第二千百五十話・対立
Side:伊勢出身の警護衆
こちらを見てあざ笑うような者らとは誰も目を合わせぬ。
元奉公衆といえども立場も現状も違う。所領を失うた我らを、かの者らが愚か者と軽んじたことで今では口を利く者などおらぬ。
一揆で所領を失うた北勢におった奉公衆の失態は、諸国に知られておるからな。致し方ないところもある。されど、呼ばれてもおらぬ押しかけの身で我らを軽んじたことは許せぬのだ。
鍛錬の場となっておる庭に吉岡殿が姿を見せると、それでも幾分まともになる。元奉公衆とはいえ上様に目通りが叶ったのは吉岡殿を筆頭に僅かしかおらぬ。さらに警護衆は吉岡殿が筆頭になることが決まっておるからな。奴らは知るまいが。
吉岡殿が自ら鍛練を始めると、重苦しいまま待っていた他の者らも鍛練を始める。
「夜月殿がお越しになりました」
誰一人、声も出さず続く鍛練の最中、その知らせに織田と六角と北畠から来ておる者らがすぐに控える。他の元奉公衆は様々で、幾人かは明らかに不快そうな顔をした。
己らが厚遇されぬ理由を織田と久遠のせいにしておるからであろう。ただ、それでも形として渋々控えたが。
珍しいな。三国同盟の諸家から集めた者らに警護衆に必要な兵法を教えられたことは幾度もあるが、他家の者らがおるところには姿を見せることはなかったのだが。
侍女と警護の者、それと目賀田殿と奉行衆が数人、供をするように連れておられる。
「吉岡殿、いかがですか? そろそろ形となってもらわねば困るのですが……」
お方様が元奉公衆など目もくれずに吉岡殿に声をお掛けになられると、かの者らが苛立ったのが見える。あやつらは吉岡殿の立場も気に入らぬと騒いでおるからな。
「はっ、申し訳ございませぬ。とても上様の御身と御所を守るに相応しきとは言えませぬ」
であろうな。我らも悪いが、警護衆の中で争うておるのだ。尾張におられる今巴様や氷雨様が聞けば激怒するであろう。
ただ、元奉公衆の者らは吉岡殿の言葉に怒り心頭と言わんばかりの顔をした。
「恐れながら、兵法者とはいえ吉岡殿には荷が重いだけかと……」
その声に、すっと血の気が引く気がした。勝手に口を開いたのは、一際、吉岡殿を軽んじておった男だ。
お方様を愚弄するほど愚かではないとはいえ、かような物言いを勝手にする者など、近年見たことがない。すぐに奉行衆の顔色も変わるが、お方様はそれを制された。
「それは上様のお決めになられたことに異を唱えたと受け取り、上申致しますがよいのですか?」
「某は事実を申しただけでございます」
愚かな。昨年の末には、信濃の夜殿と明け殿を軽んじた神宮がいかになったか知らぬのか? 勝手に口を開くなど愚かとしか言いようがない。
「分かりました。では、すぐにこの場から立ち去り故郷に戻られるといいでしょう。吉岡殿の力量も分からぬ者は不要です」
「某の一族は奉公衆。上様の御為にここにおります。他の誰かに左様なことを申し付けられるいわれはございませぬ」
なっ!? 異を唱えただと!? そこまでしては恐ろしいことになるぞ!!
ああ、まるでかつての我らを見ておるようだな。あのように僅かばかりの面目と意地のために、所領を失うほど斯波家と織田家を怒らせたあの時を思い出す。
今の上様にとって奉公衆など、あってなきもの。上様のお立場を確固たるものとしたのは斯波と織田と久遠ぞ。理解しておらぬのか!?
