第百四十七話・商人の戦
side:久遠一馬
「随分とたくさん運ぶ気だったんですね」
「表向きはただの商いですからな。まして相手は大湊や桑名。こちらは手が出せぬと思ってのことでしょう」
津島には服部友貞に送られるはずだった兵糧や武具が山積みにされていた。
拿捕した船も一隻や二隻ではない。
津島の大橋さんと佐治さんと一緒に船と荷物を確認しているが、中には弓矢や火縄銃に玉と火薬もある。かなり本気で肩入れしたらしいね。
「玉薬に使われてる硝石はウチが売った物でしょう。どこから流れたのか調べさせます」
「伊勢の商人からは荷留は困ると嘆願が来ておりましたが、荷留のいい口実になりますな」
「しかしこうなると願証寺も、本当に破門したのか怪しくなりましたな」
最近困窮していた服部家にしては荷が多すぎる。織田への嫌がらせだとしても。大橋さんは願証寺が裏で動いてる可能性を疑ってるようだ。
そして硝石。エルいわくウチが売った物らしい。伊勢の商人に少し売ったからね。それが流れた可能性もあるか。
「願証寺が織田と事を構える気だとすると、大変なことになりますが……」
「現時点で織田と事を構えることは考えていないでしょう。仮に背後に居るのが願証寺だとしても、恐らくは織田に恩を売るための策かと」
願証寺を疑う大橋さんの言葉に場の空気が一気に緊迫する。
ただエルは願証寺が背後で動いていても、狙いは織田との対立ではなく取り入るためだと考えているようだ。
服部友貞はどのみち捨て駒か。
「願証寺と北畠家と六角家には、動かぬように釘を刺すべきですね」
「騒がせる詫びの品でも贈るか。若様に話してみるよ」
北伊勢は少し面倒な土地だ。北勢四十八家という乱立した国人衆が居て願証寺の影響力が強い。
北畠家は国司ではあるが、南伊勢が地盤なのであまり影響力はない。
北勢四十八家に武家で影響があるのは、北伊勢と隣接する近江の六角家だろう。史実において六角は、このあとも北伊勢で影響力を強めるべく動いていたはずだ。
とはいえ中部の長野家や神戸家を含めて、挨拶をしておく必要がある。まあこの辺りは信秀さんがやってるけど、許可をもらい改めて贈り物をしておくべきだな。
「敵は伊勢商人と願証寺ですか」
「願証寺は証拠がありませんね。今回は伊勢商人に絞るのがいいかと思います。大橋様と佐治様と私どもが力を合わせれば、伊勢湾の交易は織田の物となりましょう」
服部友貞の処遇とか誰も考えてないのが何とも言えないな。可哀想になるくらいだよ。
「しかしいかがなさるおつもりで? 大湊も桑名も手強いですぞ」
「ふふふ。それほど難しいことはする必要はありませんよ。こちらは荷を止めてしまえばいいだけです。商いの相手は別に伊勢の商人でなくとも構いませんから」
敵が決まれば後は対策だ。
エルのやつ。自信ありげに笑みを浮かべていて、大橋さんと佐治さんがちょっと戸惑ってる。
敵に回したら怖いタイプだからな。エルって。
ただ実際はさじ加減が難しいんだけどね。やり過ぎれば恨みが残るし、伊勢の諸勢力を敵に回しかねない。
鍵は六角家かも。信秀さんのとこには今回の件は六角家は関わりがないと返事が来たらしいし。
それでも伊勢の混乱を望まない六角家に商人たちが仲介を頼めば、織田は受けざるを得ない。
ウチとしては友好的な商人には寛大に、敵対的な商人には厳しくするだけ。大湊や桑名の商人の内部を分断できれば儲けものだしね。
side:伊勢の大湊。会合衆
「最悪だな」
「だから言うたであろう。久遠殿を甘く見るなと」
尾張の織田家から、大湊は服部家に味方するのかと問いただす使者が来た。
