第二千百二十八話・認められた者たち
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
Side:慶光院清順
現状に私は戸惑っているかもしれません。尾張とのいさかいを年内に収めることが出来ず、神宮の方々も憂いある正月を迎えている。
そんな最中にも関わらず、御寺は例年と変わらぬ様子だとは。
宇治と山田の町衆などが寺に参拝に来られるのです。これは初詣として尾張で久遠家が始めたこと。それは去年までと同じなのですが……。
「神宮には参らず、こちらにばかり人が来るとは思いませんでした」
寺の者らも戸惑うております。宇治山田の町衆は、神宮が北畠に町衆を売り渡したと密かに恨んでいたはず。それも見方によっては間違いではありません。
ただ、驚きなのはそんな者たちも寺を訪れ祈ることでしょう。
「何故、皆が寺に……?」
「これは異な仰せでございますな。清順様が幾度も神宮の御為と働かれておること、我らは皆、存じております。そもそも神宮とこちらは別物のはず。我らは神仏を重んじ世のために働かれておる寺がいずこか、分かっておりまする」
昔馴染みの者が訪れたので、なにかわけがあるのかと問うてみると思いもよらぬ言葉が返ってきました。
町衆や民が寺社を選ぶ? 神宮の門前町ですら、それが当然となりつつあると?
寺に戻ったのは大晦日でした。驚いたのは、尾張からの寄進が届いていたことでしょう。平手殿や湊屋殿などから、例年よりも多い寄進や供物が届いておりました。
町衆はそれらも知っておるとのこと。尾張は神宮と絶縁しても他は変わらぬと示し、宇治山田の者たちもそれを受け入れた。
「ここだけの話、我らは尾張にも神宮にも恨まれとうございませぬ。尾張は商人を見捨てませぬが、神宮は見捨ててしまわれた。今のままでは神宮に味方するなど出来る者はおりませぬ」
僅か十年の月日で、神宮は寺社が重んじるべき民の信を失った。
昔馴染みの者は言葉を選びながらもさらに語りました。此度のことが理由ではないと。織田は厳しいものの、信義さえ持てば悪うされることもない。それと比べて神宮は常に己らの面目と利のみしか考えてくれなかったと。
武士がいかに武威を以て国を制しても、人々の信心だけは変わらぬはずだったというのに。
私はいかにするべきなのでしょう? 皆が私たちの働きを理解してくれたことを喜ぶべきでしょうか? それとも神宮が取り返しのつかないことになったと嘆くべきでしょうか?
Side:尾張在住の公家
明けて二日、尾張にて年越しをされた今川殿に挨拶に出向いておる。
今川殿と彦五郎殿の様子は悪うない。思うところがないとは思わぬが、尾張での今川家の評判もよいのだ。
我らとて、いろいろあったが世話になり続け、今もまた我らを見捨てることなく面倒をみてくれておる。その感謝は忘れてはならぬことじゃ。
「雪斎殿も顔色がよいの」
政から身を引いた雪斎殿が同じく挨拶に出向いておることに驚きつつ、その顔色が良いことに安堵する。一時はまことに顔色が良うなかったからの。明らかに疲れが見えておった。
「皆々様のおかげでございましょう」
相も変わらず控え目な御仁なれど、尾張にて暮らしておれば雪斎殿がいかに今川を救ったか分かること。昨年の末など神宮があれほどやらかしたからの。余計にそう思う。
「そなたの働きがすべて導いたことであろう。神仏に祈る前に人としてなすべきことをしたのだ。そうとしか思えぬ」
今だから言えるが、今川は駄目かと思うた。武衛殿や弾正殿、内匠頭殿はひとりでも天下に通じる者、それが揃う尾張にはいかに今川といえど敵わぬと思うた。
あれほどの苦境から面目を立てたままで臣従するなど、今でも信じられぬ。
「織田での暮らしはいかがじゃ?」
「悪うないの。伝え聞く京の都を思うと感謝しかない」
京の都では、吾ら尾張におる公家を羨む者までおるようじゃ。もっと言えば、都を離れたことを悪う言うておるとも漏れ伝わる。これが公家という者らの本性なのであろう。
己らの都合ばかりで物事を見る。吾らがいかに苦難の日々を送ったかなど考えもせぬ。
この国では認められておる近衛とてそうだ。己のことしか考えず我らが困窮したとて見て見ぬふりをした。
左様な話が聞こえてしまうからの。今の尾張では。無論、すべて今川殿の耳に入れ、織田殿や武衛殿にも伝わっておるはずじゃ。
「いろいろあったが、皆が無事で家を残せる。それに勝ることはあるまい。悪評世評など時が経てば忘れられるもの。堂上家とて……な」
京の都に戻るなど御免じゃ。戻ったとて役目もなければ家伝の技すら役に立たぬ。いずれ尾張と争いになった際には裏切り者とでも称して真っ先に見捨てるのであろう?
