36. 今日は人生、最高の日だ!!!
裁判が終わった後、メリルはマリー公爵令嬢に、あるお願いをした。
「マリー様の裁判で着ていた服は、モニークが仕立て、わたしとロジェが生地を作ったと一筆、書いてくださいますか?」
「それは、もちろん……」
「ありがとうございます」
マリー公爵令嬢は手紙をしたため、家紋入りの封蝋をした。手紙を受け取ったメリルは深く礼をした。
「あなた方には本当に世話になりましたね……」
「とんでもない。今後ともモニークの店と、ティシュー・アーベルを贔屓にして頂ければ」
「えぇ、それはもちろん……わたくしは領地に帰ってしまうけど、またドレスを、あなた方に頼みたいわ」
メリルは目を爛々と輝かせた。
「ぜひ! お待ちしております!」
マリー公爵令嬢から手紙をもらったメリルは、ロワール公爵からも手厚く礼を言われた。謙遜してしまったが、親子が揃っている姿を見て、メリルの心はあたたかくなる。
メリルは、ほくほくの笑顔だった。それを見たロジェとモニークは首をかしげる。
「なぁ、メリル。その手紙、どうするんだ?」
メリルは、にやぁと笑った。含みのありすぎる笑顔に、ロジェはぎょっとする。
「当然、新聞社に売り込むためよ」
メリルはまだ怒っていた。
文句を言わないと気がすまなかったのだ。
*
都市に、キャベツの葉という名前の新聞社がある。挑発的な文章が売りだ。王族や貴族の卑猥な風刺画はウケがよく、部数を伸ばしている。
メリルとモニークのことを最初に書いたのも、この新聞社だった。
編集長は、伸びに伸びる部数に鼻をふくらませていた。
「ははは! 都市一番の部数になったぞ! 馬鹿な王子様が婚約破棄なんかしてくれたから、儂らは大儲けだな!」
「記事の内容も濃くできましたしね。やっぱり、デジー伯爵家の情報がよかったんでしょうね」
「あぁ、まあ、そうだな。婚約破棄のついでに破談になった恨みに俺たちに情報を流すなんて。お貴族様は怖えぇなあ」
下品な笑い声をあげる編集長に、記者の男も頷く。
「とにかく殿下を潰したい一心でしたものね。あぁ、そういや、破談になったのって、もう一組ありましたよね?」
「ん? あぁ、警察幹部の息子だな。デモが起きても、警察は見て見ぬふりをしてくれたからな。破談になった恨みを抱えてたんじゃねえのか? 怖い怖い」
怖いと言いながらも、編集長は愉快そうだ。記者の男も笑い出す。
「警察が動かなかったので、俺らもやりやすかったですね。でも、裁判が終わったら、部数は下がりますね」
「なあに、次はマリー公爵令嬢を追えばいい」
「彼女をですか?」
「ウィリアム王子といい仲なんだろ? 婚約破棄された令嬢と隣国の王子のスキャンダル。卑猥な風刺画をつけたら、いいネタになりそうだなぁ! 」
がはは!と大口を開けて笑った時、カランコロンとドアベルが鳴る音がした。
編集室はオープンフロアになっていたため、誰が来たのかすぐに分かった。
見えた人物に編集長は、ぎょっとした。
「こんにちは、はじめまして。キャベツの葉っぱさん。わたしは、メリル・ジェーンです。以前は大々的に、わたしたちのことを書いてくれてありがとうございました」
メリルはにっこりと笑った。もちろん、皮肉で言った。すっと開いたメリルの瞳には、冷ややかさがあった。
編集長はその冷たさに一瞬だけ怯んだが、相手は小娘である。何を恐れることがあるのかと、開き直った。
