第二千百三十二話・大評定の昼時
Side:久遠一馬
苦労していた寺社奉行配下の質疑応答が終わると、土務総奉行配下による説明と質疑応答になる。こちらは思いの外、多くの質問が続出した。
主に賦役、投資による賦役について質問が相次いだ。
美濃・三河・伊勢と、投資による賦役の成功例が出てきたことから、地元でもやりたいという意見は去年あたりから多かったんだ。
地縁というのは今もあるし、旧領の代官をしている人も多い。織田領内は情報伝達をきちんとしていることで、我が村にも賦役がほしいという意見が領内で増えているんだ。
ちなみに動きが早いところは、武士もお坊さんも商人も一緒になって投資を進めて、多額の資金を集めることで地元に賦役を呼び込んでいる。中心になっているのはお坊さんが割と多い。
地域に密着しているお坊さんは普通に有能で地元で尊敬されているんだよね。
地元への影響力を確保したい武士たちは、投資を活用した賦役の誘致に積極的になりつつある。
ただねぇ。費用対効果とか経済効果という概念が薄いので、面目やら意地やらで無謀な賦役を望まれると織田家としては出来ませんとしか言いようがないけど。
ちなみに大評定では休憩をこまめに入れていて、評定中でもトイレは各自静かに行ってよしということも明文化している。子供じゃないんだからと思うんだけど、評定中にトイレに行くのは無礼にならないかなど気にするんだ。
あと参加自体も義務じゃない。信秀さんの直臣ならば出席する権利があるってだけだ。
「では、一旦、休息とする」
議事進行役の家老がお昼休憩を宣言すると、義統さんから偉い人順に離席していく。これもねぇ。好きにしたらいいと思うんだけど。
「お腹空いたね」
オレたちはそのまま清洲城内にあるオレの部屋に行く。今日は食堂が混むので城内に部屋がある人はそっちでお昼ご飯になるんだ。
「座りっぱなしってのも、楽じゃないね。」
確かに。ジュリアの言う通りだ。余計に疲れたかもしれない。見られる側になっているので、気を抜けないし。
部屋は暖かい。お昼になる少し前に部屋にある南蛮暖炉ことダルマストーブに火を入れてくれたんだ。燃料は炭と炭団の混合だね。
これも実は燃料の量と暖める時間を大まかに決めてある。
暖房は主に南蛮暖炉、火鉢などになるが、お昼時しか使わない部屋を四六時中暖めるのは燃料がもったいないし。
見栄とか体裁で贅沢が必要なこともあるが、節約出来るところは節約するのが基本だ。
「お昼はカレーだそうですよ」
ああ、エルの言葉にますますお腹が空きそうだ。
そうしているうちにお昼が運ばれてくる。カレーをメインにわかめともやしのすまし汁、小魚の南蛮漬け、大根の浅漬け。マンゴーのシロップ漬けがある。
いい匂いだなぁ。
「じゃ、さめないうちに頂こうか」
いただきますとみんなで挨拶をし、さっそくカレーから味わう。
「うん、美味しい」
スプーンで一口食べた瞬間、ケティに味の感想を言われちゃった。出汁が少し感じる和風のテイストがあるカレーだ。辛さは甘さと中辛の間くらいだね。
大きめのジャガイモとにんじんに、イノブタの肉が入っている。清洲城でも人気のメニューだ。
ほくほくのジャガイモは甘味もあってカレーの味がよく合う。イノブタの肉も程よい歯ごたえと肉の旨味がいいなぁ。今日は白いご飯だから、余計に合うかもしれない。
おっと、一気に食べてしまうのはもったいない。副菜で箸休めをしよう。副菜の小魚の南蛮漬けと大根の浅漬けもさっぱりしていて、食欲が進む。
ここに今日は大評定ということで、マンゴーのシロップ漬けがある。
元の世界の日本式のカレー。久遠料理の代表と言えるくらいに人気のメニューのひとつなこともあり、大評定の昼食に選んだみたい。
オレにとっては、本当に子供の頃から食べている料理。好物のひとつなんだよね。
ただ、香辛料などが高価なこともあって、清洲城でも特別な日に作る料理になっている。
「殿? どうかしたの?」
スプーンに乗せたカレーをふと見ていると、メルティが声を掛けてきた。
「いや、ちょっと昔を思い出してね」
やはりカレーは家庭の味なんだよね。オレにとって。特別な調理法とかでない。市販のルーを使った家のカレー。このカレーも美味しいけど、あれも美味しかったなぁ。
母さんが生きていたら、エルたちと嫁姑で味付けの違いとかでギクシャクとかしたんだろうか? 母さんもエルたちもそんなタイプじゃないけど。
スプーンのカレーを頬張り、思い出を胸に収める。
決して忘れることがない大切な日々だけど、オレは前を向いていく。午後も頑張ろう。
Side:松平広忠
南蛮暖炉の中で燃える火がちらちらと見える。
竹千代と共に昼餉を食うておるのだ。我らの他には、同じ広間には幾人かの領国の代官らが別々におる。
皆、名門ばかり。一番家柄がようないのはわしであろうな。
今川殿など、かつては助けを受けて臣従した相手。あまり話す機会もないが、今でも気を使う御仁のひとりだ。
「美味いな……」
「はい、美味しゅうございます」
すっかり大人になった竹千代に思わず昔を思い出す。
わしも必死だったが、皆も必死だった。己の城と所領を守り広げる。あわよくば三河統一。左様な夢を皆が抱いていた頃だ。
誰も信じられず、父上のようにある日突然、臣下に殺されることを懸念していた日々であった。
松平一族も今は大人しい。己の分をわきまえたと言うべきか。祖父上の頃を知る者、また聞き及ぶ者は、現状に不甲斐なさや情けなさを感じる者がおると聞き及ぶ。されど、もう松平の名では民が動かぬのだ。
結局、人はあれこれと理由を見つけて世の流れに従う。そういうことであろう。
遥か天竺由来とされるカレーを食して改めて知る。日ノ本の外の広さを。今日この日も、また誰かが世の流れを理解し諦めておるのやもしれぬな。
争いはもうたくさんだ。わしは運がいいことに領国代官まで上り詰めた。竹千代は文官として清洲勤めとなり評判もよい。
松平として三河統一するに等しいくらいの立身出世はした。それでさえ過ぎたるものだと思える。
「父上、午後の支度はよいのでございますか?」
少し考え事をしておると、竹千代に案じられた。午後は各地の領国代官より報告があるからな。
「ああ、すでに支度は万全だ」
この日のためにひと月以上前から支度をしておるからな。
さて、腹が膨れたことだし、午後も励まねばならぬな。
◆◆
織田家による大評定が年始に行なわれるようになったのは、天文二十二年の正月からである。これ以前にも大評定を行っていた記録はあるものの、この年以降は正月の定例となっている。
永禄五年からは、昼食としてカレーを出すことが慣例となった。
おせち料理や正月の宴が続いていたあとの大評定の場にて、天竺由来の久遠料理であるカレーを出すことで、久遠家に教えを受けた初心を思い出し役目に励むという意味があるとされる。
当時のメニューは織田家料理番の日誌により残っていて、現在も日本圏においては新年最初の議会で出される昼食のメニューとなっている。














