35.聖女は茨のダンスホールで、王子様と踊る side 公爵令嬢
改稿したら、かなり長くなりました!
お時間があるときにでも、お読みください!
裁判の判決が出た。
公表は大聖堂で行われたが、ガブリエル王太子の姿は見られなかった。
シャルル王子とマリーの婚約証明書は偽造されたものと判明。偽造は、ヤニス枢機卿の単独で行ったものとされた。
教会側は失態を認め、他国にある聖地に赴き、教皇へ報告すると公表。
教皇の采配によっては、教会の上層部は、罷免され、新しく入れ代わることになった。
マリーの落ち度は何一つなく、ガブリエルは婚約者としての義務を果たしていないとされた。
ガブリエルは廃太子になる。だが、今すぐではない。
ルイーズ姫が八歳であることから、数え年で十四歳――成人した後に正式に廃太子になることが告げられた。
それまで、ガブリエルは離宮で軟禁となり、表に出てくることはない。
裁判では語られなかったが、ガブリエルの軟禁はポワソンが指示したことだ。
ガブリエルを市井に放逐すれば、殺気だった市民に襲われる危険がある。
ガブリエルの命が惜しいというよりは、市民が愚かな王太子を倒して、英雄視されるのをポワソンは危惧していた。
今や王家への信頼は、地に落ちている。
活気づいた市民が、王家を否定し、革命を起こせばこの国はどうなるのか。
また幾人の血が流れることだろう。
先の戦争で幾千の命が失われた。
もう充分だ。血は見たくなかった。
例え、底の空いた船であろうと、船は船である。
漕ぎつづけられるまでは、オールを持つ。
自分が転覆するまでには、次世代が新たな船を作ることだろう。
ポワソンはそう思い、ガブリエルの軟禁が最良の道であると信じた。
何はともあれ、マリーの名誉は守られた。判決が高らかに告げられた時、聴衆は歓喜の声をあげた。
「うおぉおおぉおおお!」
地響きのような声が大聖堂を揺らした。
メリルは両手をあげて笑顔で万歳をした。
ロジェに抱きつき、くるくる回る。
「マリー様は悪くない! 悪くないのよ!」
「あぁ!そうだ!悪いのは浮気した王子と、奴を庇おうとした奴らだ!!!」
モニークはむせび泣いていた。
「よがっだぁ……マリー様、よがっだよおおお……!」
鼻水をすすりながら泣くモニークをメリルが抱きしめる。
「モニーク、頑張ったわね……」
「ううぅっ……メリル、メリルぅ。……ありがどおおおおっ!」
メリルも目頭を熱くして、モニークを強く抱きしめた。
マリーは倒れそうになりながらも、両足を踏ん張った。
今、倒れたら情けない。
ぐっと涙を飲み干して背筋を伸ばす。
マリーのそばに居たウィリアムが震える手を掴んだ。
「あなたの勝ちです」
そう言われた瞬間、マリーの瞳からぽろっと涙がこぼれた。
ギリギリで耐えてきていたものが流れ落ちるように、涙は次から次へとあふれた。
ウィリアムは空いていた指で、涙をぬぐう。
「この歓声は、あなたへの称賛です。あなたが頑張った証ですね」
マリーはふるふると首を横に振った。
「わたくし一人では、ここまでこれませんでした……」
マリーは震えながらも、ウィリアムの手を握り返した。
「みなさまのおかげです……ウィリアム殿下……誠にありがとうございました……」
聴衆に向かって深く腰を落とすマリーに、ウィリアムは微笑んで言う。
「マリー嬢。裁判での告白になりましたが、あなたへの想いは揺らいでおりません。どうか、僕と始めてくださいませんか?」
びくりと震えたマリー公爵令嬢は、困ったように眉尻をさげた。
ウィリアムはくすりと笑う。
「今すぐに、どうこうとは思っていません。しばらくリベラルへ滞在します。一緒に話す時間をください」
ウィリアム王子の微笑みは、雪解けを始めた春風に似ていた。
マリーは、ほんの少しだけ口角を持ち上げる。
「はい……ウィリアム様……」
投獄されていたロワール公爵は、釈放された。
迎えに来たマリーは、父の姿を見つけると駆け寄った。手を伸ばし、父の体に抱きつく。
ロワール公爵は娘を見て涙ぐんでいた。力強い腕で抱きよせる。
「マリー……」
「お父様……何もおっしゃらないで……お父様……おかえりなさい……ご無事で何よりです……」
