2.
ピーっとホイッスルの音で真田の視線が沙織から逸れると「さーおりっ!」と後ろから抱きついた。
「初香ちゃん! お帰りなさい」
「ただいまー」
「遅かったね?」
「うん、ちょっと……ね。はい、たのまれてた紅茶買ってきたよ」
「ありがとう」
そう言ってほほえむ沙織はやっぱり可愛かった。
深窓のご令嬢のような見た目でふわっと笑う姿は小動物のよう。思わずわたしより頭一つ分小さい沙織の頭に手がのびる。
「沙織はかわいいなぁー。よーしよしよし」
ワシワシワシと頭の上で手を動かしても沙織の髪はすぐに戻る、がっつりストレートだ。だから遠慮はしない。
「え? 何? 何なの、初香ちゃん」
沙織はその様子に焦ったようだったが、イヤではなさそうで、楽しそうに声をあげた。
そんな姿すらも可愛らしくて、わたしは思わず沙織の細い身体をギュとだきしめる。
「……沙織は一番の友達だよ」
思わず口から零れた言葉は心から出た言葉で、神様にだって『本心です!』と宣言出来る。わたしの奇行に沙織は訳も分からずコテンと首をかしげた。
「? わたしも初香ちゃんが一番のお友達だと思ってるよ?」
ああ、本当に可愛くてたまらない。
やっぱり沙織はわたしの大事な親友だ。
「だよね!」
「うん」
その言葉にわたしは腹を据えた。
その日からわたしの中では真田に対する恋心の一切が消えた。引きずる余地すらなかった。お父さんが趣味で見ているプロレスの試合のゴングみたいな音が頭の中でカンカンカーンって鳴った。
それは『真田への恋心』に『沙織』が圧倒的勝利を決めた瞬間だった。
それからもわたしは真田をよく目で追った。
今までの恋愛フィルターがかかった目ではなく、沙織の恋人になりうる男かどうかを見極めるためだ。友達、というよりは家族の視点に近い。
『中途半端な男に沙織はやれない』
シスコンをこじらせている沙織のお兄さんたちの代役のようなポジションだ。沙織のお兄さんたちからも認められている『沙織の一番のお友達』のわたしがやらないで誰がやるというのか。もしここで私が! 俺が! なんて名乗りを挙げる者がいたら叩きのめすつもりでわたしは真田を追った。
真田はわたしが一度好きになった男だけあって、外見はいいし、成績も上の中くらい。二年生にして、強豪と言われる我が校のサッカー部でレギュラー入りしているだけあって運動神経も抜群だ。
……だがそれくらいでは沙織の恋人になることは認められない。
最終的には中身だ。中身。付き合って速攻で別れるなんてことがあったら、沙織の恋愛経歴と心に傷がつく。それと同時にわたしか沙織のお兄さんたちの誰かの社会的な経歴にも傷がつく。
これはしっかり見極めなければ……!――と真田を追い続けて早一ヶ月。
相変わらず沙織はわたしが真田を好いているのだと勘違いをしていた。
「初香ちゃん! 今聞いたんだけどね、今度の試合はね……」
先ほど他のサッカー部応援仲間もといサッカー部の誰かに好意を抱いている子から教えてもらったばかりの情報を喜々として教えてくれる。
そんな姿すらも愛おしい。
沙織にこのことを教えてくれたのはおそらく三年生の千秋ちゃんだろう。
生まれつきなのだというゆるふわの天然パーマを耳の下あたりで二つに結んだ千秋ちゃんは一年生の春からサッカー部の応援に来ているらしい。フェンスの周りに集まる女子たちの間でも最古参に当たる存在で、同級生や後輩たちからも一目を置かれている。
千秋ちゃんは大の恋バナ好きでよく色んな子の恋バナに耳を傾けては顔を赤らめていた。だがなぜか千秋ちゃん自身のことは絶対に教えてくれない。一年生の頃からずっとっていうことは三年生の先輩なのだろう。そんなちょっぴり秘密を抱えている? 千秋ちゃんはわたし達のことを気に入ってくれており、こうしてよく親切にしてくれるのだ。
「初香ちゃん?」
気がつけば沙織の頭を撫でていて、沙織は不思議そうな目でわたしを見上げていた。これがよく言う、上目使いというやつだ。もちろん破壊力満点!
