第二千百十八話・大掃除にて
Side:久遠一馬
今日と明日は学校と病院の大掃除だ。この時代、煤払いなどはあるが、ウチのやっている大掃除は似て非なるものなんだよね。日時も儀式としての形式も無視しているし。
病院は緊急の患者以外は診察休みとなっていて、病院の敷地に設置したゲルにて急患の受付をしている。入院患者も同じくゲルに今日一日は移動させて本格的な大掃除になる。
まあ、病院はその性質上、常日頃から綺麗にしているので、病院全体や病室の点検も兼ねているんだけど。
学校も病院も十年が過ぎている。建屋も机と椅子やベッドなども相応に年季が入っていることもあり、この時期に痛んだところを探すんだ。学校の校庭や病院の庭では、職人衆がそれらを片っ端から修繕してくれる。
「じゃ動かすよ」
「はっ!」
オレも家臣のみんなと一緒に重いものを運ぶ。やはり力仕事は男がやったほうが早いしね。それに日頃はあまり掃除しない天井裏とかも今日は掃除するから、相応に汚れが出てくる。
手伝いに来てくれたのは、関係者と家族や近隣住民以外に寺社の人が多い。病院や学校との付き合いが長く、尾張だと神宮の騒動があってもほぼ影響がないくらいに信頼関係があるんだ。
こうして一緒に働いていると、神宮とも分かり合えそうだと思うんだけどね。現実って難しい。
しかし、最近は力仕事をすることが減ったので、こうして体を動かすのは楽しい。昔は時間がある時は賦役の現場とか行って働いたんだけどな。ここ数年は牧場と田植えと稲刈りくらいしか行けないんだ。
そのまま何度も往復しつつベッドを運んでいると、ジャクリーヌと出くわした。レスキュー担当の雷鳥隊を連れて手伝いに来たみたいだ。
「随分と楽しそうだね」
「まあね。どっちかというとこういう仕事のほうが好きかもしれない」
曲がりなりにも政に携わるようになって十年、今でも政治という仕事は好きになれない。中世の政治がこんなに厄介で面倒だとは思わなかった。特にこの時代では、なによりも権威と宗教が政治に根深く関与しているし。
「そうだね。殿には政よりも、そっちのほうが向いていると思うよ」
オレとジャクリーヌの会話に、周囲に居合わせた人が驚いている気がする。地獄のような世の中で、オレたちの政治は多少なりとも人々に希望を見せている自覚はある。
ただ、オレたちが好き好んで政をしているわけではないというのは、あまり知られていないんだよね。
いつか、久遠家は政治をして当たり前、善政を敷いて当たり前と思われる日が来るだろう。人は愚かな生き物だからね。
無論、その前に久遠家は日ノ本の政治から身を引くつもりだが。
身勝手なのは承知している。ただ、本当の意味で身勝手じゃない人なんて元の世界の長い歴史でも数えるほどしかいないだろう。
誰もが守る範囲、治める範囲を決めてその中で生きる。全部を守り治めようとして成功した事例は有史以来一度もない。
オレとすると、後の世で聖人と呼ばれるより、魔王と呼ばれて恐れられるほうがいいとすら思える。そう、元の世界の創作でよく描かれた織田信長のように。
「さあ、次を運ぼう。もうじきお昼だ。その前にさっきの病室のベッドは運んでしまおう」
しばしジャクリーヌと話をすると、一緒に働いている家臣のみんなと作業に戻る。
入院患者もいるからね。なるべく早く済ませて綺麗な部屋で落ち着いて年越しを迎えてほしい。あと半日、頑張ろう。
Side:とある伊勢神宮の神官
担架というもので運ばれると、久方ぶりに外に出た。冷たい風が少し身に染みる。付き添うてくれる者が、それを察して着物を一枚掛けてくれた。
「……すまぬ」
「いえ、よいのでございますよ。夕刻までには戻れますので」
尾張にいる神職はわしを含めて三名。いずれも伊勢に戻せば命が危ういと残ることを許された者だ。
外にあるゲルなる円形の幕の中に運ばれると、外と違い温かい。
「すす払いのようなものか」
「ええ、久遠家では大掃除と呼ぶとのことでございます」
驕れる神宮が内匠頭殿に捨てられた。左様な噂となっておること、わしの耳にも届いておる。なんと愚かなことをしたものだと申し訳なさしかない。
幾度も目立たぬように助けを受けておったからと驕り、織田の政に口を出した。この国では神宮の祈りなど要らぬと察していたはずだというのに。
祈りで万事上手くいくなどあり得ぬ。それは誰もが知る事実であろう? 現に織田にはなにひとつ敵わぬ。
朝廷と代々積み上げた権威さえ忘れられつつあった神宮に、助けをくれたのが弾正殿と内匠頭殿であったのだぞ。
賑やかに病院を清める声を聞きながら、なにも出来ぬ己がただただ憎らしい。
同じゲルにおる患者らも、わしが神宮の神職と知る故、声を掛けてくる者はおらぬ。身分が違う。迂闊なことを言うと、なにをされるか分からぬと恐れられておるのだ。
わしには、ただ静かにしておるしか出来ぬ。せめて祈りをと目を閉じておると、病院の者らが姿を見せた。
「さあ、昼餉でございますよ」
「ありがとうございまする」
湯気が出ておる温かい汁と飯のありがたさに涙が出そうになる。久遠の医術では飯を食うことも治療のうちだ。
「いただきます」
病院の患者らがしておる飯を食う前の挨拶を口にすると、頂くことにする。飯を食えること、米や味噌など作ってくれた者への礼を述べる言葉なのだとか。
味噌汁は具沢山だ。もやしや尾張大根と肉も入っており、よき味だ。わずかにすするように飲むと、味噌と具の味が口に広がり、温かい汁が喉を通るのが分かる。
礼か。民に礼を言うなど考えられなんだことだ。ところが尾張では、それが当然となりつつある。税を取って当たり前、寄進や上納させて当たり前。わしもまたそれ以外考えたこともなかった。
そもそもわしは勝手に死ねと追放されても文句は言えぬ。にもかかわらず慈悲により助けを受けておる。果たして神宮の上の者らは同じような慈悲を持ち合わせておるのであろうか? 口ばかりの慈悲ではないのではないのか?
代々神宮に仕える身故、わしの一存で辞することすら出来ぬが。神宮の教えと祈りが正しいのか。分からなくなった。
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