ロワール公爵は瞳から涙を流し、その場に崩れるように娘と抱き合った。
父の釈放後、裁判の事後処理について、話し合うことになった。
席に着いたのは、マリー、父親。弁護士。そして、ウィリアムもだ。
裁判を見届け、女王に報告するため、ウィリアムも話し合いの場にいた。
王太子側は、ポワソンとルイーズ姫が国王代理として出席した。
ポワソンはマリーの姿を見ると、禿げた頭を深く下げた。
「マリー様。誠に申し訳ありませんでした。ガブリエル殿下を諌められなかったのは、私の責でもあります」
突然の謝罪に驚き、マリーは口を開きかけた。だが、ロワール公爵が手を出して、止めた。
父の顔を見ると、軽く首を横にふられる。
ロワール公爵は手を下げ、ポワソンに話しかけた。
「ポワソン殿。頭を上げてください。貴殿が頭を下げると、マリーは赦すと言うしかなくなります」
ロワール公爵は静かに続けた。
「マリーには赦さなくてよいと話してあります」
ポワソンは禿げた頭をゆっくりと上げた。
「これは失礼しました。では、持参金の返却と慰謝料についてお話をさせてください」
ポワソンがマリーに提示したのは膨大な額の慰謝料であった。しかし、国庫は空っぽに近い。財政難であるため、一年に支払われる額が決められた。それでも、貴族令嬢が一人で充分、暮らしていけるほどの額だ。
提示された金額を見て、ロワール公爵はマリーに目配せをした。マリーは事前に父と話し合った通りのことをポワソンに伝えた。
「ポワソン宰相閣下、わたくしへの慰謝料ですが、その金額、すべてを戦後支援や都市計画に回してください」
マリーは背筋を伸ばして、ハッキリと告げた。
王太子妃になったら議会に出席がかなう。そこで提出しようと思っていた資料をポワソンに見せた。
外遊旅行で得た知識や、長年、領地や都市を見てきた経験を生かした予算案だ。
ポワソンにも質問したことがあった。
まだ草案の段階だが、マリーが王太子妃になるべく学んだことの全てをつぎ込んだ渾身のものであった。
ポワソンは食い入るように資料を見つめ、悲痛な顔をした。
「……とある方に言われました。裁判に負けたら、誰がわたくしの願いを引き継ぐのか……と」
メリルに言われたことを思いだし、マリーはまっすぐポワソンを見つめた。
「わたくしはもう政治に携われないでしょう……ですから、ポワソン宰相閣下に託します……困っている方々に救いの手を差し伸べてください」
声を震わせながら、マリーはポワソンに言った。
ポワソンは禿げ頭を下げてうつむき、目頭を指でおさえた。
「……あなたを国母にするのが、私の願いでございました……あなたなら、国を良くすると……私は確信していた……ですから、余計に……口惜しい」
ポワソンは一度、ゆっくり深呼吸すると、顔をあげた。目を赤くしながら、マリーを射ぬくように見る。
「承りました。ですが、一つ条件がございます」
「……条件ですか……?」
「はい。この草案を実行するのは、私ではなく、あなたです」
ポワソンの一言に全員が息を呑んだ。
ロワール公爵が声を出す。
「……ポワソン殿、どういう意味だ。まさかマリーに政治をしろというのか」
「そのまさかでございます。叶うならば、マリー様には私の補佐官として、引き続き、登城して頂きたい。
ゆくゆくは、ルイーズ殿下を支える宰相として、その手腕を生かしてほしいのです」
それは、女宰相を作るというポワソンの決意の顕れであった。
女性の身分で宰相の地位まで上り詰めたものはいない。あっても宰相代理だ。前代未聞のことであった。
「……お主……マリーをまた、政治利用する気か……」
ロワール公爵が怒りで目を開く。ポワソンは淡々とした口調で答えた。
「それはあります。マリー様が王宮に返り咲くことは国民に支持されることでしょう。ですが、それとは別に――」
ポワソンはマリーに向かって目を細める。少し泣きそうな顔で、マリーに話しかけた。
「……あなたのような、人の痛みが分かる方こそ政治をすべきだと考えているからです」
ポワソンは禿げた頭を下げた。
