(20)清く正しく美しく(別れが近いようなので)
530部隊のキャンプに李明明が戻ってきた。
偵察を終え、報告のために花梨のテントに入ると、そこには柚子がいたので、なぜか腹が立つ。
「構わないよ。報告ちょうだい。さて君の能力で、何が分かった?」
李は遠方での出来事を明確に察知できる観察眼の持ち主だ。スナイパーや諜報活動においてもその能力は秀でている。少し前までは魔石中毒で、いろいろな声が雑音のように聞こえ、幻視もあったが、520階の件で回復し、今は貴重な人材だ。
「報告。M3ラボにて大量にモンスターが発生。ハモンド首謀で、暴動を計画している模様。攻略隊が迎撃態勢を整えております。モンスター五千に対して、使えそうな攻撃力は五十です」
「一人あたり百匹か、きついなぁ」
柚子は付け加えた。
「陸番隊までがキャンプにいるけれど、陸番隊は雑務が中心の事務方だから、戦力としては期待できないわよ? 使えるのは実質三十人っていうところかしら」
花梨はため息しか出ない。
「攻略隊が全滅っていうのは今後の方針に係わる。まずいなぁ。西尾くんは元気になった?」
「今日も部屋で寝ているわ。体力的には問題ないと思うけど、ふさぎ込むことが多くて。食欲も落ちているし……病気が悪化したかもしれないわね」
「それでも西尾くんには動いてもらうしかない」
李は俯いたまま訊いた。
「西尾の病気の悪化とは、魔神に近くなったということでしょうか?」
柚子は答えなかった。また西尾が魔神だから殺していいかと始まる予感がした。花梨は李に問う。
「魔神、魔神っていうけどさぁ、君の眼で地下にいる魔神はどんな感じに見えたの?」
「魔法石の影響があまりに強いので、正確に察知できませんが、おおよそ人の形をして眠っているようです」
「それだけ?」
「想像より歳若く、イケメンで閉じ込めておくにはもったいない感じがしました」
「そこ?」
「姿がオズワルド・アルバーンでした」
花梨は微笑んだ。
「知っていたか。隠しちゃだめでしょ。それでどう思ったの?」
「ムカつきました。あれが魔神なら、私のターゲットではないです。やはり魔神の気配があるのは潔癖症の西尾です」「またそれを言う!」
「西尾が魔神ではないというなら、私の探している魔神はどこですか!?」
花梨は頭を掻いた。ここは正直に答えるしかない。
「アルバーンは魔神に魔法を使わせないために、肉体と精神体に分割して封印した。精神体はアスタロットのはるか上空。そして肉体は一匹の強力なモンスターとなって、M3魔法石の威力が有効範囲内で徘徊している。もちろんダンジョン最強。M3を徘徊するラスト・モンスター、LM4と僕は呼んでいる」
李は眉間を寄せた。二つに分割されているなんて思いもよらなかった。
「つまり400年間、ずっと戦闘中だったということですか? アルバーンはM3魔法石で防御しつつ、魔神を肉体と精神に分けている。魔神の身体はLM4となってM3魔法石周辺から上へ、精神体のある場所へ脱出しようとしている?」
「正解!」
「どうしてそんなに複雑になっているのですか?」
「軍の正義のためだ。清く、正しく、美しく。魔神討伐のために正義の拳を振るう。耳ざわりがすごくいいだろ。
地下にいるアルバーンが必死で戦っているけれど、その魔法石、ざっくり頂戴します。だって便利だし、儲かるから!
それが表面化すれば、批判が出る。アルバーンは死んだ。代わりに軍が魔神と戦う、だから魔法石を掘削するのは正しい。そういう理由を必要としている」
「大人って汚い!! それはやってはいけないことです!」
花梨は笑った。
「軍にいて、欠片でもその話をすると530部隊行きになる。僕も柚原も、来駕も徳井もみんなそういう道を歩んできた。西尾家全体に関しては完全に巻き込まれて、抜け出せなくなっている」
「――でも西尾からは魔神の……」
「西尾くんから魔神っぽいものを感じているからだろう? でも彼は魔神ではない。西尾くんは被害者だ」
「被害者にしては攻撃的すぎます」
「君だってそうだろ。家族を失った者はみんなそうだ。西尾くんは一家全員、被害を受けている。それも全て軍の策略のせいだ」
「軍なんて!」
李は強い声で非難した。
「西尾くんも同じ気持ちだよ?」
「西尾も悪です。たくさんの人を犠牲にした! 攻略隊を壊滅させたのに、罪に問われなかった。きっと裏で手を回したに違いないんです」
柚子は言う。
「彼は純粋よ。罪悪感があるから病になったの。決して望んだことではなかった。結果として彼は多くの他人よりも、たった一人の家族を救うことを選んだ」
「あいつは簡単に人を殺せる」
花梨は言った。
「そうかもしれないね。だって僕らは軍人だ。軍の命令ならば人殺しも任務。人のことは言えないよ。君だって軍人だから、僕が命令すれば人を殺さなきゃならない。でも君が西尾を殺そうと思っているのは、単なる復讐だ! 自己満足の、何も生み出さない達成欲だ」
「……。」
「清く・正しく・美しく。清い心で正義を貫き、美しく生きる。そこに殺人行為は絶対に含まれない。
我々の任務は清掃だ。汚い大人の考え、欲にまみれた悪い輩を排除するのは認めよう。そうでなければ日日是好日・日日是清掃とはならない。
君はうちの清掃員だ。殺人者となるなら、貴様は要らない。それは単なるクズだ」
「清掃員なんて、なりたくてなったわけじゃない」
柚子は怒りに満ちた。
