第二千百十三話・三好の一手
Side:十河一存
あれから三月を過ぎ、わしの病はすでに治っておる。さすがは久遠の知恵だな。
ただ、わしの後に尾張に来た妻子らの治療はまだ続いており、皆の完治を待っておったところになる。
この国におると、畿内とは別の世がすでに生まれておることを実感する。朝廷や公方様など皆が尾張ばかり気にすることを畿内より西では面白うない者が多いが、尾張はむしろ畿内より西を面倒事しかないと思い始めておる。
少し前には、神宮と熊野が領内のことに介入してきたことで嫌気が差しておったほど。
何故、寺社をそれほど疎むのかと、わしを含めて尾張に滞在する家中の者は驚いておったが、よくよく話を聞いてみると新たな知恵として教えられることばかりだ。
寺社への寄進と配慮はまことに神仏に届いておるのか。どこぞの血縁者の姥捨て山に銭を取られているだけであろうと教えられると、今までとまったく違うものが見えるようになった。
この国では、世のため人のために働けば徳を積めると考えられておる。すべては久遠内匠頭。あの男が成したことだ。
力ある者、戦上手な者が国を豊かにして広げていくことは今までもあったはずだ。されど武士のみならず民に光明を見せ、むやみに争わぬ国を作り上げたなど信じられぬものがある。
そう、この国は朝廷から連なる権威と別の形が出来ておる。
「今日はここまでにしておきましょう」
つらつらと左様なことを考えておったのは、織田の治世を教えておる授業を学んでおったからだ。
氷雨殿という今巴殿と双璧を成すといわれる女による、織田の治世を学ぶ機会。幼子から年寄りまで多く男女問わず学んでおる。
尾張にて久遠流を少し学びつつ病院で治療を受けておったが、この国を知り学びたくなり頼むと学校で学ぶことを許された。
始めの頃、授業に北畠の大御所様がおられた時には驚き戸惑うたこともあるな。学校の様子を見聞にでも来たのかと思うたが、同じく授業をお受けになられると知った時には信じられなんだ程だ。
「十河殿は今日で最後でしたね」
「はっ、お世話になり申した」
「御無事の帰国を祈っております」
人の従え方、国の治め方、戦の戦い方。すべてが違うと言うても過言ではあるまい。氷雨殿やこの場にはおられぬ天竺殿にはいろいろと教えを受けた。
すでに兄上には書状で知らせてあるが、この国をそこらの成り上がり者と同じく思うと恐ろしきことになろう。
「受けた教え、無駄には致しませぬ。病を治していただいた恩ともども、必ずやお返し致そう」
名のある高僧などとも幾度か会うたことがあるが、久遠以上の者は未だ知らぬ。この国ばかりではない。東国が変わり新たな世を守らんとすることが、わしには朧気ながら見えるのだ。
受けた恩は果てしなく大きい。わしになにが出来るか。分からぬ。
されど、二度と忘れぬ恩として胸に刻んでおく。
Side:久遠一馬
三好家の十河さん、武芸大会のあとも尾張で治療を続けていたが、完治したことにより領国に戻ることになった。
宴や茶会などで何度か会ったし、本人は武芸や政を学んで楽しげだったなという印象の人だ。良くも悪くも素直で、劣ることは劣ると言うし知らないことは知らないと言う。
その分、虚勢や意地を張らないので織田家でも評判が良かった。
「病気治療を名目に屋敷を構えるか。さすがは修理大夫殿だ」
ああ、十河さんと妻子はギリギリで治療が終わったことで領国にて新年を迎えるために戻るが、清洲に貸し与えられた屋敷はそのまま三好家が使うことになった。
長慶さんが一連の治療の礼金を出したことと、今後も病の者の治療を頼みたいからと屋敷を構える許しを求めてきたんだ。
「病気治療名目ならば、屋敷を構えて人を置いても誰憚ることもありませんからね。さすがです」
エルの言う通りだろう。これなら細川も文句を言えないはずだ。
主家である細川京兆との関係、義輝さんとの関係、近江に移行しつつある政治状況の中で京の都を預かる立場。ある意味、史実以上に難しい舵取りを迫られているはずが、卒なくこなしている。
さすがは史実で織田の前の天下人と言われた人だと改めて思い知らされる。こちらの助力が経済支援以外多くないというのにさ。
三好の弱点、斯波や織田との繋がりの薄さと距離があることだったんだよね。今後は家臣を清洲に常駐させて情報収集と協力体制を築くつもりのようだ。
ちなみに細川氏綱さんと義輝さんの許可はあるらしい。
「今後は増えるかもしれませぬな。諸国の者が領内に屋敷を構えること」
「すでに打診はあるのよね。多くないけど……」
資清さんとメルティは今後のことを話しているが。
屋敷に関しては蟹江の北畠は当然として、六角も清洲に屋敷を持っている。政権運営とか人材交流で人の行き来が多いので屋敷を構えているんだ。義賢さんが体裁とか細かいことを気にしないで決断したんだ。
あと真柄さんにも、そこまで大きくないが屋敷を貸し与えている。宗滴さんは牧場にいるが、真柄さんは一種の留学だからね。真柄家とは特に因縁もないし拒む理由もない。
拠点という意味では武士より寺社のほうが優れている。系列の寺が事実上の拠点として情報収集や交渉の際の仲介などしているからね。
「北条も屋敷を構えるだろうね」
北条に関しては、以前から屋敷を構える話はちらちらとあった。ただ、定期船があることで意思疎通にそこまで困っていなかったことで動かなかった案件なんだけど。
近江の御所が出来れば、各地の諸勢力はあちらに屋敷を構えるだろうからそこまで増えないと思うけど。東国の勢力は尾張にも屋敷を構えるだろうね。
尾張、伊勢、近江とこの三国が一体となる今の形を続ければ、畿内を超える日も遠くないかもしれない。
まあ、畿内というか朝廷と連なる旧勢力という言い方が適切かな。三好はどんどんこちら側になりつつあるし。
頼もしいんだけど、敵中に取り残される駒となりかねないから戦略は難しいんだよね。駒という言い方は失礼になるから口には出さないが。
とはいえ十河さんの生存と尾張に出向いての治療という実績は、今後の畿内情勢を変えることになるだろう。
三好、凄いんだけど。いろいろと不運とか早くに亡くなる人とかいたからなぁ。
たださ、ほんと病気治療という名目で出向くことを認め、それを政治的な意味ある形まで押し上げた。長慶さんの凄さがほんとよく分かる。
史実の織田信長以前の旧態依然とした権威がはびこる中で、畿内をまとめつつあった三好長慶の力を見せつけられた。
このまま、頼もしい味方になってほしいね。
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