「やっかみや批判、全てからあなたをお守りすることはできません。ですが、あなたが宰相になる決意をした時は……その時は、私の政治生命、全てを注いであなたを宰相にします。
――この禿げ頭に免じて、一度、お考えください」
深く礼をした後、ポワソンは微笑した。
「あなたの考えることは、人を幸せにするものだ」
ポワソンの微笑を初めて見たマリーは大きく目を開いた。
「一度、領地に帰って、ゆっくりお考えください」
ポワソンは立ち上がった。
ずっと座って話を聞いていたルイーズ姫も立ち上がる。
ルイーズ姫は言いたいことを全て呑み込むように固く口を引き結んでいた。
無邪気な笑顔でマリーに駆け寄り「お姉さま!」と声をかけていたルイーズ姫が泣きそうな顔で無言でいる。
次の王となるルイーズ姫からは何も言えないのだ。立場上、謝罪も口にできない。もうマリーを姉と慕うこともできなかった。
スカートの端を持ち、深く腰を落とすと、ルイーズ姫は何も言わずにポワソンと共に立ち去ってしまった。
ふたりの後ろ姿を呆然と見送ったマリーにロワール公爵が話しかける。
「登城せずともよい。マリーは充分、戦った」
心配そうな父の顔を見て、マリーはうつむき、何も答えられなかった。
マリーはメリルたちに礼を告げ、一筆したためると、領地に戻っていった。
誰もがマリーに優しい。
よく頑張った。
ゆっくり休んでと言う。
マリーは急に自由になってしまった。
今まで休みらしい休みなく国の仕事に携わってきたマリーは、すっかり手持ち無沙汰になった。
そんな彼女の話し相手になったのは、ウィリアムだった。
「あなたの生まれた場所を見させてください」
そう穏やかな声で言われてしまい断れなかった。
ウィリアムはたわいのない会話をしてくれた。
とはいえ、二人の共通の話題といえば、技術支援や領地の人々のことだ。
ウィリアムはトリア国の技術支援の話をしてくれ、マリーは興味深げに聞き入っていた。
「まあ、トリアでは女王陛下から民に指示して何かを作るのではなく、民からの訴えを支援するのですね」
「もちろん、女王陛下の指示もあります。士官学校とかはそうですね。ですが、国民からの提案は我々では想像できないこともありますので」
ウィリアムは穏やかに笑った。
「僕たち王族は国民がいなければ、立場を失います。家族を愛し、民を、国を愛しなさいというのが女王陛下の意向です」
「……素敵なお考えですね……」
マリーがほぅと息を吐き出すと、ウィリアムは不意に真面目な顔になった。
「マリー嬢、登城するのを迷っているのではありませんか?」
図星をつかれ、マリーはうつむいた。なんと答えてよいか迷っていると、ウィリアムが微笑みながら言う。
「自由にすればいいと思いますよ」
マリーが顔をあげて、ぱちぱちと瞬きをする。
「自由に……ですか……?」
「えぇ。あなたはもう自由の身だ。好きなことをやればいいんです」
ウィリアムの声はマリーの濁った心に清らかな水を流し込むようであった。
思いは濾過され、願いだけが心に残る。
マリーは蚊の鳴くような声で、ぽつり、ぽつりと話し出した。
「……わたくしは今まで、自分さえ我慢すれば全てうまくいくと思っておりました……」
不満や嫌なことがあっても、耐えていれば、そのうち道は開かれる。そう祈るような気持ちで信じていた。
でも、現実は違った。
耐えてもガブリエルの心は、自分に戻ってこなかった。
それに絶望し、力尽き、立ち上がれなくなった。
「今、こうして殿下とお話をできるのは、メリルさんやモニークがいたからでしょう。それ以外にも、わたくしの為に、たくさんの人が戦ってくれました……」
マリーの目が赤くなり、涙のまくが張る。
「……わたくしは、あの方々に何も返せていない。……助けられてばかりなのです……ウィリアム様にも……」
メリルたちは気にするなと言うだろう。それでも、マリーは助けられた恩を返したかった。
――戦う人の為に、戦いなさい。
母の言葉を思いだし、今度こそは強くなってみたい。
「……宰相として民を助けられるのなら、やってみたい。……でも、怖いのです……」
マリーはハラハラと涙を流し、弱い心をさらけ出した。
「また立ち上がれなくなったら……一人になったら……と思うと――」