「いい加減にしたら? 西尾がどんなにあなたの復帰を望んでいたか分からないの?」
「そんなこと分かりません」
「西尾は黙っていろと言ったけれど、もう我慢ならない。
言わせてもらうけれど、あなたが精神病院からこの部隊へ移動できたのは西尾の口利きがあったからよ。リートルード大尉の恩情で西尾が面倒を見る約束で自由になったの。
魔石中毒患者の高価な薬になる原料を取ってくるのも西尾しかできないことだったし、花梨に精製してもらって薬を作ってもらうために、西尾は花梨の我儘を受け入れている。
さんざん世話になっておきながら、あなたは西尾に何をした? 銃弾で撃っただけでしょう」
「私はそんなこと、知らなかった! ちゃんとそう言えばいいじゃない」
「彼は全てを見極める眼を持っているわ。李が西尾に魔神を感じていることも承知しているし、魔神を許さないこともとっくに知っているわよ。
李の気持ち、ちゃんとわかっている。小手先の優しさでは意味がない。ちゃんとあなたが元通りに更生するまで面倒みると、私に伝えてくれたわ」
李は何も言えないまま、視線をずらした。時を見計らったかのように、男の声がした。
「花梨さん、入ります」
マスクをした青年が入ってきた。切れ長の色気立つ瞳、細面の美男である。サラサラの黒髪に長い手足でスタイルも良い。李の好みであるが、知らない人間だ。
柚子の顔をじっと見る。
「……個人情報の漏洩は困ります」
花梨は慣れた様子で笑っている。
「だって李が君のことをまだ殺そうとしているからだよ」
李はバッと音が立つほど振り向いた。
「西尾!?」
西尾は蔑むような瞳で李を見た。
「いたのか。身長が低すぎて分からなかったぞ。花梨さん、地下が騒がしいようですので、状況確認に参りました」
「待っていたよ! ハモンドがついに動いた。モンスター五千だ。頼むよ」
西尾はしばらく黙っていた。
「大尉からは何の指令も出ておりません。しかも音信不通です」
「でもさぁ、まずいでしょ、攻略隊全滅っていうのは。今後の商売に響くし」
「命令がないのですから出ません。攻略隊諸君は潔く全滅する。それが軍略なのですから守っていただきませんと困ります」
「僕らが死んでも?」
西尾は平然としている。
「どうせ死ぬ前に逃げるでしょう? 花梨さんは逃げ足早いから大丈夫です。魔法石の在庫もほとんどありませんね。こうなることは承知の上としか思えません。どこに売りつけたのですか?」
花梨は美しい微笑みで言った。
「極秘ルートに五割増しで」
「それで私に出動しろとは酷なことを言いますね。確かに無理ではありませんが、病み上がりということも考慮してください」
花梨は不機嫌だ。
「李に撃たれる前に、緑をごっそり手にいれただろう? 空一面に緑色になるくらいだったのに全部!! それを使いなさいよ。あぁ、僕の分ぐらい取っておいて欲しかったな」
「あれなら全部使ってしまいました。在庫はありません。むしろ足りなかったぐらいです」
花梨は目を丸くした。
「うわ、やっちゃった。期待していたのに! 普通の人間なら十年ぐらい保てるのに、たった一度で使いきった! 何使ったの!? 何も起きていないよね?」
「私用です。さて、モンスターが来るなら、まずこのキャンプが危ないですね。撤収の準備に入ります」
柚子は呟いた。
「助けてくれないなら、その顔、世間に晒すわよ?」
小さな脅迫に、西尾は微笑んだ。
「どうぞお構いなく」
「本気?」
「ええ。大尉はまめに連絡をくださり、真面目な方ですので、やましい気持ちがあるから私に連絡できないのでしょう。時が来ました。これでお別れです」
「!」
「上層部にサイ・フォンデールの存在が気付かれてしまった。大量の緑色の魔法石をハモンドに見られてしまいましたし、コーベット中尉の証言もある。私とサイが一緒にいるのは目立ちすぎる。
彼には居場所も無いですが、しばらく大人しくしていれば、見つからないで済む。
私は出ていきます。大尉には逆らえませんし、所詮軍の犬ですから任務に戻ります」
「ダメだ。そんなことして、奴らに何をされるか分かったものではないだろう!」
「確かに研究対象としてM3ラボあたりに収監されるかもしれませんが……。大尉を信じることにします。花梨さん、エバーグリーンと、サイ・フォンデールのこと、宜しくお願い致します。柚子さん、三年にわたり匿っていただきありがとうございました」
一礼して去ろうとする西尾に花梨が駆け寄り、隊服を押し付けた。
「忘れ物だ。持っていけ」
西尾は躊躇いがちに受け取った。
「君がいなかったら、僕の野望が叶えられないだろ。命令だ。必ず戻ってこい! 我々は誇り高く、不正を許さず、美学を貫く」
西尾は厳しい顔で花梨を見ている。花梨は続けて言った。
「そして魔神を倒す。軍の悪略には決して従わない! だけど……生きのびろ! 絶対に助けるから!!」
その夜、花梨は人が変わったように、冷たい瞳で魔法石を眺めていた。
ハモンドが攻撃を仕掛けてくるまで、あと数時間の猶予はありそうだ。
「参ったなぁ。西尾くんが頼りだったのに」
これでは作戦にならない。西尾が派手にモンスターを倒している間は研究所が手薄になる。それを見計らって、研究資料を盗むつもりだった。しかし西尾以外に、世間の注目を惹きつける存在などあるだろうか。
「サイ・フォンデール」
花梨はそう呟くと、含み笑いをした。




