第二千百二十九話・初詣
Side:千秋季光
年始は忙しい。変わりゆく尾張でも人々が神仏に祈ることは変わらぬ。変わったとするならば、民もまた賢く生きることを覚えたということであろう。
戒律がすべてではない。尾張でも、酒を飲む坊主であっても民と共に生きておる者は皆に認められておる。
ただ……、権威や血筋で傲った者には厳しい。
明日は我が身だ。正直、熱田神社とて、内部の者がすべて熱田神社に相応しき徳があるとは言い切れぬ。神宮などと違うのは、我らは内匠頭殿のことをよく知る故、怒らせるようなことをする愚か者がおらぬことか。
勘違いしておる者も多いが、内匠頭殿は決して非の打ち所がないような振る舞いを寺社に求めておるわけではない。何事も程々にしろという御仁だからな。
定めた法と道理の中でならば、うるさく言わぬ。寺社が銭儲けをすることなど、むしろ褒めておるほど。
「正月からよき賑わいでございますなぁ」
初詣に訪れる者と、その者らを相手に商いをする者らで賑わっておる。賑わいの様子に神職の者らも顔がほころぶ。
これも当初は、祭りのように賑わうほどの騒ぎにしてよいのであろうかと皆が悩んだ。初詣など前例がなく、内匠頭殿が始めたことだからな。久遠島に寺社がないことで内匠頭殿自身が始めたことと言うべきか。
結局、我らは内匠頭殿に直接問うたのだがな。いかにすればよいかと。内匠頭殿は、望む者がいるならばやってみればいいと言うておられた。
寺社が人々の生きる場として残るには、権威で頭を下げさせるばかりでは駄目だということであろうな。
賑わう民に安堵するが、我らは決して傲慢になってはならぬ。それだけは決して忘れぬように皆に言い聞かせねばならぬな。
Side:伊勢神宮の者
訪れる者がおらぬ神宮は静かだ。本来、こうあるべきなのかもしれぬ。
「慶光院に宇治と山田の町衆が参拝に行っておるというのはまことか?」
心穏やかに祈る。本分であろうが、わざわざ俗世のことを持ち出して心乱す者が少なくない。嘆かわしい。
「清順殿はそれだけよう働いておる。町衆もそれを見ておるということだ」
任せ過ぎたとは言えるかもしれぬがな。清順殿が幾度も尾張との間を取り持ち、話をまとめておったのは事実。内匠頭殿の怒りも清順殿には向いておらぬとか。
町衆としても左様な清順殿と慶光院は重んじて当然。なにもおかしなことはない。
「おかしいではないか。紫衣とはいえ、尼僧だぞ」
「その言い草はようないな。清順殿がおればこそ現状のままでという話になったとも思える。所領は返す故に知らぬと突き放されなんだことだけでも配慮ぞ」
この愚か者の頭の中はいかになっておるのだ? 清順殿がおればこそ未だに僅かな繋がりが残っておるのだぞ。信濃においても会うて話をして謝罪は出来たのだ。十分すぎる功と言えよう。
内匠頭殿が本気で怒れば、院や帝、公方とて動かすかもしれぬのだぞ。我らをまとめて神宮から追放し、別の者が入るということになりかねぬ。
「だがな……」
「忘れるな。内匠頭殿は日ノ本で唯一帝と並び立つかもしれぬ男ぞ。あの者が本気で我らを潰しにかかると、止められる者がおらぬかもしれぬということを」
我らとて手をこまねいておったわけではない。尾張を知るべく旧知の者や寺社に頭を下げて動いておったのだ。
今更だがな。あの者は一国の王と同等の扱いをするべきであった。王の側室を穢して誰が許すのか?
「清順殿の功を我らは生かさねばならぬ」
今は清順殿に頼るしかない。
もし、清順殿が我らを見捨てたら? まことに神宮が滅ぶのかもしれぬ。いや、我ら神宮に関わる者は罪人として、子々孫々まで表を歩けぬようになるかもしれぬ。
それだけは避けねばならぬ。
Side:久遠一馬
今年は那古野神社に初詣に行った。露天市なんかもあって賑やかな初詣になっていたなぁ。
誰が考えたのか、縁起物なんかがよく売れているらしい。あとは紙芝居や人形劇、能楽とかやっている人がいた。
びっくりしたのは、ウチの正装、ギャラクシー・オブ・プラネット時代の軍服を模した白い洋服を着ている領民が何人かいたことだ。
ウチの正装を欲しいって人が結構いたので、作ってあちこちに贈ったんだよね。ちなみに最初に欲しがったのは、島で挙げた慶次の結婚式を見た信秀さんだ。
信秀さん、気に入ったのか評定とかで着ていたから、次から次へと欲しいって人が増えてね。最初はその都度、贈っていたんだけど、きりがないので尾張でも作っていいということにした。
もともとウチの洋服は流行っていたこともあって、仕立てる職人いたし。
それが商人クラスにまで広がったみたい。扱いが久遠の正装になるみたいで、新年最初の寺社参拝に着る人がいたんだ。
まさか、ここまで影響が出るとはなぁ。
「ちーちの番だよ」
おっと、オレの番か。今は子供たちと絵双六中なんだ。娯楽性の高い絵双六はウチで最初作ったんだけど、瞬く間に種類が増えた。
今では若い絵師とかが副業として作っていたりするし。ちなみに学校の教材にも絵双六がある。分かりやすい絵と文字で内容を覚えられるものだ。年少組の授業で使っていて評判もいいとのこと。
「あ~あ、一回休みか」
うーん。今日はサイコロの出目が悪いね。子供たちが楽しげだからいいけど。
絵師で思いだしたけど、尾張はほんと絵師が増えた。権威で厚遇とかしないので、名のある狩野派とかの有名どころは、武芸大会の書画展覧を見に来るくらいで移住まではしないけど。
造営中の近江御所では大部分を狩野派に依頼して襖絵とか入れるはずだ。一部、尾張からの絵も納めるけど。
狩野派、別に敵対しているわけじゃないけど、頼まないから縁が薄いんだよね。
尾張において書画は、メルティの影響力が今でも大きい。メルティ自身は他にも仕事あるし、画壇とか派閥のように集団化も権威化もしていないけど。
ただ、この時代の主流である水墨画と西洋絵画の双方が尾張にあることで、自由で独創的な書画を書く人なんかも中にはいる。
ちなみに春画を描いて人気の人もいるね。中には写実的な絵を学んで春画を描いている人とかもいるし。
版画絵とかも学校で教えたことで尾張だと広まっていて、書物や版画絵が普及しているんだよね。
絵本とかも最初は子供のためにウチで作って配ったり売ったりしたけど、大人にも好評で未だに売れていたりするし。
平和で豊かになってくると文化の発展は早いなと思う。