「過ぎた話はよいではありませぬか。今日は正月故、思う存分楽しみましょうぞ」
少し場が重苦しくなろうとしたが、彦五郎殿が立ち上がると吾らに酒を注いでくれ場を盛り上げてくれた。
若さというものか、それとも彦五郎殿の本質か。いずれにしても今川殿はよき跡取りを得たのかもしれぬの。
Side:久遠一馬
今日は斯波一族と織田一族の新年会だ。正月の日程も試行錯誤をしているけど、今のところはこの形がベストだと思う。
人数が多いこともあって、男女と子供たちで分けてそれぞれに楽しむ形だ。宴は一緒にやったりやらなかったり、どちらかでないと駄目だと決めたわけじゃない。
新しく臣従した人は驚くけど強制はしていないし、遠方の人は正室ではなく尾張にいる側室が出ていたりするなど結構自由になっている。
「いや~、美味いの。わしはこの正月巻も好物でな」
日頃あまり顔を合わせない親戚が大勢いる。正月巻、元の世界で言う伊達巻だ。それを頬張るのは織田達広さん、信友さんの父親だ。すでに隠居をしていて体調が思わしくない時期もあったが、ここしばらくは悪くないみたいで宴に参加している。
ちなみに伊達巻、美味しいから作らせてウチの料理のひとつになっているが、伊達っていうとどうしても伊達家を思い出すので正月巻という名前で説明したら、そのまま定着してしまった。
「内匠頭殿、さっ一献」
あまり動くと周りが気を使うこともあって、今年も資清さんと望月さんとのんびりと楽しんでいると信友さんがお酒を注ぎに来てくれた。
信友さん、今は遠江にいる。信広さんが遠江代官となった際に一緒に遠江に派遣されたんだ。遠江文官衆の次席になる。いろいろと難しい土地ということもあって三河での仕事を評価して派遣された。
「わざわざありがとうございます。では……」
返杯にとお酒を注ぐと美味しそうに飲んだ。
ちなみに信友さん、かつてと評価が一変したひとりだ。面倒が多かった三河を落ち着かせた功績は信友さんの力量も大きい。言い方として適切ではないかもしれないが、領国代官の次席としての力量は家中でも随一かもしれない。
タイプ的にはオレと似ている調整型の人なんだよね。扱いが難しいはずの遠江で今川と調整をしつつ、いい意味で無難に治めている。
「いろいろあったが、こうして皆でよき正月を迎えられるのが一番じゃの」
「ええ、そうですね。因幡守殿の功により遠江が落ち着いているおかげかと」
元守護代という肩書き、最近あまり気にしていないような感じだ。織田一族が変わり過ぎて周囲にも気にする人が減った影響もあるだろうけど。
「わしは少しばかり話を聞いておるだけじゃよ。功と言えるほどのことはしておらぬ」
謙遜か? 本当にそう思っているのか、少し判断に悩む。
「功と見えないように功を上げる。それが一番難しいことですよ」
実は信広さんを清洲に戻して、信友さんを代官にという話もあったんだよなぁ。つい先日断られたけど。本人としてあまり自信がないらしい。
昔と違い、目立たない功績の価値は上がっている。
元守護代、どうなるんだと少し心配したんだけどねぇ。評価も俸禄もかつてよりいい。正直、安心して任せられる人だ。
ただ、それなりの歳なんだよねぇ。とはいえ、今の状況で隠居したいとか言われても困るし、もう少し頑張ってほしい。














