第二千百五十一話・流れの趣く先は
Side:久遠一馬
三月も半ば、太陽暦なら五月に入るというのに、例年と比べて寒い日がある。
尾張・美濃・三河・伊勢などの織田領で栽培している南蛮米や裏作の麦は冷害にも強い品種なので影響はないが、他国は場所によっては冷害の影響が出てくるだろう。
これだけで飢饉になるとはまだ言えないが、シルバーンの長期予報では冷害になるとある。ほんとどうなるんだろうか。
ただ、こうなってみると甲斐、信濃、駿河、遠江の早期臣従は良かったのかもしれない。飢えたタイミングで臣従なんてされても困る。
さて、この日は近衛さんや二条さんたちから文が届いたので、エルたちとナザニンとルフィーナと一緒に確認しているんだけど、ナザニンの表情が少し渋い。
「影響が出てきたのでしょうね。京の都へ集まる人と荷が減ると税も減る。今のところ困ってはいないようだけど……。」
近衛さんからの文には、近頃、京の都に集まる商人や諸国の人が減っていると嘆くように書かれているんだ。
今も日本一の人口がある町なんだけどなぁ。ただ、京の都に行っても氏素性が確かでないとまともな仕事なんてないし、近頃は戦とか争いもないから足軽としての仕事もない。
生きるために流浪をしている人たちは近江や尾張を目指す。とうとう京の都に集まる人の中にも、そういう人が出始めている。
京の都の公家や寺社は購買力があるので、まだ諸国の商人は京の都に集まっているけど。それでも昔と比べると集まる人と荷は減ったのは確かだろう。
あと近衛さんたちは気にしていないだろうけど、人口が多い分、物乞いや貧民が多いこともある。言い方が乱暴かもしれないけど、まだ流れ者は労働力になるので集まってもいいけど、生きる気力を失った人たちばかり残ると京の都で困ることになるだろうね。
京の都の文化と伝統は日ノ本の財産なんだけどなぁ。文化伝統ではお腹が膨れないし、それだけだと生きていくことすら難しい。
「畏れ多いことでございますが、殿が京の都をいかに栄える町にしたとて、それは殿の功となり古から京の都におる者らは末代まで恨みましょう」
オレの顔色から言いたいことを察した望月さんが、はっきりと自分の意見を言ってくれた。ほんと、その通りなんだよなぁ。
それに内裏の修繕と仙洞御所の造営はしたし、今は図書寮の再建をしている。このあとには室町第の修繕もあるんだ。やれることはやるべく動いているんだけどなぁ。
関所の多さからくる物価の高騰。さらに京の都でなくば買えない品もあまりない。そのあたりに手を付けないと、なにをしても無駄なんだよね。
「そう考えると、石山は上手くやりましたな。恐ろしいほど」
望月さんの言葉にうなずいた資清さんは、畿内で一番厄介なところの名を上げた。
畿内にある多くの町は堺と石山以外は史実とあまり変わらず、そこまで違いはない。史実と大きく違うのは、衰退している堺と栄えている石山だ。
特に石山は願証寺が早くからこちらと協調したことで大きなアドバンテージを得ており、今も尾張との商いは盛況だ。あそこは悪銭鐚銭での取引とかせこいこともしないので減らす理由もないし。
正直、味方だからこそ厄介というべきか。時代的に一向衆が多いこともあって力を付けすぎていると思えるほどだ。
「もう少し危機感が高まらないと誰も動かないだろう。人とはそんなものだ」
「そうね。ルフィーナの言う通りだと思うわ」
オレは少し悩むが、ルフィーナが事実をそのまま告げるように語るとエルも同意した。近衛さんが文に書いているうちはまだ余裕だろうね。本当に困ったら動くはずだ。
関東で飢饉が起きて争いが起こった場合、畿内が好機だと勘違いして動けば日ノ本を巻き込む大乱となる。近衛さんと二条さんたちが抑えるとは思うけど。
エルたちは念のため、東西の二正面作戦も検討しているんだよね。
近江御所の支城を急いだほうがいいかもしれないなぁ。少し確認しておくか。
Side:朽木輝孝
夜月殿に同行を頼まれた者らが戻ったが、警護衆が騒いだ話を聞き背筋が冷たくなる気がした。
「押せば引くと思うたのか?」
「上様のお耳に入れぬわけにいかぬな」
功を焦ったのか、はたまた愚かなのか。分からぬが、上様が留守の間に騒ぎを起こすとは……。
「朽木におられた頃の上様を知らぬ者ほど勝手をするな」
管領殿と争いになり和睦したかと安堵したのも束の間、三好と争い京の都を逃れた。駆け付ける者は僅かしかおらず、形ばかりの使者すら寄越さなんだ者もおるのだ。
兵を出せと命じられるのを恐れてな。奉公衆が聞いて呆れるわ。
あの頃の上様は己の不甲斐なさに荒れる時もあったな。左様な上様に光明を見せたのは塚原殿だ。あの御仁の仲介で斯波と織田と誼を得ることで、上様はようやく将軍としてあるべき形に戻ろうとしておるのだ。
今更、奉公衆が現れたところで上様が喜ぶと思うたのか? 奉公せぬ奉公衆など不要であろう。上様は左様なお方だ。
「そういえば夜月殿は朽木のことを口にされたな。終始上様を守り支えておったと。見ておる者は見ておるということか」
ほう、それは驚きだ。幾度も顔を会わせておるが、左様に思うておられたとは。
「して、夜月殿は勝手をする者をいかがすると?」
「今しばらく様子を見るとのこと。駄目ならば新しき者を集めるとも言われたがな」
慈悲を与えたか、配慮をしたか。いずれにしても甘いと思うがな。
信の置けぬ警護衆など上様は望まれておらぬ。馳せ参じた者らに一切会われぬのが、その証。吉岡殿のように己の面目など気にせず、他国で敗れても幾度も挑むほど武芸に励む者は好まれるがな。
推挙したのは内匠頭殿だとか。あの御仁は上様のお心をよく理解しておられる。
上様は良くも悪くも、今の世と明日を見ておられる。管領の細川や政所の伊勢のように代々の将軍を支えておった者らですら、世を乱すだけならば許すおつもりがない。
あえて言葉にされることはないが、上様は足利将軍家をかつての形に戻そうとはされておられぬ。新しき天下、治世をお考えだ。
気に入らぬと上様にですら兵を挙げる細川京兆や奉公衆など、重用するまい。
古き形がよいのか、新しき形がよいのか。わしには分からぬ。されど、斯波も織田も畿内や京の都のために兵を挙げる気はない。
己が力で国を強く豊かにしようと考えたのは仕方なきことであろうな。
この先、いかになるのやら……。














