32. 正義の剣が、ふるわれますように
「そ、それは……マリー公爵令嬢との関係を認めるということですか?!」
ちょび髭の弁護士が叫ぶと、ウィリアム王子は毅然と言った。
「いいえ。僕の一方的な思いです。マリー嬢は、ガブリエル公の婚約者であるということを忘れていませんでした」
ウィリアム王子は、マリー公爵令嬢からの手紙を懐から出して、丁寧に広げる。
「これは、マリー嬢が僕にくれた手紙です。代理であった理由の返事になります。これを見れば、彼女がガブリエル公を立てていることは明白です」
ちょび髭の弁護士が手紙を受け取って、中身を確認する。
さっと目を通し、口を引き結んだ。
わなわなと肩を震わせ、書かれてあることに驚いていた。
「――殿下は、身分の垣根を超え、たくさんの方々と交遊なさっています。物事を広い目で見ようとする殿下の支えになることが、わたくしの喜びであります。
代理でしたが、トリア国訪問は、誠によい機会でございました。次は殿下と共に行きとうございます」
ウィリアム王子は手紙の一部を読み上げた。繰り返し見ていたから、見なくても言えたのだ。
通訳を介して手紙の内容を聞いたガブリエル王太子は、驚いたように目を開いた。
そんなことをマリー公爵令嬢が考えていたとは、知らなかったし、知ろうともしなかった。
メリルは内容を聞いて、腹が立ってしょうがない。
(マリー様はやっぱり、殿下を愛そうとしていたんだわ……それなのに、あの阿呆は浮気なんかして……!)
「恥を知れ」
低い声で言うと、ロジェも顔をしかめて言う。
「浮気に夢中で、公務はマリー様に押し付け。最低のクズ野郎だ」
ロジェの言葉に同意するように聴衆がざわつく。
「静粛に! 静粛に!」
裁判長が乱雑に木槌を打つ。
焦っているように見えてしまい裁判長への眼差しも冷ややかになる。
ウィリアム王子は、静かになった聖堂で声をだした。
「僕とマリー嬢は友人であり、彼女が王太子妃となるべく誠実であったと証言します。それと、僕が不貞行為をしたと疑われたこと。トリアの女王陛下は遺憾であると聞いています」
ウィリアム王子は、母と兄のサインが入った公式の手紙を懐から出した。
「裁判は正確に行ってください。対応によっては、トリアはリベラルとの友好関係を見直すと書かれてあります」
ウィリアム王子はこの国の言葉で、皮肉を言った。
「リベラルは、真実を曲げることがお好きなようだ。マリー嬢の二重婚約問題も、シャルル公の直筆であるか鑑定証の作成を望みます」
その一言は裁判記録には残らないが、聴衆の賛同を得た。
肉屋のおかみが声を出す。
「二重婚約問題はどうなっているんだい! 鑑定しているのかい! うやむやにしようとしてるんじゃないだろうね!」
「そうだ、そうだ!」
聴衆が一斉に立ち上がり、声を張り上げる。
「静粛に! 静粛に!」
裁判長が木槌を打つが、おさまらない。
「閉廷する!」
裁判長が声を張り上げ、裁判はお開きとなった。
騒がしい中、ガブリエル王太子は呆然としていて、ウィリアム王子は穏やかな笑顔でマリー公爵令嬢を見ていた。
マリー公爵令嬢は泣きそうな顔になっていた。
「……ありがとう……ございます……」
蚊の鳴くような声を出して、ウィリアム王子に礼をする。聴衆にも礼をした。
その姿を見て、メリルは裁判に勝ってほしいと心から願った。
「うまくいって。マリー様の夢を叶えさせてあげて」
メリルは聖堂に飾られた正義の女神に祈る。女神は頭に無敵の象徴のティアラを載せ、右手に剣を、左に法典をもっていた。
公平さを失ったものは、女神が持つ正義の剣で貫かれるという寓話がある。
正義の剣が、ふるわれますように。
メリルは祈った。
*
ヤニス枢機卿は裁判の結果を受けて、額に汗をかいた。
「なぜだ、なぜだ、なぜだ。なぜこうなる……!」
ヤニス枢機卿は荷物をまとめ、逃亡をはかろうとしていた。
トリア国との関係悪化を避けるために、ポワソン宰相が国王と宮廷警察を動かした。
ヤニス枢機卿が主張したシャルル王子とマリー公爵令嬢の婚約証明書は、偽造されたものと判明した。
ヤニス枢機卿は贋作画家を囲い、シャルル王子の筆跡を真似したものを捏造していた。
画家は捕らえられたと、家臣に言われ、ヤニス枢機卿は怯えた。
「儂の計画は完璧だったはずだ……なぜ、バレた……」
それは、キュキュロン夫人がポワソン宰相へ密告したせいなのだが、ヤニス枢機卿は、その点に思い至らなかった。
「画家が捕まったら、次はわ、わしだ……」
罪を認めさせる尋問は残忍なものだ。
