26. この国に失望しています
シャルル王子と婚約証書の破棄は、王子が亡くなった後、すぐに行われた。ガブリエル王太子の立太の前にひそかに行われ、立ち会った人はマリー公爵令嬢を含めて三人だけだ。
亡きルイーズ公爵夫人。そして、ヤニス枢機卿が婚約破棄の証明人として場に立ち会った。
九歳だったマリー公爵令嬢は、目の前で燃やされる婚約証書を見て、泣いていた。
「シャルル様を消さないで……!」
マリー公爵令嬢をロワール公爵夫人が泣きながら抱きしめる。
母にすがりつきながら、マリー公爵令嬢は紙が灰になるのを見ていた。
忘れられるわけない光景を思い出しながら、マリー公爵令嬢は「嘘よ……」と呟いた。
――カン!
無情な木槌が打ち付けられる。
裁判官はマリー公爵令嬢を一瞥した。
「原告人は席につきなさい」
それを見て、マリー公爵令嬢は体を震わせた。
「マリー様……今はおひきください……おひきくださいっ」
マリー公爵令嬢の老齢の弁護士が沈痛な顔でさとす。マリー公爵令嬢はくしゃりと顔を歪ませて、静かに席に座った。
「二重婚約なんて、とって付けたような話じゃない……」
婚約証書を二枚見せられても、メリルは信じられなかった。
公爵家が脅して、二重婚約を成立されたという論理がまかり通るなら、国王はロワール公爵家より立場が弱いことになる。国王が頂点ではないのか。国の頂点とは、そんなに弱いものなのか。
「あれ、本物の婚約証書なの……?」
「まあ、嘘くせぇよな」
ロジェも同意する。モニークは激しく首を縦にふっていた。
(マリー様のシャルル様への思いを土足で踏み荒らすような行為だわ。腹立つっ! )
かっかしながら、裁判を見ると、ちょび髭の弁護士はふむと髭をなでつけた。
「つまりマリー公爵令嬢とガブリエル王太子殿下の婚約はそもそも成立していなかった。ということですね?」
「そうでございましょう。二重婚約など、罪深い……」
「ありがとうございます。ヤニス枢機卿の尋問を終わります」
ヤニス枢機卿は腰を屈めて、静かに退場した。その唇が歪んでいたのを見たのは、ガブリエル王太子だけである。ガブリエル王太子は涼やかに微笑んでいた。
ちょび髭の弁護士は、次にカーラ男爵令嬢が王太子妃にふさわしい人物であると宣言した。証人に呼ばれたのは、公妾キュキュロン夫人であった。
厳粛な裁判に似合わない薄絹を纏ったキュキュロン夫人の登場にざわついた。
「寵妃が殿下を支持している……というのは、本当だったのか……」
ざわつく聴衆の中、キュキュロン夫人は甘ったるい声で、尋問に答えた。
「カーラ男爵令嬢とお会いしましたが、わたくしに対しても物怖じせずに、堂々としていました。万の民を支える王の妃として、資質があります。そこで震えている彼女よりは……」
ちらりとマリー公爵令嬢を見て、キュキュロン夫人は艶やかにあざけ笑った。
「つまり、彼女を王妃にしても問題ないとおっしゃるのですね?」
ちょび髭の弁護士の質問に、キュキュロン夫人はうなずいた。
「はい。わたくしは、そう思いますわ」
「なるほど。ありがとうございます」
キュキュロン夫人の言動に、聴衆の声は真っ二つに割れた。大聖堂の隅っこで聞いていた肉屋の夫婦はひそひそと話し合っている。
「寵妃様に認められたのなら、ほんとうに大丈夫なんじゃないか……?」
「何、馬鹿なこといってるんだよ! 寵妃は王妃様じゃないんだよ?」
「だけど……寵妃様ってのは、王の次に偉いんだろ?……王妃様がいらしゃらない今……寵妃様が認められるのは……」
「はん。悪女にやられているんじゃないよ! みたかい? あのふしだらな格好。あれでみーんな男どもを惑わしているんだよ!」
「だけどよお……」
「愛人が愛人に肩入れしてるだけだろっ。あたしゃ、マリー様を応援するよ!」
肉屋のおかみは豊満な体をゆらしながら、怒っていた。メリルも同じ気持ちだが、公妾が認めるというのが強いことは分かる。
(どうして……なぜ、マリー様を擁護しないの……?)
