第二千百三十話・新年会の場にて
Side:久遠一馬
正月恒例となったいかのぼり大会を終えると、斯波家と織田家の新年会となる。
領地が広がったことで代理での出席も認める形になっているが、奥羽衆以外は当主本人が出席している家が多いみたいだ。
中央集権体制での在り方、生き方と言うべきか。これは手探り状態が続いている。新たな秩序と体制での人脈や血縁作りは当然ながら誰もがしている。そのためイベントには当主や嫡男などが出てくる。
例外はウチくらいだろう。表向き一介の家臣という体裁だけど、これもオレがそういう形を望むならばと、皆さんが配慮でそう扱ってくれているという雰囲気だ。
はっきり言うと、ウチはもう家中に血縁や人脈を下手に作れない立場なんだよね。
少し話が逸れたが、いいか悪いか別にして法律やシステムとして平等に人材登用をするなんて夢のまた夢だ。ただね、高度の文明が進めば政治家になるデメリットがものすごく増えるから、この時代とは別の問題があるんだろう。
今の織田家くらいが、一番真っ当な政治が出来る気がしてならない。
さて、新年会は今年も和やかな雰囲気だ。
仕事を忘れて……とはいかないようだけど。お酒と料理を楽しみつつ、いろいろな人と話をして情報収集をしている人が相応にいる。
織田家の場合、家中には丁寧に説明して情報を届けているんだけど。それでも当事者とか詳しい裏事情までつまびらかに明かしているわけではない。元の世界のように情報が垂れ流しである時代じゃないからね。
宴とかでは挨拶をしつつ情報を得るのが当然だ。
まあ、中には細かなこと気にしないで、飲んで食べて楽しんでいる人も相応にいるけど。個人的にこっちのほうが付き合いやすいなとは思う。
オレはエルたちと宴の様子を眺めつつ、マイペースで楽しんでいる。
「美味しいね」
「ええ、美味しいです。料理は年々楽しみになっていますね」
エルとセルフィーユが伝えた料理と調理技術が生きた正月膳だ。ちなみにこの時代だと重箱におせち料理を詰める習慣がないので、新年会もお膳にて出てくる。
雑煮なんかは頼めば温かいのをすぐに持ってきてくれるし、形式よりも味で勝負という感じか。
最初の頃は宴とかあるたびに、料理番が困った顔をしてウチに来ていたんだけどね。すっかりウチの味が出せるようになった。
余談だが、清洲城や那古野城の料理番、彼らの俸禄も桁が変わっている。俸禄の形態に関してはウチの影響でいろいろと変えたからね。技術職はひと昔前とは大違いだ。織田家では技術や知識の価値を重んじている。
ほんと細かなことが変わり過ぎたことも、他国と合わなくなった原因なんだけどね。配慮に配慮を重ねたとしても伊勢神宮のようになるし。どっちにしても一長一短があるということだろう。
しかし、おせち料理がだいぶ元の世界でおなじみのものになりつつある。この時代ではまだなかったものをウチが持ち込んだからなぁ。
「正月巻、美味しい」
伊達巻を一口食べたケティが僅かに笑みを浮かべた。確かにいい味だなぁ。
ただ、紅白のかまぼことか紅白なますとかはないんだよね。単純に紅白が縁起物じゃないってのが大きい。かまぼこはウチだとたまに食べるんだけど、祝いの品にはなっていないんだ。
その代わり、黄金焼きことハンバーグとか、黄金飯ことパエリアとかあるけどね。伝統的な正月料理とウチの祝いの料理が一緒に並んでいる。
評判はいい。特に栗きんとんと伊達巻は欲しいって人が多いこともあり、予約販売していたくらいだ。調理はウチの屋敷と孤児院で作って、八屋と津島、熱田、蟹江のウチの屋敷で売った。
中でも栗きんとんは、材料の栗の甘露煮と尾張芋ことサツマイモが流通していないからね。ウチと織田家くらいしか作れない品になっている。
反響が大きく、喜んでくれた声がオレのところにも届くから素直に嬉しいね。
Side:塚原卜伝
尾張で迎える年始も慣れた。
鹿島が嫌になったわけではないが、わしも齢も齢じゃ。遠く鹿島の地から畿内に幾度も出て来られるかというと分からぬ。
上様が先例なき道を進まれておられるのは、わしのせいでもあるからの。お近くで邪魔をしてはならぬが、すぐに駆け付けられるところにはおりたい。無論、尾張という国が気に入っておるというのもあるが。
わしは今日、新年の宴の誘いを受けて参列しておる。
「塚原殿、一献いかがでございますか?」
「うむ、いただこう」
いつからであろうか。客分としてではなく、同じ国に生きる者のように扱ってくれるようになったのは。
若い者と酒を酌み交わし、たわいもない話をする。このひと時が心地よい。
武芸について熱心に話す者もいれば、まったく関わりのない噂話などを教えてくれる者もおる。今でも若い者に教えられることがある己の未熟さを情けなく思うところもあるが、まだまだ高みに登れると思うと嬉しくもある。
世は広く、日ノ本の外はもっと広い。わしではもう行くことは出来ぬが、この地におればおぼろげながら見える気がするのだ。世の広さがな。
ふと、若い者が注いだ酒がいつもの金色酒と違うことに気付いた。濁り酒ではないし、葡萄酒や梅酒の類でもない。
「ほう、この酒も美味いの」
なんともよき味じゃの。
「大蝦夷の林檎酒だとか。いずれ奥羽や信濃で造るのだと聞き及んでおります」
奥羽か。あの地も決して盤石ではあるまい。田畑を増やすだけでも難しかろう。それ故の林檎か。よう考えるものだ。
「楽しみじゃの」
「はい、まことに楽しみでございます」
今日より明日、明日より明後日。光明がある限り、人は前に進める。されど、光明を見せる者の苦労を思うと案じてしまう。
この国にとって久遠は大きすぎるのじゃ。
わしが尾張に骨を埋める覚悟を固めた、もうひとつの理由になる。老い先短い年寄りの命程度で出来ることは高が知れておるが、久遠だけはなにがあろうと守らねばならぬ。
若い者を守るために年寄りは死ぬ。それでよいとすら思える。もっとも、生きて若い者たちを導いてほしいと内匠頭殿は言われるがの。
鹿島にも神宮と熊野の顚末を記した書状を送った。わしに気を使うて寄進などしてくれておるからの。勘違いすれば、鹿島とて神宮と同じ末路となろう。
寺社は人々と共に歩む友とならねばならぬのだ。それさえ忘れねば、あとはなんとかなろう。
「東国が変わるか。思いもせなんだな」
「鹿島も飢えぬようになりましょう。いずれ……」
共に変わろうと手を差し伸べてくれるような笑みを浮かべる若い者の言葉に、思わず感極まる。
仏の弾正忠殿や内匠頭殿の慈悲深さが家中にも広まっておるのじゃ。この者らは存じておるのであろうか? 織田の地を一歩外に出ると、神仏すら信じられぬ乱世であるという事実を。
縁もゆかりもない地を飢えぬようにと手を貸すなど、ありえぬことじゃ。
「このかずのこも美味い」
遥か奥羽の地から運ばれたというかずのこを噛みしめる。
見てみたいの。日ノ本がひとつにまとまる姿を。
欲深い願いかもしれぬがな。














