織田の職人とそれ以外の職人では暮らしぶりが違う。それに面白うないと他の職人や嘆かわしいことに家中の者らが騒いでおるのだ。
織田の職人衆には手を出すなと厳命したとて、端の者がこそこそと嫌味を口にして嫌がらせをする。
余所を羨み騒ぐとは愚か者ばかりではないか……。
おっと、いかんな。この程度で苛立っては父上にお叱りを受ける。苦難と言うならば、今までとて幾度もあったのだ。
そろそろ宴の刻限か。この日は、近江にいる織田と北畠の者らを招いて宴をしておるのだ。
「尾張が畿内を厄介だと考えるのがよう分かるの」
少し酒が入ると、蒲生下野守がそんなことを漏らした。以前には畿内への配慮が足りぬのではと言うておった者もそれなりにおるが、己が身に降りかかると意見が変わった。近頃では尾張は甘いのではと言われる始末だ。
配慮をしたとて感謝されず、さらなる配慮を求められるだけ。
もう畿内など捨て置いてよいのでは? そんな献策も上がってくるようになった。
評判が悪いのは畿内だけではないのだ。実のところ奉行衆の評判も余り良くはない。五山の僧や公家衆など公儀に仕える者らは尾張を恐れて大人しいが、六角家中を軽んじる時がある。
家柄、血筋、権威。かの者らの大事とするものから考えると当然かもしれぬがな。皆も理解はするが面白うないのだ。我らは上様にお仕えすることは承知したが、奉行衆や五山の僧に仕えておるわけではない。
幾人かが下野守に同調するように声を上げると、曙殿が飲んでいた盃を置いて不満げな者らに顔を向けた。
「それはそうね。畿内にこれ以上関わっても利より損が増えるだけだもの。畿内より西を捨てるなら、関わらないほうがいいわ」
曙殿の言葉に静まり返った。一言で黙らせるとはこのことだな。皆も分かってはおることだ。ただ、口に出して言えるのは僅かしかおらぬ。わしでも言えぬな。管領代という役職を上様より任される身としては。
「南北朝のようになると?」
「あれは朝廷内の争いが理由のはず。今、畿内を突き放すと朝廷から独立することになってしまうわ。困るのはお味方の三好家と京の都が近い六角家よ」
相も変わらず、曙殿は言いたいことをはっきりと言う。その言葉に皆が絶句しておるわ。武衛殿も弾正殿も内匠頭殿も北畠卿も、朝廷を打倒して新たな王となろうなどと思うておらぬ。上様など将軍職すら退くおつもりだ。当然、わしもな。
追い詰め過ぎては誰かが王にならねばならぬが……、望む者がおらぬ。
「まあ、心情は理解するわ。私たちも好き好んでここにいるわけじゃない。殿のお側を離れ、近江にてあちこちに気遣い、頭を下げられながらも下げないといけない。はっきり言うと楽しくないもの」
「わしの未熟さ故にだな。済まぬことをしておる」
曙殿の本音に誰も異を唱えることが出来ぬ様子故、わずかに下がると、わしが軽く頭を下げる。
「管領代殿を責めているわけじゃないわ。何事もままならないというだけよ。管領代殿でなくば、少なくとも私たちは近江に来なかったわ」
ままならぬ。まさにその通りであろうな。わしとて口には出せぬが、今の上様ならばとお支えしておるが、かつて、まだ父上が生きておった頃の上様ならば捨て置いたかもしれぬ。
「皆様も有象無象の者たちは気になさらなくて構わないわ。我らの進む道の先を見失わないでいただきたい。六角家は今が一番難しい時よ。この場にいる皆様が変われば、あとは流れに乗れる」
その言葉に家中の者らの顔つきが変わるのが分かる。そういえば誰かが言うていたな。久遠は世を導く者なのだと。
神宮すら内匠頭殿は見限った。我らとて他人ごとではない。今少し気を引き締めて事に当たらねばならぬな。
Side:久遠一馬
オレは今、屋形船にて木曽川を遡上している。目的地は美濃だ。少し余裕が出来たので、木曽川の水運と美濃の視察をすることにしたんだ。
今回は、信長さん、義信君、義龍さんと一緒だ。相変わらず船上は穏やかで心地よい日和もあって眠気を誘うなぁ。
「疲れておるのか?」
「いえ、そういうわけでは。心地よくて眠気があるだけですよ」
義信君に心配されてしまったが、信長さんは理解しているみたいで少し笑っている。そういえば、初めて美濃に行った時も同じように眠気に誘われていたなぁ。
ちなみに今日はエル、セレス、ライラ、ラクーア、セルフィーユが同行している。エルとセレスはオレの補佐と護衛だけど、ライラは木曾川の治水と水運に関する技術面での視察で、ラクーアとセルフィーユは医療と食糧事情の視察を兼ねている。
「川船が増えたな。街道を整えたとて船に勝ることはないか」
すれ違う川船の多さに信長さんが少し考え込む仕草をした。陸上の街道整備、お金かけているからね。その費用対効果が気になるのかもしれない。
陸上での輸送が川船の輸送に勝るのは、自動車が普及するまで無理だろう。ただ、だからといって川船の輸送があればいいというわけでもない。やはり陸路はきちんと整備する必要がある。
治水もだいぶ進んでいる。堤防を築き、遊水池を設け、氾濫多発地帯は流れを部分的に変えるなど。
尾張や美濃だと自分たちの国が変わることを領民も喜んでくれる。
ただ、やはり急激な発展に河川の輸送が大変なのは少し見ていても分かるんだよなぁ。
近江御所造営の前には、美濃から近江を川で繋げられないかなんて提案もあったけど、それをやるなら尾張と美濃の河川整備が先だっていうのが尾張と美濃の本音になる。
あと清洲を離れてしばらくすると、川に橋がないところも珍しくなくなる。こうなると馬車や大八車が使えないんだよね。
もっとも馬車と大八車は、坂道に弱く、勾配があると途端に走りにくくなるから、使う場合は現在の街道以外に勾配のあまりない街道を造らないといけなくなるが。
まあ、いろいろと幅広く検討するために視察をしていこう。実際に現地に足を運ぶと気付くことも多いしね。