着飾ったキュキュロン夫人も憎らしく見えた。
キュキュロン夫人は尋問を終えて、その場を退場しようとする。その時、自分のことを見つめるメリルの存在に気づいた。
(あら、あの子……アリスが可愛がっていた子ね……)
燃えるようなピンクブロンドの髪は珍しくて、記憶に残っていた。キュキュロン夫人はくすりと笑う。
(ふふっ、いい目ね。でも、そこで睨んでいるだけでは何も変わらないわよ。女の立場は、弱いんだから)
ふふっと笑ってキュキュロン夫人は大聖堂を後にした。
裁判はマリー公爵令嬢が不利に進む。
決定的なことが起きたのだ。
それは、マリー公爵令嬢の世話をしていた侍女が証人として立ったときに起きた。
侍女は顔を蒼白させながら、密告した。
「……マリー様は……トリア国の第二王子と、手紙のやりとりをしていました……マリー様は……受け取った手紙を大事にしておりました……」
ちょび髭の弁護士は、ふむとうなる。
「つまり、マリー公爵令嬢は、ガブリエル王太子殿下という婚約者がいながら、トリア国の王子殿下に思いを寄せていたというのですな?」
「……マリー様は王子殿下から手紙をもらうと宝石箱にしまっていました……」
「箱に入れるということは、誰にも見られたくないということですか?」
「……箱には鍵がかかっていました……中身はわかりません……」
「なるほど。ありがとうございます。裁判長! 私はマリー公爵令嬢に対して、トリア国の手紙が保管されていないか調査依頼をします」
ちょび髭の弁護士は、胸をはって堂々と言いきった。
「もし、これが事実ならば、マリー公爵令嬢はトリア国の王子殿下とかん通していた可能性があります!」
弁護士はなんと、マリー公爵令嬢はトリア国のウィリアム第二王子と浮気していたと言い出したのだ。
マリー公爵令嬢がウィリアム王子と手紙のやり取りをしていたのは事実だ。
マリー公爵令嬢が心の慰めとして、ウィリアム王子の手紙を大事にしていたのも事実。
マリー公爵令嬢が愕然とする中、弁護士が「異議あり!」と叫んだ。
「マリー様とウィリアム殿下の交遊は、本件には関係ないことです! 被告側はありもしない事実で裁判をねじまげようとしています!」
「何を言う!」
ちょび髭の弁護士は反論した。
「裁判長、仮にマリー公爵令嬢がかん通していた場合、彼女は二重の婚約を罪をしたばかりでなく、友好国の王子とも繋がっていたことになります。
ロワール公爵家は、ガブリエル殿下を廃した後は、ルイーズ王女殿下を推しております。
これは、王女殿下が幼いことをいいことに懐柔し、トリア国という後ろ楯を得て、王家を乗っ取ろうとしていることではありませんか!」
「異議あり! くだらん妄想だ!」
「では公爵家の家宅捜査を承認されよ! 後ろめたいことがなければ、できるはずだ!」
カンカン!
裁判長が木槌を打つ。
「静粛に。公爵家の捜査を承認する。捜査が終わるまで、原告と被告は謹慎を命ずる」
この流れに、モニークが泣きながら憤った。
「そこのちょび髭! ふざけんなー!!!
マリー様が手紙のやりとりしたぐらいでかん通とか言い出すなんて! ふざんけんなー!!!
だったら、そこにいる人はかん通しまくりよ!!!」
モニークはガブリエル王太子を見ながら、カーラ男爵令嬢とのドレス作りの際の二人の様子をぶちまけた。
ぎょっとするぐらい破廉恥なことまで赤裸々に語りだして、場は騒然とする。
「静粛に、静粛に。聴衆は静かにしなさい」
「静かになんてできないわ……」
メリルも立ち上がった。
「これが王族のすることですか……献身的に仕えた人の心を徹底的に傷つけるのが、この国のやり方ですか……! わたしは、今、この国に失望しています」
凛とよく通る声でメリルは語った。
裁判長は兵士に目配せして、騒いだふたりをつまみ出せと命ずる。
さっと兵士がメリルとモニークを捕らえようとし、マリー公爵令嬢は青ざめた。
「やめ……」
マリー公爵令嬢が何か言い出す前に、メリルが叫んだ。
「マリー様! わたしたちはあなたが、どれほど清らかな人か知っています! どうか、心を強く持ってください!」
「うるさい! 黙れ!」
兵士がメリルを捕らえようとした時、ロジェが前に出て庇った。
「俺の女神にさわんな! メリル、モニーク、下がろう。こいつら、話が通じねぇよ」
ロジェは息巻くふたりをなだめた。モニークは顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。
「こんなのひどい……こんなのないわ。あんまりよ……あんまりよ! うぁぁああぁあ!」
泣きじゃくるモニークの肩を抱いて、メリルも顔を曇らせた。
「……そうね。この国はおかしいわ……」
メリルは頭を必死に回転させて、どうにかこの状況を打破できないか考えた。