「……これは、これは……ジェーンさん、何の用ですか?」
「あなた方の大好きなネタを持ってきたのよ」
メリルの狙いは、散々な言われようだった新聞社への仕返しだった。
自分たちがマリー公爵令嬢の力になったことをババン!と叩きつけて、モニークを愚かな仕立て屋と書いたことを後悔させてやろうと思ったのだ。
しかし、状況が変わった。
「どんなネタですか?」
「やっぱり、教えないわ」
メリルは肩をすくめて、しれっと言った。
編集長はずっこけそうになり、こめかみをひくつかせる。
「それは……ないんじゃないですか?」
「あらそう?――マリー様とウィリアム殿下で、卑猥な風刺画を描こうとしている愚か者に渡すネタはないわ」
メリルは怒気を含んだ声で言った。
ドアを開いた時に、下品な声が聞こえたのだ。
そして、ロジェとモニークに外で待機してもらい、ドアを少し開けてもらっている。どうやら、編集長は気づいていないようだ。
メリルに愚か者と言われて、編集長は顔を真っ赤にした。
「何を……! 貴様! 訴えてやる!」
「ご自由に。愚か者に負ける気がしないわ」
「ぐぬぬぬっ。報道の自由を侮辱する気か!」
メリルは鼻で笑った。
「報道の自由?――下半身でしか物事を見れない人に言われたくないわ。真実を真摯に伝えたい人にとって、あなたは害でしかない」
「貴様……!」
激昂した編集長がメリルに掴みかかろうとする。
しかし、メリルはひらりと横にずれ、ついでに足を出した。
編集長はメリルの足につまずき、どてん!と床に倒れる。
まるで潰れた蛙のような編集長に向かって、メリルは言う。
「あら。ごめんあそばせ」
「ぐぬぬっ……おちょくりよって……」
編集長が立ち上がった時、バァン!とドアが開かれた。
「ったく……本当、メリルに付いていくのはハラハラするなぁ」
ロジェはぶつぶつ文句を言いながらも、外を指し示す。
新聞社の外では、モニークが大声を出していた。
「ひどい!ひどいわああぁぁああ!
この新聞社! 傷ついた女性に追い討ちをかけるような記事を書こうとしているんですぅうう!!!」
外に向かって叫ぶモニーク。行き交う人は、足を止めて集まってくる。モニークは聞き耳を立てていた事実をペラペラしゃべった。
「はぁあ?! マリー様で卑猥な記事を書こうってのかい?! 馬鹿じゃないか!」
たまたま通りかかった肉屋のおかみが怒号をあげた。
どすどすと、豊満な体を揺らしながら、新聞社に乗り込む。人々が流れ込んできた。
編集長はそれでも、開き直る。
「なんだ、なんだ。お前らが望んでいるものを俺たちは書いてんだよ! 貴族のスキャンダルを書いて笑ってんのは、お前たちだッ!」
編集長は唾を飛ばしながら、わめきたてる。
「お前たちが、全部、悪い! 俺らじゃない!」
「――わたしたちが望んでいるもの? 傲慢ね。記事を読んで、何を感じるかは、わたしたちの自由よ。決めつけないで頂戴」
メリルの言葉に「そうだ、そうだ」と、声が響く。肉屋のおかみが声を張り上げた。
「何を感じるのかは、あたしらの自由だよ! 馬鹿にしないでおくれ!」
編集長は怯んだ。騒然としている間に、メリルはロジェとモニークと共に、新聞社を出ていった。
「ロワール公爵に手紙を出す。マリー様の警護を手厚くしてもらうわ」
メリルは腹が立ってしょうがなかった。
(これ以上、マリー様を傷つけないでよ! 第三者があれこれ、うるさいったらない!)