「沙織、お弁当持って行こうか」
「うん!」
正直言って、もう真田の試合なんて見てもときめかない。
一か月前が嘘のようだが、恋なんて案外そんなものなのかもしれない。初恋だったからよくわかんないけど……。それでも沙織が楽しそうだから、わたしも楽しみなのだ――主に沙織の手作り弁当とサッカー観戦が。
何カ月も見ていればルールは覚えるし、ついつい白熱してしまうもの。恋が冷めても同時期くらいに始めたサッカー観戦の熱は冷めないのだから不思議なものだ。
試合の日、無意識のうちに真田を目で追っている沙織の隣の席から「ちょっと飲み物買ってくる」と声をかけて離脱すると自動販売機へと向かった。
目当てはロイヤルミルクティー。沙織の好きな飲み物だ。
飲み物はたくさん持ってきたとはいえ、そのどれもが麦茶とスポーツドリンクだ。
今ではすっかり顔を見なくなったが、水曜日にスペシャルメニュー目当てで足を運んでいた一年生の美智子ちゃんから『熱中症気をつけてくださいね』と言われてからしっかりと熱中症対策をするようにしている。
年々気温は上がっていく一方で、炎天下の中フィールドをかけ回る選手もそうだが応援する方もやはり熱中症対策は欠かせない。飲み物もその一部だ。他にも手持ちの扇風機や保冷材も持ってきている。だがもう試合は終盤を迎えており、終わるまで残りわずかだ。帰りくらいはあまい飲み物が飲みたい。硬貨を入れ、そしてボタンを押すと背後からは聞きなれた声がした。
「試合、まだ終わってないがこんなところにいてもいいのか?」
秋庭の声だ。
「……なんであんたがこんなところにいるのよ」
「答えになってないな……」
「別にわたしがここで何してようが勝手でしょ!」
「なら俺が今ここにいようが俺の勝手だ」
抑揚のない声で秋庭はわたしの上げ足を取り、そして隣の自動販売機でスポーツドリンクを買った。その様子からするとどうやらわたしと同じように飲み物を買いに来たらしかった。それにしてもどれだけ買うんだ……。秋庭は次々に100円玉を入れてはボタンをおし、そしてペットボトルを取り出す、といった行動を何回もくり返している。
「なんか用か?」
ジッと見ていたからかやがて腕いっぱいにペットボトルを抱えるとこちらをジロリと睨む。
「別に……」
居心地が悪くなり、沙織の待つ観覧席へ向けて踵を返す。
すると「おい!」と後ろから声をかけられる。
「何?」
「こんな暑い中そんなもんばっかり飲んでんじゃねえ」
そういって腕の中にあったはずのペットボトルのうち二本をビニール袋に入れて突き出した。
「何これ?」
「スポドリ」
「いや、知ってるし」
「じゃあ聞くなよ」
それだけ残して、秋庭は観覧席とは違う方向へと走り去った。
「いや、だから……なんであんたからこんなもんもらわなきゃいけないのよ……」
わたしの声は響くことなく消えていった。
仕方なくそれも持って帰ると足音に反応したのか前を向いていた沙織が勢いよく振り返った。
「初香ちゃん、遅いよ。試合、もう終わっちゃったよ?」
「勝った?」
「4-2で、真田くんたちの勝ち」
「やったね」
「うん」
コロコロと表情を変える沙織はいつも通りカワイイはずなのに、わたしの心を占めるのは仏頂面の秋庭だった。