「――なぜ、一人になることが前提なんですかっ」
ウィリアムが抱きつきそうな勢いでマリーに近づく。
「あなたが望むなら、僕が支えます」
マリーの目が見開かれる。ウィリアムは苦しそうに眉をひそめた。
「僕はあなたが傷つくのを見たくないと言いました。今も同じです。でも、あなたが敢えて、茨の道を進むというなら、僕も同じ傷を負います」
ウィリアムはマリーの手を取る。すくい上げるように手を持ち上げ、手の甲に唇を押し付けた。
肌を吸い、手の甲を赤く染めるキスは、挨拶ではなく、あなたが欲しい――という焦がれ。
マリーがひりついた手の甲を見ていると、ウィリアムは燻っていた思いを口から出した。
「僕を隣に望んでください。僕はあなたと共に在りたい」
ウィリアムの声は力強く、惹き付けられた。
「ウィリアム様……」
吸い寄せられるように、マリーはウィリアムへ手を伸ばした。
彼に惹かれるのは、不安からくる焦がれだろうか。
優しいから、すがりたくなるのだろうか。
それは恋とも愛とも呼べないものかもしれない。
それでも、それでもだ。
「ウィリアム様……そばにいてください……」
ウィリアムはマリーを抱き寄せると、顎を指ですくいあげた。
「口づけの許可を頂けますか?」
ウィリアムの嘆願に、マリーは緊張して体を強ばらせた。ウィリアムがくすりと笑う。
「嫌ですか?」
「あ……いえ……」
マリーは頬を赤く染めて、目をそらす。
「……殿方と接吻するのは初めてですので……あの……うまくできるか――」
マリーが言い終わる前に、ウィリアムが唇を奪った。
口を塞がれて、息ができない。
苦しくて、溺れそうなのに、胸の奥は熱かった。
ウィリアムが唇を離すと、マリーは大きく息を吸い込んだ。
視界は潤み、呆然とウィリアムを見上げる。ウィリアムは苦しそうな顔をしていた。
「あまり可愛いことを言わないでください。止まらなくなってしまいます」
焦った顔を見て、マリーの胸がきゅんと熱くなる。
「……ウィリアム様……わたくしを望んでください……」
囁くように言うと、もう一度、唇が塞がれた。
ウィリアムはその後、トリアに戻り、仕事の引き継ぎをした。王位継承権の放棄も進めた。引き留める兄を爽やかな笑顔で振り切り、再びマリーの元へ。
マリーは領地で休むと、ポワソン宰相へ登城の旨を手紙で伝えた。返事には、ルイーズ姫からの手紙もあった。
――ありがとう。マリーお姉さま……
ルイーズ姫は、ぼろぼろに泣きながら、手紙を書いたのだろう。手紙の文字は震え、涙の跡が便箋に残されていた。
ポワソンはマリーの登城の準備を進める傍らで、臣下に指示をだした。
「――陛下に薬を盛れ。部屋から出れなくなるまで衰弱させろ。人を思えぬ王は、いらない」
「はっ……」
「指示したのは俺だ。ルイーズ殿下ではない。いいな?」
臣下は神妙な顔をした。
「……それでは、真実が明るみになったとき、あまりにも閣下が報われません」
「はっ。元より底の空いた船を漕いでいるんだ。国が転覆しなければ、名誉などいらんわ」
そう言って、ポワソンは最後まで国を立て直すことに専念した。
一年後、王が崩御した。
ルイーズが女王に即位後、王宮に赤い靴を履いて登城した者がいた。
赤くヒールの高い靴は、臣下の証。
メリルとロジェが生地を作り、モニークが針を通したドレスを着て、マリーは王宮入りを果たす。
「足元に気をつけてください」
ウィリアムが手を差し伸べる。
それに微笑みながら、マリーは手を繋いだ。
「ありがとうございます。ウィリアム様」
ふたりは歩みを揃えて、王宮へ入っていった。
茨だらけのダンスホールを赤い靴で踊るために。
棘に足をとられても、支えてくれる王子様がそばにいる。
だから、何度でも立ち上がれる。
戦える。
民のために、聖女は王宮を躍り続ける。
十年の月日が流れ、ルイーズ女王が結婚した同じ年。
初の女宰相、マリー゠ジャンヌ・ラ・ド・ロワールが誕生した。側には、夫となったウィリアムがいた。
王様は、予定通り盛ってご退場です。
ウィリアムは改稿したら、瞬間最大風速で肉食系になりました。
メリルを暴れさせて、フィナーレです!




