33. 灰かぶり姫を追い求めて side 公妾
キュキュロンは二頭引きの馬車に乗っていた。
普段、身につけていた豪華なドレスではなく修道女の服装だ。
キュキュロンが向かうのは、修道院だった。
ヤニス枢機卿が逮捕され、ガブリエル王太子側に付いたキュキュロンは王宮から追放されることになった。
カーラを王太子妃にふさわしいと発言したこと、内政を混乱させたことの責任をとらされた。
牢獄行きではなく修道院への追放は、国王が告解を行い、罪を赦すように計らったからだ。
国王は、この世のありとあらゆる快楽を覚えさせてくれたキュキュロンの存在を惜しんだ。
しかし、彼女は追放前に国王に言った。
「あなた、セックスが下手なのよ」
今まで閨での出来事は、すべて演技だったと暴露すると王は言葉を失っていた。
放心する王に優美に微笑み、キュキュロンは馬車に乗り込んだ。
馬車に揺られながら、キュキュロンはクスクス笑う。
「ふふっ。ざまぁみろ……ね」
これが言ってやりたくて、王太子側に付いた。
それに、王女殿下の治世に、自分のような公妾はいらないと感じたのも確かだ。悪女は潔く消えるべきだ。
「全て、うまく言ったわね……」
キュキュロンは王宮から遠ざかる音を聞きながら満足げに笑っていた。
不意に馬車が止まる。
大きく馬車が揺れて、キュキュロンは咄嗟に馬車の取っ手を握りしめる。
「もう、びっくりしたわ。何かしら?」
追放された自分になんのようだろう。見送りなどあるわけないし、まさか殺気あふれた市民に囲まれたのだろうか。
キュキュロンが馬車の窓にあるカーテンを開けて様子を伺う。見えた人物に驚いて、馬車の扉を開いた。
「アリス……なんでここにいるの?」
そこに居たのはボネ夫人だった。名前で呼ばれてもボネ夫人は気にせずに、笑顔で言った。
「待ち伏せしていたわ。あなたを拐うためにね」
ふふっと笑ったボネ夫人は、呆然とするキュキュロンを馬車に押し戻して、ズカズカと中に入る。
御者は心得たとばかりにまた走り出した。
「ちょっと、どういうこと?」
「あなたが行く修道院が変わったのよ。私が支援している所になったわ」
キュキュロンは訝しげにボネ夫人を見た。
「辺境の何もない修道院に行くはずだったのに、どうしてそうなるのよ」
「旦那様の配慮よ。はい。これ、手紙」
ボネ夫人は持っていた鞄から一通の手紙を取り出し、キュキュロンに差し出した。
キュキュロンは封蝋の家紋を見て、顔をしかめる。
「……ハゲからじゃない……」
「ハゲなんて言ったら、可哀想よ。ハゲなの、気にしているんだから」
ハゲ。もといポワソンからの手紙だった。
ボネ夫人に手紙を渡したということは、キュキュロンの修道院が変わったのは、彼が手引きしたのだろう。
キュキュロンは憎々しげに、封筒の端を破くと、手紙を見た。ころん。手紙に包まれて、指輪が出てくる。ダイヤモンドが散りばめられたもので、売れば一財産になりそうだ。
それを見て、キュキュロンの目が見開かれる。
「今さら、結婚指輪……ですってぇえ!」
「あら、お怒り?」
「当然でしょ! 何が再会を願って、さよならよ! 結婚した時に、どうせ寵妃になるんだから、指輪は買わないって言ってたのよ! それなのに……! あのハゲ!」
キュキュロンは皺ができるほど手紙を握りしめて、忌々しげに呟く。
「……この指輪、売ってやろうかしら……?」
「ふふっ。それでもいいんじゃない。罪滅ぼしのつもりでしょうし」
ボネ夫人の言葉を聞いて、キュキュロンは指輪を見つめる。
「……男って、勝手だわ……」
「それは同意するわね。……男は身勝手よ。綺麗な思い出だけ残していくんだから。残された方の身にもなってほしいものね」
ボネ夫人は頬にあるつけぼくろを指でなでた。
キュキュロンは仏頂面になりながら、指輪を薬指にはめる。指輪はぶかぶかで、すぐに取れそうだった。
「サイズが合わないじゃない……太れってことなの?」