画家が簡単に口を割ることは想像できた。
なにせ、尋問人を指名したのは、ヤニス枢機卿なのだから。
「に、逃げなければ……わたしは、こんなところで終わる人間ではない……わたしは、神になる人間だ。次の法王選に勝って、すべての人類の上に立つ。歴史に名を残す人間だ……!」
ヤニス枢機卿は持ち出せるだけの金と宝石を鞄に詰め込み、逃げ出そうとする。
――しかし、宮廷警察が先に来た。
「ヤニス枢機卿、投獄命令がでています」
「わ、儂は知らん!……儂は何もしていない……!」
ヤニス枢機卿には、余罪があった。
贋作画家に描かせた、神の絵という嘘八百のものを信徒に高額で買わせていた。
巻き上げた金をばらまき、教会や、政治の中で、発言権を増していたのだった。
ヤニス枢機卿は抵抗して、唾を飛ばしながら、激昂した。
「わ、儂は神に仕える者だ! 儂に触れると神がお怒りになる! きさまらは、地獄へ落ちたいのか……!」
警察は地獄の言葉に怯んだ。
それを見て、ヤニス枢機卿はニヤリと笑う。
「儂を投獄するならば、聖職者殺しになるぞ?……天国へ行きたいのなら、道を開けよ……」
「あなたへの救いの道はありません」
警察の間をぬって、ポワソン宰相が出てきた。
「何をしている。さっさと連れていけ。枢機卿と言えど、陛下の臣下であり、人間だ。彼は神ではない」
剣呑な声で言うと、ヤニス枢機卿は怒り狂った。
「ポワソンごときが、命令をだすな! この儂に死を与えられるか……! 儂は教会の最高顧問、枢機卿であるぞ!」
「……与えられますよ。ジュス・ティス死刑執行人ならば」
「ムッシュ。私を呼びましたか?」
ポワソン宰相の背後から、ジュス・ティス処刑人が現れる。ジュス・ティスは三代続く処刑人一族の現当主だ。
処刑人は、大男で話が通じない野蛮な者と寓話が作られるほど、忌み嫌われた存在だったが、ジュス・ティスはゾッとするほど美しい容姿をしていた。
顔の輪郭は、すらりとした線を描き、中性的に見える。しかし、漆黒の瞳は深淵を覗いているような底知れなさがあった。
ジュス・ティスは死神だ。
彼と目が合ったら命を吸いとられてしまう。
そんな噂が立つほどだ。
一方で、彼の処刑は芸術的であった。
ショーを見ているような気分にさせるのだ。
処刑の舞台を最小限の血でおさえ、罪人の苦痛を長引かせない。一太刀で、首を落とす技は、見る者を魅了した。
死ぬなら、ジュス・ティスの手にかかりたい。
そんなことを言う市民もいる。
ジュス・ティスの剣の前では、王も、聖職者も、貴族も、市民も関係ない。
正義の女神が剣をふるうように、処刑をするだけだ。
「枢機卿の処刑が決まりましたら、私が死地へお送りいたしましょう」
ジュス・ティスは柔らかく笑み、優雅なお辞儀をした。
「あ……」
ヤニス枢機卿は死神と目が合った瞬間、口から泡をふいて、失神した。
ピクピク動く姿に嘆息して、ポワソン宰相は「連れていけ」と、命令した。
ヤニス枢機卿が連れていかれ、警察がいなくなるとポワソン宰相は禿げた頭部を手でなでた。
重いため息を吐き出し、ジュス・ティスに声をかける。
「貴殿が来てくれて助かった」
「いえ、ムッシュの頼みですから」
ジュス・ティスは長い睫で縁取られた瞳をふせた。
「……あなたが宰相になってから、処刑が減っています。喜ばしいことです」
「それは……ドロテ様が亡くなられたからだろう」
「王妃様ですか……ブラッディ・ドロテの時代は毎日、この剣を振っていました。あの苛烈さで陛下の土台は揺るぎないものになりましたね。人が恐怖で支配されていた」
ポワソン宰相は肯定も否定もしなかった。
「ムッシュはあの苛烈さを引き継がなかった」
「恐怖に支配されては、いずれ市民に反発される。暴動が起きて、国が荒れる……それだけだ」
「それでも、正義を見失ったこの国で、ムッシュがいるのは、救いでしょう」
「……どうだかな……」
ポワソン宰相はジュス・ティスの瞳をじっと見た。死神にみいられたように言う。
「俺は、妻ひとり取り戻せない男だ」
お読みくださって、ありがとうございます!
フィナーレに向けて残り四話です。
キュキュロン→王太子→マリー→メリル
それぞれの恋の末路の話になります。
お好きなものをお読みください(*´ω`*)
一部の方には16日に完結しやす!と言っていたのですが、一気に三話更新は、なかなか読むの大変かもと、考えを改めまして。一話ずつ更新して、18日に完結になります。
最後まで楽しんで頂けることを願って。