「では、上様に上申して上意と致しますが? そもそも上様をお守りすることもなく、苦境の時に見向きもしなかった分際で随分な言葉ですね。仮に朽木殿など終始上様をお支えしていた方々ならば、その言葉受け止めますが」
女と侮ったのか? いや、違うな。これが常のはずなのだ。気に入らぬと兵を挙げるなどようある。
お方様も承知だ。最早、侮ったかなどいかようでもいい。引けぬお立場なのだ。その顔つきが武士のように変わる。
「周囲にいる方々も同じと受け取ってよろしゅうございますか?」
震えがくる。お方様は本気だ。
三国同盟以外の元奉公衆でも、取り分け威勢が良く吉岡殿を軽んじておった者らがあやつの周囲にいるが、お方様は一辺の笑みも見せずに、その者らに語り掛けた。
「いや……、某は違いまする」
「同じなどではございませぬ。異を唱えるなどしておりませぬ」
「某も右に同じ」
周囲の者はさすがに察したようで、先ほどまでの不満げな顔を一変させ声を上げた男から離れるように下がると、男の周囲に誰もいなくなる。
さすがにそこまで愚かではなかったか。男はそんな周囲の者らの様子に驚いたものの、最早、後戻り出来ぬと覚悟を決めたようだ。
「貴殿は己が正しいことを、いかに証立てしてみせるつもりですか? 己が正しさを示したくば奉公衆の名や家の名ではない。己の力と働きで示しなさい」
引いた者らも含めてお方様は語り掛けておる。警護衆が上手くいっておらぬことでお出ましとなられたのであろうな。
「それと織田家より遣わされた者たちにも言うておきます。警護衆は新しいもの、それを一番理解している貴殿たちが、元奉公衆や吉岡殿を助けていかねばならぬ身のはず。なにをしていたのですか?」
ああ、我らも悪かった。まことに申し訳ない。尾張に戻ったら今巴様にお叱りを受けるな。
「今一度、言います。不満な者は去ってくださって構いません。いかな理由があろうと、上様をお守り出来ず、長きに渡り駆け付けることもなかった者を上様は厚遇など致しません。悔しいと思うならば己が力で功を上げてください。吉岡殿、あとは任せます」
そこまで言われるとお方様は目賀田殿や奉行衆を連れて戻られた。
静まり返った場で口を開く者はおらぬ。
Side:目賀田忠朝
奉行衆が呆れた顔をしておるわ。吉岡殿は武芸大会を除き武功がない故に気に入らぬ奉公衆の者らの心情も分かるが……、にしてもやりすぎだ。
「上意であると言うてもよろしかったのではございませぬか? 上様は病の折には、万事、管領代殿と夜月殿たちに任せると仰せでございました。その……、上意を示す書状もございましょう?」
ひとりの奉行衆が夜月殿の真意を察するように言葉をかけると、夜月殿は先ほどまでと違い穏やかな顔をされた。
「ええ、ございます。上様より使えと与えられた書状が。ただ、使えばあの者が許されなくなります。罰するならいつでも出来ることですから」
上様の久遠への信は並々ならぬものがある。とはいえ上意を示す書状まであったとは。わしも知らなんだわ。
「仏の弾正忠の慈悲というところでございますな」
「一度くらいの機会は与えてもよいと思うただけになります。これで駄目ならば、人を変えましょう。吉岡殿はともかく、他は代わりなどいくらでもいます」
公方様をお支えしておるのが、御屋形様と織田であるとよう分かるな。奉行衆など、公の場ですら夜月殿たちを格上として扱うておるほどよ。
「皆々様方、忙しい最中、同行していただきありがとうございました」
奉行衆との別れ際、夜月殿は深々と頭を下げ、奉行衆もまた同じく深々と頭を下げた。
「いえ、これも役目でございますれば」
「左様、それに我らとて再び流浪の身となるのは御免でございますからな。警護衆には励んでもらわねば」
仏の弾正忠は決して味方を見捨てぬ。久遠の助けさえあれば京の都と争うても生きてゆける。その事実が果てしなく重いか。
これでかの者らが大人しゅう役目に励めばよいが……。