「ぴったりでも怖いわよ。どこで、指のサイズを知ったんだってね」
キュキュロンはぶっと吹き出した。
「それも、そうね。ぴったりだったら、気持ち悪いわ」
キュキュロンは指輪を外してダイヤモンドの煌めきを眺めた。これが買えるほどの地位を得たということだろう。
(出会った頃は、地位の低い軍人だったのに……寒い時は人肌で互いをあたため合うしかなかったのよね……)
ふたりが出会ったのは、キュキュロンが娼婦から王妃付けの洗濯番になった頃だ。
王宮内にある川で洗濯をしていたら、薄い頭の男がイライラしながら、軍服の襟元をゆるめていたのだ。
見た目は格好よくはないが、眼光が鋭かった。
(まあ、これでもいっか)
キュキュロンは媚びを売る眼差しで、男に声をかけた。
「ねぇ、軍人さん。わたくしを買わない?」
キュキュロンは自分が男の視線を釘付けにする体の持ち主であると充分、知っていた。王妃は毎日煩く、鬱憤もたまっていた。
ポワソンはイライラした目のまま、キュキュロンの後頭部に手を回す。
そのまま、噛みつくような口づけをした。
「……っ、」
口の中で、ふたりの舌が情熱的に絡み合う。まるで愛を交わすように口づけした後、ポワソンは短く言った。
「いくらだ?」
視線の鋭さに、胸の奥が高揚した。
キュキュロンは乱れた髪のままポワソンの首に腕を絡ませた。
「値段は、あなたが決めて」
金額はキュキュロンの予想をはるかに越えて、高かった。
それから二人は隠れて逢瀬を重ねた。
ポワソンは軍部に無能が集まっていると怒っていた。
彼は横柄な態度とは裏腹に、丁寧に抱く男だ。キュキュロンはポワソンが気に入った。
何度かの遠征の度にポワソンは地位をあげていった。
そして、キュキュロンもまた、王妃付きの侍女となる。王妃付きの侍女となったことで、国王の目に止まった。
部屋に引きずり込まれて、国王に押し倒されても、キュキュロンは艶やかに微笑んでいた。
「陛下にこの身を捧げられること、この上ない喜びでございます」
国王は見目が麗しい。体躯も逞しく、幾人の女を抱いてきた男だ。さぞかし、素敵な一時になるだろう。
そう思っていたのに、国王は致命的にベッドの上では残念だった。
(え? へたくそじゃない? え? え? ふぬー!って鼻息がでるの嫌なんだけど。 あらぁ、久しぶりに残念な人に出会ったわ……)
キュキュロンは辟易したが、国王は彼女をいたく気に入った。
毎晩のように求められ、愛妾へとのぼりつめた。
(ちょろ……)
国王のちょろさがキュキュロンに火をつけた。
王妃の遺言もあり、寵妃になることを決めた。
しかし、寵妃になるためには、夫を持たなければならない。
ヤニス枢機卿にポワソンとの結婚を持ちかけられた時も、彼に金が入るならと、簡単に了承した。
なのに、夫になると告げた時、ポワソンが烈火の如く怒ったのだ。
「……あなたと私が、結婚? 寵妃になるために? ヤニス枢機卿が言ったのか」
唸るような低い声をだされて、キュキュロンは驚いた。
「……あなたにもお金が入るでしょ?」
「あなたは阿呆か。金が入っても、俺は王宮から追放だ。寵妃の夫は王宮に入れないんだぞ」
ポワソンはキュキュロンの手首をひねりあげた。
「いたっ……ちょっと、何よ」
ポワソンはじっとキュキュロンを見つめた。鋭いナイフのような眼差しで言う。
「結婚はする。――だが、それだけだ。あなたは俺のものじゃない……」
そう言って、ポワソンはいつもとはうってかわって、キュキュロンを手荒に抱いた。
苛立ちをぶつけるように抱かれても、体は馴染み、熱は帯びる。
(この人……情熱的なところ、あったのね……最初に出会った頃みたい……)
そんなことを思いながら、キュキュロンは口から真似事ではない喘ぎ声を出した。
結婚指輪は買われず、それっきり寝屋を共にしていない。
宦官になって再びキュキュロンの前に現れたポワソンは、まるで赤の他人のように振る舞った。
「キュキュロン夫人、……ですね。この度、宰相の補佐役となりました。ルイ・ド・ポワソンでございます」
