第二千百四十八話・新しき流れの中で
Side:吉岡直光
警護衆の者らとの鍛練を終えて一息つく。ただ、僅かにため息を漏らしてしもうたかもしれぬ。
警護衆は奉公衆とは違う。仕官させる際に、そう釘を刺されたはずが、元奉公衆であった家柄の者は現状に不満があるらしい。
新たに所領が与えられることはなく、俸禄も決して高くはない。なにより元奉公衆という自尊心が満足するような扱いを受けておらぬと憤慨しておる者もおる。
元奉公衆というならば、本来与えられておる所領があるはず。それを以て上様にお仕えするはずが、長い乱世で各地の守護や有力な者に飲み込まれて臣従してしまったため、一族の者を新たに寄越したところが多い。
かような者は己で独立するつもりで来ておるから始末に負えぬ。
奉行衆によると警護衆は元奉公衆と別故、望んで元奉公衆を集めたわけではないとのこと。ただ、上様の権勢が確かとしたものになったことで、半ば強引に人を寄越したところがそれなりにある。
現状の警護衆は織田、六角、北畠などから集めた者が大半で、それらの者は分を弁えておるからいいが、それ以外のところから勝手に集まった者らは不満なのだ。特に畿内から来た者は三国同盟の者らが多いことが面白うないらしい。
このままでは良うない。奉行衆にそれを伝えに来ておるのだが……。
「上様は静養されておる。病の身故にな、時折静養が必要なのだ。吉岡殿の話は上申しておく。そのうえでだ、警護衆に関しては頃合いを見て吉岡殿を筆頭にというご意向が実はある。ここだけの話、そなたを推挙したのは内匠頭殿だからな。上様はそなたに任せたいとお考えだ」
奉行衆らは顔を見合せていろいろと教えてくれた。警護衆のみならず、奉行衆にも今の体制が気に入らぬ者が相応におるらしい。
上様をお支えするべき管領代は六角左京大夫殿であり、斯波、織田、北畠の後ろ盾で政をしておることが面白うないそうだ。
それとわしの仕官、これはやはり久遠家の推挙があったか。柳生殿と武芸大会で話した折にそんな気がしたが。
「あまりに酷い者は上様に上申して放逐する故、言うてくれ。あと細かい指南が必要ならば、城下におられる内匠頭殿の奥方殿に頼まれよ。そなたの力になってくれるはずだ」
そういえば内匠頭殿の奥方が数人、観音寺城下におると聞いておる。いかなるわけで滞在しておるのかと思うたが、上様をお支えするためであったか。
一度、挨拶に出向いて以降、特に友誼などはないのだが……。
近江に来て理解した。少なくとも上様は京の都にお戻りになられることがないと。上様は尾張と共に世を治めるおつもりなのであろう。畿内や他から来る者は、それが面白うないのだ。
ふむ、警護衆の役目。尾張にある警備兵の役目を参考にしたようだしな。内匠頭殿の奥方殿にこちらから出向き、現状をお伝えしておくか。
内匠頭殿の奥方ならば、向こうから口を出すということをあまり好まれまい。助言をいただけるように動くべきだな。
そのくらい分かる。幾年も武芸大会に出ておるからな。
Side:久遠一馬
春となり、だいぶ暖かい日が増えている。そんなこの日は、領内の寺社の関係者を集めての茶席に参加している。
寺社は基本、寺社奉行が取りまとめをしているものの、それなりの寺社とは意見交換を含めて会う場を設けるようにしているんだ。
奥羽や伊勢神宮と熊野三山、こことの争いも相互理解が足りないことが一因としてある。
まあ、尾張の寺社関係者とは割と会うんだけどね。今回は奥羽を除いた領内に広げて会うことにしてみた。
「ひとつお教え願いたい。天竺では仏教が途絶えたと聞き及んだが、まことでございましょうか?」
「ええ、そうですよ」
どうなるんだろうなと思いつつ、エル、メルティ、シンディ、ラクーアと共に参加していると、予想外のことをいろいろと聞かれている。
もっと政治の話になるかなと思ったんだけどね。日ノ本の外のこと、主に唐天竺の現状や向こうでの仏教の状況とか、そっちを聞かれているね。ウチの内情を聞かないのは、配慮をしてくれているんだろう。
「なんと……」
「仏教、仏の教えもいろいろとありますからね。原点に近いものから、皆様の宗派を開いた開祖様が悟りを開かれて残されたものまで。あと天竺では仏教以前からある神が信仰されているとか聞き及んでおりますよ」
海外情勢や細かい宗教史はウチのほうが情報はありそうだね。畿内あたりだとそれなりに情報を得ているはずだが、系列の寺社に丁寧に教えていないらしい。
あんまりケチを付ける気はないが、この時代の寺社には体裁だけ整えたダブルスタンダードが平然とある。とはいえ宗教の形と方向性はいつの時代でも賛否あり、オレとしては世の中の害とならないなら好きにしたらいいとしか思えないけど。
尾張が新しい政と国を作りつつあり、寺社の立場と役割も変わりつつある。畿内や本山と尾張のどちらに従うのが正しいのか。また、寺社はどうあるべきか。考える人が増えたのが現状だろう。
伊勢神宮に関しても、畏れ多いという理由を口にして近寄る人が一気に減ったという話はすでに今日この場にいる皆さんは知っているはずだ。
寺社の維持と自分たちが贅沢出来るお金があればいい人もいるし、武士や民に頭を下げられたい人もいる。世の中を憂いて、民と共に生きたい人も当然いるんだよね。
「寺社とて滅ぶこともあるか……」
オレたちの話に考え込むお坊さんや神職が周囲に何人もいる。
自分たちだけは神仏の権威で安心安泰だと思っているからね。この時代の寺社は。武士が寺社より信頼され、心の拠り所になりつつある現状でようやく危機感を持った。
そんな人たちが今日は多く集まったみたいだね。
この場でも沢彦相恩さんとか太原雪斎さんとか、織田家のことを良く知る人たちはどちらかというと相談を受ける側になっている。
あっちは扱いに困る人の処遇の相談とかも多いみたいだけど。武士もね。困ったら寺社に放り込むが、寺社の側からするとそこまで喜んでもいないしね。
真面目にお勤めを果たさない人は出ていけと追い出される事例もある。所領を手放したことで寺社への配慮や寄進が止まったところなんかは特に。
大半はそこまで強行出来ずに悩んでいて、ちょうどいいからと相談している人が結構いるね。
寺社奉行があまり大変そうだから、茶席を用意したけど成果は上々かな。