事の真相はそう複雑ではない。我ら大湊は会合衆が治める町だ。武家でも寺社でもない我ら大湊の商人が治めておる。
敵味方の双方に物を売るのも当たり前だ。商人には敵も味方もないのだからな。今まではそれで良かったのだ。
しかし今や伊勢湾の中心は尾張だ。
無論取り扱う物の量は未だに我らが上だが、金色酒・絹織物・綿織物・砂糖・鮭・昆布・硝石など。選りにも選って手に入りにくい物は、ほとんど久遠殿が南蛮船で尾張に運んでくる。
その久遠殿は同じ商人である我らではなく、尾張の織田家に臣従しておるのだ。結果として売るも売らないも織田家と久遠殿次第になる。
敵対しておる服部家などに物を売れば、関係が悪化して荷が止められるのは分かっておったこと。
せっかく我らが荷止めをせぬように頼んでおった時に、一部のたわけ者が服部友貞に大量に兵糧を売りおった。
「願証寺は?」
「駄目だな。一部は付き合いから服部家を支持する者もおるようだが、上はすでに切り捨ててしまった。破門したそうだ」
「なんだと! ワシはあの男が願証寺も支援すると言うから、あれほどの兵糧を売ったのだぞ!」
だがこちらも予期せぬことがあった。願証寺が早々に服部友貞を切り捨てるなど、我ら会合衆ですら思いもしなかったのだ。
あの腐れ坊主め。願証寺の支援を約束して、一部の商人に兵糧を大量に出させておったからな。
騙された者が悪いのだと言えばそれまでだが、織田と一向宗が争えば伊勢湾の交易は我らの手中に戻ると、要らぬ欲を出して見てみぬふりをした者も多かったからな。
「困りましたな」
「堺の会合衆が動くぞ。連中は久遠殿との取り引きを狙っておるからな」
「不味いぞ! それでは大湊はいかがなる!」
「久遠殿は一度嫌うと相手にしないからな。あちこちに根回ししても無駄だった者もおろう」
事が尾張と伊勢の問題ならばまだいい。厄介なのは堺の会合衆が久遠殿との直接取り引きを狙い、あちこちに根回ししておることであろう。
久遠殿は尾張の商人に織田家がばら蒔いておる米や麦を買わせておるが、堺の会合衆はそれを安価で纏めて売ることも考えておるとか。
両者が手を組めば大湊の立場は益々無くなる。
「詫びを入れるしかあるまい。幾ら出す?」
「詫びだけで収まるのか?」
「ならばいかがしろと!? まさか首でも差し出せと!」
「そうは言っておらん。だが久遠殿の立場になってみよ。矛を収めるには相当の利が必要だぞ」
「ふん。久遠など無視して構わぬだろう。織田に詫びを入れれば良いのだ。それにそもそも織田は勝てるのか? 市江島は大軍で攻めるには向かぬぞ」
会合衆の中でも意見は割れておる。久遠殿と取り引きのある者は、多少の出費をしても構わないので早く収めたいのであろう。
だが久遠殿に嫌われておる者は今更だからな。必要以上に銭を出したくないと。
最初に久遠殿を威圧して従えようとした者など、散々織田家中に根回しして銭をばら蒔いたにもかかわらず、未だに久遠殿との取り引きはできておらぬからな。
不満が溜まっておるのも事実か。
「織田家が此度の戦に勝っても負けても我らには関係ない。久遠殿が荷を運ぶ限り、交易は向こうが有利なのだ。むしろ勝ってくれないと困る。我らに敗戦の責任を取れと言われたらどうするのだ?」
詫びるならば早い方がいい。
勝ってから詫びたのでは日和見しておったと思われるし、負けてから詫びては我らが責められるだけ。
いっそ、ワシだけでも先に詫びを入れに行くか。
織田憎し久遠憎しの奴らと心中などできぬ。