メリルはかっかしながら家に戻った。
ロワール公爵に手紙で事を伝え、マリー公爵令嬢の警護の強化を頼んだ。
ロワール公爵は激怒し、新聞社に苦情――ではなく脅しをかける。
そのおかげで、メリルたちはマリー公爵令嬢を陰で支えた立役者として、別の新聞社で報じられるようになった。
キャベツの葉は悪評がたち、部数はさがり、編集長はげっそりとしている。
怠慢だった警察にも注意が入り、婚約破棄に巻き込まれて破談になった二組のカップルは、再度、縁談の話が進められることとなった。
モニークはその後、ルイーズ姫付きの仕立て屋に抜擢され、服飾業界で、流行を作るファッションアドバイザー――モード商となる。
モニークは再び、一流への階段を駆け上がっていった。
そして、メリルとロジェは変わらず一緒に仕事をしていた。
マリー公爵令嬢を助けた新聞効果もあり、ティシュー・アーベルは売れに売れている。メリルは嬉しい悲鳴をあげていた。
そんなある日、メリルとロジェはボネ夫人の依頼で、修道院に行くことになった。
修道院には孤児院も併設されており、ここに住む子供たちは学校へ行く。
学校の卒業生たちの服を作る依頼を受けていたメリルはふたつ返事で了承した。
メリルは仕事の内容を確認すると、孤児院の訪問を考えた。
「依頼内容は、絵本の作成ですって」
ロジェに話しかけると、彼は首をひねった。
「絵本? 布でか?」
「そうよ。子供たちが夢中になりすぎて本を破くんですって。それなら布で作れば、破けないものが作れますって、マダムに言ったのよ」
「ほぉ。それは、いいな」
「どれぐらい乱暴に扱うのか、この目で見てみたいわ。どの絵本がいいかも知りたいし」
メリルはそう言って、孤児院へと向かった。
現場は、想像以上であった。
「いやぁああぁああ! わだじのー!」
「うえぇえぇっ! ミアちゃんが絵本を独り占めするぅううぅう!」
女の子たちが、灰かぶり姫の絵本を巡って、壮絶な争いをしていた。
シスターから話を聞くと、本の取り合いは日常茶飯事だそうだ。
人気なのは、キラキラのドレスを着た灰かぶり姫。
(これは……想像以上のものだわ。しっかり作らないと、布でも破けるわね……)
メリルが息を呑んで見学をさせてもらっていると、泣いている女の子たちの元にシスターが近づいた。
その人物にメリルは目を大きく開く。
「あらぁ、ふたりとも。そんなに泣かないの」
シスターは、キュキュロンだった。
裁判で会った時とは、うってかわった風貌だが、黒い服を着ても美貌は衰えていない。
キュキュロンは膝をまげて、艶やかに微笑む。
「ふたりとも灰かぶり姫が好きね。だったら、素敵な魔法をかけてあげるわよ」
キュキュロンは微笑むとポケットから薄桃色の口紅が入った小さな箱を取り出す。
「石鹸に花で染色したのよ。ふたりの唇に塗ってあげるわね」
キュキュロンは泣き止んだ女の子の唇に紅をさした。
「素敵になったわ。ふたりとも可愛いわよ」
にっこりと微笑んだキュキュロンに、女の子たちは目を耀かせる。
「「ありがとう!お母さん!」」
キャーと騒ぎながら、鏡の代わりに窓へ向かう女の子たちをキュキュロンは目を細めて、見送った。
キュキュロンがメリルを見る。
メリルはぐっと口を一度、引き結んだ。大きく息を吐き出し、冷静さを取り戻す。
そして、スカートの端を指で摘んで、軽やかな礼をした。
キュキュロンは瞬きをすると、腰を持ち上げた。裁判で見せていたような挑発的な笑みを唇に浮かべて、メリルに近づき、話し出す。
「ボネ夫人から伺っていますわ。あなたが国、一番の生地屋さん?」
国、一番と言われてメリルの心に火がついた。
「まだまだ修行の身です。ですが、シスターのお眼鏡にかなうものを作らせてもらいます」
そう言うと、キュキュロンはクスクス笑った。挑発的なものではなく、純粋に楽しそうだ。
「ふふっ。あなたって、やっぱり、いい目をするわね。絵本、楽しみにしているわ」
そう言って、キュキュロン夫人は踵を返した。
孤児院を出ると、ロジェがメリルに話しかける。
「元公妾がいるなんて、驚いたな……彼女、ここにいたんだな」
「そうね……」
「メリル、大丈夫か?」
ふいに心配そうな顔をされて、メリルは首をひねる。ロジェは言いにくそうに頬をかいた。
「……メリルはあの人にいい感情を持ってねえだろ?……仕事、受けるのか?」
メリルは複雑な心のうちを吐露した。
「あの方がマリー様にした仕打ちは許せないわよ。でも、それはそれ」
女の子に接するキュキュロンは、子供を大事にしていそうだった。その心に、報いたくなった。
「相手が誰であろうと、わたしは仕事をするわ。その人が望む以上のものを作って届けるだけよ」
メリルが凛とした声で言うと、ロジェは目を細める。
「……いいな。その顔……」
「え?」
「メリルの負けてられっかって顔、すげえ好き」
甘い声で言われて、メリルは赤面した。
「きゅ……急に…言わないでよ……」
メリルは恥ずかしくなり、頬を膨らませる。そんな彼女を見て、ロジェは、ますますにやけた。
「可愛いな。あー、結婚してぇ」
ついでに本音が漏れた。
「え……?」
「あ……」
メリルが目を点にして、ロジェも目を点にする。
ふたりはそのまま固まった。
(え? 結婚? 誰と誰が?)
