第二千百四十五話・春の頃に
戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。
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Side:久遠一馬
北畠領の報告が入った。伊賀や大和の所領は、やはり関所開放について二の足を踏んでいる。ただ、朗報もあって、伊賀の主立った者たちは足利家の直轄領になり所領を放棄することに事実上同意したそうだ。
なにが問題って、伊賀は所領放棄、形式として献上するという形に抵抗していたんだ。
「管領殿の権威も今は昔ということでございますな」
少し安堵した様子なのは望月さんだ。親しいとは言えないものの繋がりがあるところがあったからね。意地を張っても無駄だと説得していたんだ。
ちなみに管領細川晴元はこの件にも介入し、すべては六角と北畠による謀だと徹底抗戦を命じる書状を送っている。ただ、大半の書状は六角、北畠、織田などに届けられ効果はあまりなかったみたいだけど。
ずっと意地を張っていたけどね、伊賀の諸勢力も敵対する意思はなかった。ただ、その代わりというわけではないが、伊賀守護である伊賀仁木家の勝手にはさせないという確約はしてあるみたい。
伊賀では、六角、北畠、伊賀仁木、大まかに分けて三つの勢力が現在まとめている。六角と北畠では一部地域を勢力圏としているものの、形式として両家でもそれぞれ別の分家筋の仁木家を名目上で立てている。守護は伊賀仁木家になるものの、当面はその三家を同じように扱うことで関係者の間で話が付いたそうだ。
伊賀仁木家としては面白くないところもあるみたいだが、意地を張れるほどの力はない。守護という地位を続けられることで妥協したんだろう。
「個人的に恨みはないが、管領殿との和解はないだろうね」
細川京兆家、仙洞御所落成以来、氏綱さんとはようやく最低限の意思疎通が出来るようになった。義統さんや六角義賢さんとは書状のやり取りがあり、義輝さん率いる近江政権に従っている。
彼の動きにより晴元の孤立化が鮮明となりつつあるんだ。細川としては内部で争っている場合ではないと、晴元と氏綱さんの和睦を考えていた人もそれなりにいるんだけどね。
細川としては政権の主導権を取り戻したかったし、氏綱さんの周囲には反義輝陣営からの接触もあった。
ただ、あの人、のらりくらりとかわしつつ動かなかったんだよね。ずっと。
「三雲家のこともありますから……」
それとエルが言うようにウチには甲賀を追放された三雲家が仕えている。伊豆諸島の代官に任じて数年、評価は悪くない。
あえて持ち出す話でもないが、先代の三雲定持に立場以上の行動力を与えたのは晴元でもある。献金などで中央と通じていた三雲定持をけしかけていたのは確認が取れている。
「そうだね。臣従前のことだけど、三雲家のことは分かっているよ」
晴元は昔からこの手法を好んでいた。人を動かし乱を起こして地位を守る。まあ、足利政権の手法と言ってもいいけど。畿内の実力者、細川京兆家ならばその責任を問われることはなかったんだろう。
叡山や石山も案外甘いね。あれだけ好き勝手引っ搔き回されたというのに。それが細川京兆の実力だったんだろうが。
まあ、細川京兆は氏綱さんがいる限り残るだろう。そういう意味では晴元は正念場だろうね。もっとも晴元討伐なんて誰も考えていないから、終生若狭で管領として生きるんだと思うが。
畿内でいえば、あとは政所執事の伊勢家なんだよなぁ。あそことの意思疎通が出来ない。オレとしては含むこともないし、シルバーンからの報告では向こうも別にウチや尾張を恨んでいる様子はないそうだ。
反尾張が周囲に集まるが、煽ることもなく彼らの陣営に深入りすることもない。空気が読めない。反尾張の勢力からも、そう見られているとの報告には笑ってしまったほどだ。
当然、近江政権の奉行衆などからの評判も悪い。
自身の既得権と立場を守り役目をこなす以外は慎重な人。二重権力になっていることとか、勝手に動くことで困った人でもあるけど。乱世の時代の人と思えば、まあ、自重しているほうだろうね。
Side:ヒルザ
信濃に戻った。農繫期となり信濃も田植えや畑仕事が始まっている。
「ようやくといったところね」
塩や食料の横流しが一気に減り、その分、領内の寺社が仲介して他国にある同門の寺に売る流通が増えた。
仁科の一件で理解した者たちが方針転換をしたことが大きいわ。飢饉が表面化する前に変わってくれてよかった。
一番大きいのは諏訪神社が変わったことかしらね。末端の掌握はまだ甘いけど、積極的にこちらの治世に合わせて動くようになったわ。
懸案だった信濃者が甲斐から来る者を拒否したり襲ったりすることも、諏訪神社と末社が宿泊施設として受け入れることで領民も受け入れるようになりつつある。
無論、恨みは消えていない。ただ、現実を生きるために妥協するようになった。
小笠原分家や諏訪分家である高遠など、信濃を離れた者は今も戻れていない。その事実で多少の留飲を下げたのでしょうね。
まあ、仁科三社は相変わらず孤立しているけど。
信濃は山深く、全体をひとつの領国として生活圏の統一を図るのはこの時代では難しい。街道整備は続けるけど、ここでは山と共に生きる必要があるわ。
植林や炭窯の導入もしている。木材と永続的な燃料供給地として近代まで頑張ってくれるはず。
あと嬉しい誤算はこの人ね。永田徳本。十六文先生などと称され、史実の医聖のひとり。ふらりとやって来て以降、こちらの指示通りに動いて領内の安定のために働いてくれている。
「仁科の地も落ち着いてございました。血の気の多い者は一揆にて仁科家や三社を追放しろと騒いでおりましたがな。一喝しておきました」
「そう、ありがとう。ごめんね。危ういところに行ってもらって。私たちやウチの家臣だと少し面倒になるから……」
私とウルザが動けない代わりに自由な立場で動いてくれる。医療活動のついでにその地の情報を集め、今回のように一揆などを戒めてくれているわ。
立場としては客分であり、俸禄も出しているものの、その俸禄分だけウチから薬を求めて自身で領内を歩いて無償診療をしている。
曲直瀬殿もそうだけど、史実で名を上げる人は治世が変わっても適応力が高いわ。
「これが某の天命でございますれば。なんなりと申し付けくだされ」
対越後、対関東の最前線でもある信濃は相応に難しいのよね。永田殿のような人がもう少し増えると楽なんだけど。
贅沢を言い過ぎかしらね。














