第百八十四話・旅先でのトラブル
side:久遠一馬
滞在四日目。やっと伊勢神宮への奉納品や供物を船から降ろし終えたので、いよいよ伊勢神宮へ出発だ。
まあ大湊に配る荷物はまだ降ろしてる最中だけど、そこは一益さんに任せた。大湊の商人がよほど馬鹿なことしない限りは問題ないだろう。
最悪の場合は、船で逃げろと言っておいたけど。逃げないだろうなぁ。一応、船を乗っ取られそうな場合は、沖合で待機するようには命じたけど。
連れてきた人員のうち五十人は船の護衛に残したんで、同行する護衛は百五十人。プラス大湊の会合衆が案内役として付けてくれた五十人の計二百人。これに荷運びの馬借と馬。そこにオレたちを入れた大行列だ、文字通りの大名行列だね。
馬とかは、全て大湊の会合衆からの借り物だ。もちろん借り賃はちゃんと払うよ。
大湊から伊勢神宮は近い。荷物を運びながらゆっくり進んでも半日で着くそうだ。
江戸時代にはお伊勢詣りが流行ったというけど、この時代だとそんなこともない。まあ近くに寄った商人や旅人がお詣りに来ることはあるみたいで、それなりに人とはすれ違うけど。
「ええい! 退け!」
「何をしておる?」
「はっ。申し訳ありませぬ。身重の女が道を塞いでおりまして……。神宮の面前で穢れに触れるのもと思い……」
「貴様。神宮の面前で病人を見捨てる気か? ……ケティ。診てやるがよい」
ポックポックと馬の歩く音を聞きながら、少し眠気が込み上げてきた頃、事件が発生した。
どうも案内役の男が、道を塞いで倒れていた妊婦さんに退けと言ったみたいだ。
そのあまりに乱暴な言葉に信長さんは不快そうな表情を顕としてしまい、案内役の男は顔を真っ青にして震えてるよ。
でもまあ信長さんも言い過ぎないように言葉を飲み込み、ケティに治療を命じた。大人になったね。信長さんも。
「ここじゃ駄目。近くの民家に運ばせてほしい」
「はっ。すぐ近くに村があります。そちらに参りましょう」
妊婦さんの容態はあまり良くないらしい。ケティは案内役の人たちに処置するための場所への移動を頼むと、会合衆から付けられた案内役のトップの人が即決した。
信長さんは相変わらず不機嫌そうだからね。御伺いをたてる前に決断したんだろう。
「神宮には遅れると使いを出しました」
「お手数お掛けします」
近くの民家に妊婦さんを運ぶと、驚く村の人たちに事情を話して、さっそくケティとエルたちに侍女のみなさんが妊婦さんの治療を始めた。
伊勢神宮にも事前に行くと連絡してたからね。遅れると連絡してでも治療を優先する。荷は先に運んで、荷運びの人たちは仕事を済ませてもらう。オレたちは目録を参拝時に渡すだけだし。
普通はここまでやらないんだろうな。案内役の人たちは驚いている。
「このまま出産しなくてはなりません。いかがなさいますか?」
「構わん。急ぐ旅でもないのだ」
しばらくするとエルが民家から出てきて報告するが、信長さんも付き合うつもりらしい。
信長さんは先程、村の人に妊婦さんの家族を呼びに行かせた。どうも近くの村の妊婦さんみたいで、この村の人たちも顔見知りらしい。
「あの、この度は本当に申し訳ありません」
「よい。気にするな。全ては神宮の大御神の導きであろう」
妊婦さんの家族は息も絶え絶えで、慌てて来たかと思うと、即、土下座をしたよ。
天気もいいし、ちょっとした日向ぼっこみたいにのんびりしてたオレと信長さんは、そんな家族を見て思わず笑ってしまった。
途中、村の人たちが出してくれた心尽しの握り飯を食べて待っていたけど、かなり気を使わせちゃったみたいだね。大湊に人をやり村へのお礼を用意しないと。
「その方の妻は運がよい。ケティは日ノ本一の医者ぞ」
ケティの治療と出産は日が暮れても終わらなかった。難産なんだろう。オレたちはこの日は村に泊めてもらうことにした。
家族はとても心配そうだけど、武家の奥さんが治療をしてると聞いてどうしていいか分からずに困惑してる。
意外に冷静なのは信長さんだ。こういう時は本当に人の器が試されるね。
「オギャア! オギャア! オギャア!」
そのまま時は過ぎて赤ちゃんの産声が聞こえたのは、翌朝の日の出が間近な頃だった。
「産まれました。元気な男の子です」
「そうか。ようやった」
すぐに侍女として同行していた千代女さんが知らせに来ると、起きていた信長さんやオレに加えて眠っていたみんなが起きて喜びの声をあげた。
子供は宝という感覚なのかね? 妊婦は穢れとかいう時代らしいが産まれるのは嬉しいんだろうね。
「本当にありがとうございました。あまりに少なくて申し訳ないのですが、私どもにはこれしか払える物はありません」
「報酬はいらぬ。神宮の大御神に感謝するがよい」
子供が産まれてホッとしたのも束の間、妊婦さんの旦那さんは改まってぼろぼろの布に包まれた鐚銭を信長さんに差し出そうとしたが、信長さんは断った。
結構、貧乏そうだからね。
でも神様に感謝って本心なんだろうか。信長さんってどこまで神様を信じてるか、分からない人なんだよね。
ただ家族のみなさんは、そんな信長さんの配慮に感激して泣いてる。
助けたこと自体、そんなに大した理由は無いと思うんだけどね。
その後は朝を迎えると妊婦さんも子供も元気らしく、産婆さんも居るのでオレたちは伊勢神宮に出発することにした。
村には一晩世話になった謝礼の銭とお祝いの金色酒を配り出発する。金色酒は船に積んできた予備の分だ。不慮の事態を想定してエルが積めるだけ積ませたらしい。
「旅はいろんなことがあるな」
「ですね。あの赤子がいつか大人になり、礼に来るかもしれませんよ」
信長さんはよほど気に入ったのか、昨日の不機嫌など無かったかのようにご機嫌だ。
旅のトラブルを楽しんでるようでもあるけど。
「それは楽しみだな」
それと信長さんはあの子供に、吉二という名を与えていた。吉は吉法師の吉なんだろうが……二はどっから取ったんだろ?
まあ家族のみなさんが有りがたいことだって、喜んでたからいいけどさ。
元気に育つといいね。
本当、いつかまた会いたいもんだ
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天文17年夏。
信長と一馬が伊勢詣りに行った際に、道中で倒れていた妊婦を助けたとの逸話がある。
当時は、妊婦を穢れと避けるのが当然の時代にもかかわらず、信長は旅の日程を遅らせてまで助けていたとされる。
信長は更に助けた赤子に自身の幼名から取った名まで与えたといい、当時の伊勢の人々を大いに驚かせたと言われている。
赤子の名は吉法師の【吉】と、自身の通称であった三郎と一馬の間を取り【二】の字を与えたと言われ、自分や一馬のように大きく立派に育てと願ったとされる。
この赤子が後年に、織田家と深く関わるのは今更言うまでもないが、この一件が織田と伊勢に与えた影響は大きいと後の識者は語る。
織田は妊婦の穢れをものともせず妊婦と赤子を助けるほど慈悲深い。
人々がそう噂するようになったと言われ、間接的に織田の大きな力になったと言われている。