キュキュロンは驚き、こそっと耳打ちした。
「――どういうことなの――?」
ポワソンはキュキュロンの耳に吐息をかけるように囁いた。
「――執念深いだけだ」
熱い吐息にゾクゾクした。
キュキュロンは面白がり、ちょろい王をたぶらかし、ポワソンを宰相に押し上げた。
ポワソンの出世に一役かったのは、自分だ。そう胸を張れるし、禿げ頭が認めなかったら頬をひっぱたいてやりたいぐらいの気持ちはある。
しかし、本人がいない以上、手は指輪を握りしめるしかなかった。
「ダイヤで絆されるなんて、わたくしも阿呆ね」
そう言って、キュキュロンは胸元をしめていたリボンの紐をといた。放漫な胸元があらわになる。
黒いリボン紐を指輪に通して、首飾りにした。
「あら、胸にダイヤが埋まるわ。ちょうどいいじゃない」
ふふと笑って、長く艶やかな髪を手ではらった。
「それで? わたくしをあなたの修道院に連れていって、何をさせたいの? 無垢な子たちに、悪女になる方法を教えるのかしら?」
くすくす笑うキュキュロンに、ボネ夫人は微笑した。
「あたらずとも遠からずね。女性の礼儀作法の講師になってほしいのよ」
「わたくしが? 国王をたぶらかし贅沢三昧している悪女と呼ばれたわたくしが、先生? あはは、面白い冗談ね」
「ふふっ。本当よ。あなたは亡き王妃を立てて、王宮を踊った人ですもの。社交術はあなたに勝る人はいないわ」
キュキュロンは目を据わらせた。
「……本気なの?」
「当然。私、人を見る目はあるのよ。――娼婦たちに陛下の子が宿ったときの対応をみればね」
キュキュロンは思春期の少年並みにハッスルする国王のために、娼館の経営者となっていた。
王は高貴なお種様の持ち主なので、ゴムはつけない。当然、子供ができる。
その子供たちの面倒をボネ夫人に任せていた。
あたたかい部屋と毎日の食べ物。
出生を知らないまま子供たちが、未来に希望が持てるように。
などという考えはない。
惨めな庶子を見るのは、子供の頃の自分を見ているようで、単に嫌だったのだ。
キュキュロンは娼婦の娘。父親の顔は知らない。底辺の生活が嫌で嫌で、どうにか這い上がってきたのだった。
「女が生きていくには不自由な時代よ。しぶとく生き残る術を教えてあげてね」
キュキュロンは嘆息した。
「……先生って柄じゃないわ」
「文句は言わないの。今まで贅沢したんだから、働きなさい」
ボネ夫人は笑顔で脅した。
「働くのは嫌いだわ」
目を据わらせるキュキュロンを見て、ボネ夫人は大笑いだ。
「働くのが嫌い? 王宮の重鎮を接待しつづけた、あなたが? ふふふ。それはないわね。あなたは尽くすのが好きなのよ。きっと、子供達にも慕われるわ」
キュキュロンはプイッとそっぽを向いたが、ボネ夫人の見立て通りになる。
修道院で子供たちに「お母さん」と呼ばれて、キュキュロンは目を細めて微笑んでいた。
礼儀作法を教え、貴族社会を教え、それを受け継いだ子供たちは、中流家系の使用人として働きに出ていった。
十年以上経った後、キュキュロンを尋ねた人がいた。政治から引退した人だ。キュキュロンはその人を見て、笑った。
「やだ、ちょっと……ふふっ。ふふふふっ。毛が一本もないじゃない!」
大笑いしたキュキュロンの太くなった指には、ダイヤの指輪が煌めいていた。
つるっぱげになった男は鼻で笑う。昔の口調でキュキュロンに話しかけた。
「あなたはまだ、誰かのものだな……」
「え? なんのこと?」
くすくす笑うキュキュロンに、男――ポワソンは瞳に情熱を込めた。
「上官、国王、国の次は――神か。上等だ。俺は今度こそ、妻を取り戻す」
そう言って、ポワソンは修道服を着た妻をかき抱いた。
出会った頃のように。
妻から見ると、ポワソンさんは肉食系俺様です。
こっそり書きましたが、ボネ夫人とキュキュロンは同じ年です。
次は俺様ではないポワソンさんから始まる王太子のその後、胸くそ注意。