メリルはあまりの衝撃を受けて、状況が理解できていない。
一方、ロジェは変な汗が止まらなくなる。
(やべぇ……言っちまった……プロポーズはメリルが好きな料理をしこたま作って、満腹にした後に言おうと思っていたのにっ!)
ロジェの頬に熱が帯びる。それを見て、メリルはプロポーズされていることに、ようやく思い至った。ぶわっと、火がついたように赤面する。
「え? 結婚?! ……ちょ、ちょちょちょっ……! ちょっと待って! ま、待って! 待ってえ!」
メリルが気づいたことを素早くキャッチしたロジェは、好機とばかりに畳み掛けた。
「待たない」
逃げようとするメリルを抱きすくめる。
「俺は本気でメリルと結婚したいんだけど、メリルはどう?」
メリルは脳天から煙がでそうなほど、混乱し、やがて目を点にした。口は、ぽかんと開けっ放しだ。
三分が経った。
あまりにメリルが無反応なので、ロジェはちょっと不安になった。そわそわと落ち着かなくなり、呟くように言う。
「……メリルと、……結婚したい……です。いかがでしょうか……?」
気弱な声でお願いを口にすると、放心していたメリルが我にかえった。
もじもじと体を揺らしながら、しどろもどろに言う。
「あの……よろしく……お願い……します」
蚊の鳴くような声で言うと、ロジェはむぎゅっと強く抱擁した。
「くぅぅぅぅっ! やったぁぁああ! 今日は人生、最高の日だ!!!」
ロジェは嬉しさを爆発させて、満面の笑顔になる。メリルはそれを見て、はにかんだ。ふたりは見つめあい、最高に幸せなキスをした。
メリルとロジェはその後も生地を作り続けた。その種類は三万パターンにのぼる。
人を笑顔にする生地。ティシュー・アーベルの名前は、国を越えて、トリア国まで伝わるようになる。
知る人ぞ知る上質な生地は、メリルの息子の世代にも受け継がれた。
血筋が途絶えても、他の捺染職人が生地のデザインを受け継いでいった。
道を馬車ではなく車が走り、新聞よりもスマートフォンという電子機器で情報を知る時代になっても、メリルとロジェのデザインは人々のそばにある。
メリルが願い、愛したデザインは、二百年後も誰かを笑顔にしているのだった。
―― Fin
©️長月 おと 様
ロジェは、一応、正ヒーローなのに、最後まで肉食系にはなれませんでした。
小市民、メリルの話をここまで読んでくださってありがとうございます。
投稿を初めて四年。初めて、長編を毎日更新できました。
更新のたびに並走してくださった方々には、とっても感謝しております。書き終わってからの連載でしたが、感想をもらって改稿していたので、一緒に物語を作ってくれた、という感覚が強いです。多謝!
よろしければ、↓下↓にある、☆☆☆☆☆をポチっとして、応援していただけますと、また頑張るー!となりますので、よろしくおねがいします!




