バレンタイン争奪戦
バレンタイン。
愛する人へ『甘いもの』を送る聖なる日において特別な意味を持つチョコレートが存在する。
『糖の極致』。
とにかく甘く、蕩けるそのチョコレートは他のチョコレートと違い原材料が存在しない──すなわちチョコレートそのままで湧き出る湖である。
『糖の極致』にはある伝承がある。
曰く、恋人に『糖の極致』をプレゼントして、受け入れられれば、その縁は一生途切れることはない、と。
一説には初代『勇者』が恋人を落とした決め手が『糖の極致』であり、以来死に分かれるまでそれはもう甘々馬鹿ップルだったことが由来と言われているが、正確なところは不明である。
とにかく。
そのような伝承がある、となれば、『糖の極致』へと需要は殺到するものであり、『糖の極致』湧き出る湖を領土と持つヘグリアという国はバレンタインに合わせて『糖の極致』をこれでもかというほど売り捌いていた……のだが、
「どうなっているですわよ? どこを探しても『糖の極致』が売られていないですわよっ!?」
豪快な縦ロールが特徴的な少女が頭を抱えて叫びをこぼす。
シンシヴィニア=セレリーン。
セレリーン伯爵家が当主の娘はバレンタイン前日になっても『糖の極致』が一向にどこにも売られていない──そう売り切れではなく売られてすらいない──ことに焦っていた。
押し倒してにゃんにゃんと迫ったアレソレについてはいずれかに語るとして、とにかくベッドの上での闘争など色々あって『恋人』となったゼリシア=キラーゾーンへ送るチョコレートとなればそれはもう特別なものでなければならない。
ならないというのに、望んでいたチョコレートは入手できず。もう明日とバレンタインが迫っているのだから、ここは妥協してでも代わりを求めるべきなのだろうが……、
「妥協なんてできるわけないですわよ。ゼリシアと恋人になってはじめてのバレンタイン、特別なものとしたいですわよ!!」
となれば、だ。
「流通すらしていないとなれば、これはもう現地調達しかないですわよっ!!」
原産地である湖は他国にあるが、シンシヴィニアには転移のスキルがある。移動手段に関しては問題ない。
だが。
人気で売り切れ続出、ならともなく、流通すらしていないとなれば何かしらの問題が起きていると考えるべきだ。べきなのだが、恋人とのはじめてのバレンタインに目が絡んでいるシンシヴィニアはそこまで深く考える余裕はなかった。
転移のスキルが発動する。
身の着のまま、異常事態の中心へと飛び込んでいく。
ーーー☆ーーー
『糖の極致』湧き出る湖はヘグリア国が南部、深き森の中心に存在している。
一面輝く黒なれど、腐敗などの劣化なく、周辺環境へ影響を及ぼすことがないのは大陸史の中でも有名な謎であり、一説には初代『勇者』による祝福であるとも言われている。
そんな『糖の極致』湧き出る湖へと転移したシンシヴィニアは目撃する。甘く波打つ黒きチョコレートを背に武装した数十、数百もの男を積み上げたその頂点に座す一人の少女を。
「ふっはは! まぁた飽きもせず『糖の極致』目当てに迷い込んだ獲物が一人、と」
武装した数十、数百もの男を積み上げていることもそうだが、異様なのはその外側。同じだけの数の女がそれこそ目の奥をハートに歪めていると錯覚するほどに蕩けた表情で一人の少女を見上げているのだ。
少女は言う。
男たちを玉座とし、女たちを侍らせて。
「『糖の極致』を諦めて今すぐ消えるか、『糖の極致』を欲してミリファちゃんに食べられちゃうか。さあさ、どっちにする?」
「……『糖の極致』が流通していないのは、貴女が独占しているからですわね?」
「質問で質問を返すなんて生意気なんだから。まあいいや。その通り、で、だから? 選択肢は二つ、それ以上も以下もないって」
「いいえ、わらわは三つ目を選ばせてもらうですわよ」
ばっ!! と両手を突き出し、魔法陣を展開。シンシヴィニア=セレリーンは真っ直ぐに人肉の玉座に座す女王へと言い放つ。
「貴女から『糖の極致』を奪わせてもらうですわよお!!」
放たれるは紅蓮の猛火。槍のように束ねられた一撃が大陸でも珍しい黒髪黒目の少女へと殺到、そして──ぎゅるんっ!! と、触れたと共にその身に吸収された。
「な、ん……ッ!?」
「ふっふ、ははははは!! あーあ、選んじゃった。立ち向かうなら、仕方ないよね。『糖の極致』を誰のために追い求めたなんてどうでもいい。だって、ふっふ、私を前とした時点でそんなもの無為と霧散するんだから。有象無象の、あの人以外の好きなんて儚いもの。私なんかに塗り潰されちゃうものなんだからねえ!!」
代わりというように、黒髪黒目の少女の全身から金色の光が噴き出す。金の破滅が煌めく中、少女は微かに目を細めて、
愛情なり友情なり、眩しくて大切で光り輝くものをぶぢゅって塗り潰して、私色に染める。ふははっ! こんなにも楽しい遊びはないよねーっ!!」
そして。
そして。
そして。
金色の光が放たれる、その寸前に。
ゴッバァッ!! と炸裂した閃光が金に煌めく少女を薙ぎ払った。
「ふっはは! この程度で私が──」
少女は玉座に腰掛けていた。
では、その位置は?
「ふぎゃあ!?」
どっばぁん!! と勢いよく背後の『糖の極致』に落ちる少女。チョコレートの湖に飛び込むとはメルヘンなものだが、現実にそんなことをすれば全身の穴という穴にチョコレートが入り込むのだから幸せよりも苦痛が勝るというもの。
夢は夢のままで終わらせたほうがいいこともある。
「シンシヴィニアちゃんっ、逃げるちゃんよ!!」
「ゼリシア、なん──」
「いいから早くちゃんっ!!」
金色が這い出てくるよりも早く、おそらくは金色の少女を薙ぎ払った閃光を放ったゼリシア=キラーゾーンがシンシヴィニア=セレリーンを伴ってその場から消え去る。
転移。
全知全能を誇るゼリシアであれば、シンシヴィニアが出来ることくらいは容易く成し遂げる。
ーーー☆ーーー
べちゃり、と。
『糖の極致』が湧き出る湖から這い出た少女は口の中に広がるチョコの甘さに表情を歪める。
これじゃない。
足りない。
「大丈夫ですか!?」
「ああっ、我が愛しい君に何という狼藉を!!」
目をハートとして侍る女たちが騒ぐが、そんなものに興味は湧かない。簡単に手に入るような、そう、少女の手で覆る程度の好きしか持たない有象無象などどうでもいい。
「ちえ。虚しいだけだなぁー」
あの『姫君』は。
彼女の好きは、やはり他人のそれを奪ったからといって代替えできるものではなかったから。
「いっそのことカミサマにでも墜ちちゃえば楽になれるのかもね」
ーーー☆ーーー
「ばかちゃんっ! シンシヴィニアちゃん、何に手を出したかわかっているちゃん!?」
ゼリシアが住む屋敷、その一室のベッドの上へと転移して早々、ゼリシア=キラーゾーンはシンシヴィニアの肩を掴み、そう叫んでいた。
全知全能。
神羅万象、この世界を構築するあらゆる知識と能力を持つゼリシア=キラーゾーンの顔に焦りの色が浮かんでいるのだ。
「あれはミリファ。全知全能でさえも詳細不明なイレギュラーよ!! この世界におけるあらゆる因子を扱えるはずのあたしでさえもミリファが扱う力は使えず、ミリファに関する情報は習得不可能なんだから!! あんなのに手を出すなんて危ないことしないでよ!!」
その言葉の節々から、いつものゼリシアらしさが抜け落ちていることからも、彼女の焦りようが伝わってくる。
ミリファ。
かの金色の少女は全知全能でさえも畏怖する『何か』なのだろう。
それでも。
だとしても。
「だって、妥協したくなかったんですわよ。ゼリシアと恋人になってはじめてのバレンタイン、とびっきりの『甘いもの』をプレゼントしたかったんですわよ!!」
令嬢らしからぬ、それでいてシンシヴィニアらしいとも言える叫びであった。
無数の過去、そして現在に続く過去。
いずれにおいてもシンシヴィニア=セレリーンは妥協を知らず、己が望みを曲げることなどなかった。
邪魔するなら、ぶっ飛ばす。
その末に彼女は全知全能さえも即答で敵と回したのだから。
「本当、ばかなんだから」
「う。でっ、でも!」
「『糖の極致』は確かに珍しいチョコレートかもしれない。だからってあたしにとっての『特別』が『糖の極致』になるってわけじゃないよ」
「ぜり、しあ……?」
カァッ、と。
顔を赤くして、全知全能であっても制御不能な感情のままに、ゼリシアは想いを吐き出す。
「シンシヴィニアちゃんと、恋人と過ごす日々こそあたしにとっては『特別』なんだから!!」
だから、と。
差し出されるは可愛らしく包まれた小さな箱。開けられたそこにはハートに形作られた小ぶりのチョコレートがいくつか並んでいた。
「これじゃあ、だめ?」
それは。
見るからに歪な、そう、まるで、
「それ、手作りですわね?」
こくん、と。
自信なさげに、それでも頷くゼリシアの姿を見てはもう我慢の限界だった。
「だめなわけないですわよっ!! もう、もうもうっ、たまらないですわよーっ!!」
「うひゃあ!? やめっ、なんでそうすぐ押し倒すちゃん!?」
「ゼリシアが誘うからですわよーっ!!」
「さそっ、誘ってなんかいないちゃあーっん!!」
今日は。
甘く、『特別』な一日となった。




