25.うそよ……
裁判は都市にある大聖堂で行われることとなった。
非公開の裁判かと思いきや、広く一般公開される裁判となった。
ガブリエル王太子側についたヤニス枢機卿は、勝つ絶対の自信があるようだ。
注目の裁判の傍聴席は、聴衆であふれかえった。
聖職者を目指す首都の学生。院生。詩人。平民たち。
貴族は使いを送る人もがいたが、数は少なかった。ポワソン宰相と、デジー伯爵家、ボネ夫人ぐらいだ。
メリル、ロジェ、モニークも傍聴席に座り、裁判を見守っていた。この日のために、教会の公用語もボネ夫人に紹介された家庭教師の元、死ぬ気で学んできた。
裁判の質疑応答は、教会の公用語で行われ、母国語で話したことは記録に残らない。
また、裁判の名物ともいわれる傍聴席から飛ばされるヤジは、何を言っても不敬にならないというルールがある。
これは、神の前では身分関係なく、誰でも等しく神の子であるためだからだ。神様の前では、王様の悪口だって、言いたい放題である。
半円を描くように原告側には、マリー公爵令嬢と弁護士がいる。被告側には、ガブリエル王太子と弁護士と、教会の公用語の通訳がいた。
てっきり、弁護士だけが出廷して、本人たちがくるとは思っていなかった聴衆は興奮した。
マリー公爵令嬢の姿は、まるで聖女ジャンヌを思わせる清廉された雰囲気。
対して、ガブリエル王太子は深紅の上衣に膨らみのあるズボンを履いていた。艶やかな光沢のある上衣には、唐草模様が刺繍されていた。
服装としては古典的。だが、その服装は、この国はじめの王、勝利王シャルルの肖像画が着ているものと同じだった。
それを見て、メリルは目を見開いた。
(勝利王の服……! 聖女が支持し、その人の為に戦って散ったと言われる王の服を着るなんて……どこまでも馬鹿にしているわ!)
これではまるで、かつて国のために戦った二人が相対するように見えてしまう。
聖女は忠誠をたてたはずの王を裏切ろうとしている。そんな風に見えてしまったのだ。
またガブリエル王太子が建国からの血筋であることを証明しているようだった。王冠は被っていないが、若き王がそこにいるような風格がある。
実のところガブリエル王太子は、王太子であり、国王ではない。けれど、見た目のインパクトというものは怖いもので、ガブリエル王がそこにいるような錯覚をしてしまう。
メリルは動揺し、うつむいた。
(マリー様が立ち上がれるように聖女風の服にしたのに、逆手にとられるなんて……!)
横に座っていたモニークを見ると、顔を青くして小刻みに震えている。
「……私……失敗した……」
モニークがたまらず呟いたとき、メリルは顔をくしゃくしゃにした。
このドレスにするべきじゃなかった。
そんな後悔で胸がみたされたとき、メリルの手をロジェが握った。
メリルはびくりと震え、ロジェを見る。ロジェは不機嫌そうに言った。
「こら、メリルたちが動揺してどうするんだ。マリー様を見ろ。堂々としているぞ」
ロジェの言葉につられ、マリー公爵令嬢を見る。
マリー公爵令嬢は、背筋を伸ばして、ガブリエル王太子を静かに見つめていた。
「聴衆の目にさらされて、怖いだろうに……マリー様は立派だよ」
ロジェの言葉に、メリルはほぅと息を吐く。ロジェの手を握り返して、微笑する。
「ほんとうにそうね……ありがとう、ロジェ」
「どういたしまして。それに、殿下のあの格好。俺には滑稽に見えるけどな」
ロジェは意地悪く、不敵に笑った。
「建国の王が、おまえは王冠をかぶる人間ではないって言っているみたいだ。いくら偉大な王を真似ても、王冠を被れなきゃ、王じゃない」
ロジェは、くつくつ喉を震わせて笑った。
それは、ガブリエル王太子が王ではないからなのだから当たり前の話なのだが。
見た目のイメージとは不思議なもので、そう見えるような気がしてきた。
メリルもつられて笑う。
「そうね。勝利王の仮装をしても、勝つとは限らない」
「そうそう」
ロジェは大きく頷いた。
「静粛に、静粛に」
裁判長が、木槌を叩く。
「これより、裁判をはじめます」
裁判長が公用語で話だし、大聖堂は水がひくように静まり返った。
裁判は原告の訴えを読み上げることから始まった。マリー公爵令嬢の訴えは、三点だ。
一、婚約期間中の不貞行為。
婚約期間中、ガブリエル王子はマリー公爵令嬢に対する婚約者の義務を果たさず、カーラ男爵令嬢を優遇し、男女の契りを交わした。
二、一方的な婚約破棄 及び 一方的な婚約。
神の身元で誓った婚約をマリー公爵令嬢、及び国王、公爵家に相談なしに婚約を破棄したいと言った。またカーラ男爵令嬢との結婚を望むが、カーラ男爵令嬢に王妃の資質があるのか、疑問である。
三、ガブリエル王子の王位継承。
国益を損なう婚約破棄をしたガブリエル王子は、王としての資質に欠けている。
裁判官が、ガブリエル王太子を呼び出した。原告の訴えを被告が認めるのかの確認だ。
ガブリエル王太子は神の前で、嘘偽りはない発言をすると誓う。
「端的に、原告の訴えをはいかいいえで端的に答えなさい。一、あなたは、不貞行為をしましたか?」
ガブリエル王子は自ら不貞をしたと宣言している。誰もが「はい」と言うだろうと予想した。
「いいえ」
静謐な聖堂に、堂々とした声が響いた。
(は……?)
メリルもこの一言は驚いた。聴衆は「どういうことだ?」と、ざわめいている。
「静粛に、静粛に」
裁判長が木槌を打って、場を静める。ガブリエル王子は、他の二つの訴えも「いいえ」と答え、自分は不貞行為はしていないし、カーラ男爵令嬢は王妃にふさわしい人物である。
自分は何も悪いことはしていないと、訴えを全て認めなかった。
質疑を終えて、席に戻ったガブリエル王太子は優雅なしぐさで与えられた席につく。
余裕すらある笑みを浮かべていた。
マリー公爵令嬢はそれを見つめ、悲しげにうつむいた。苦痛にたえるように下唇を噛んでいる。
(どういうことなの……?)
メリルは呆気に取られ、ポカンとする。衝撃が過ぎ去れば、ふつふつ沸き上がるのは、激しい怒りだ。
今すぐ壇上にあがり、ガブリエル王太子に問いつめたい。
(――そんなにマリー様を傷つけて、あなたは何がしたいのですか? あなたの存在そのものが、不快です)
そう言えたら、どんなにいいだろう。
イライラしながら、裁判を見つめていると、次はガブリエル王太子の弁護士が立ち上がる。
反論尋問だ。
ちょび髭の弁護士は、ガブリエル王太子の言葉が真実であることを証明するため、証人尋問をはじめた。
証人として出たのは、ヤニス枢機卿。弁護士はちょび髭をひとなですると、ヤニス枢機卿に問いかけた。
「ガブリエル殿下とマリー公爵令嬢の婚約ですが、これは無効なものであったとヤニス枢機卿は言っています。そうですね?」
「はい。マリー公爵令嬢は、ガブリエル殿下の前の婚約者のシャルル殿下との婚約を解消されていません」
ヤニス枢機卿の一言に聴衆がざわついた。
「私はガブリエル殿下とマリー公爵令嬢の婚約のため、亡きシャルル殿下とマリー公爵令嬢の婚約を解消しようと、ロワール公爵家の領地に赴きました。
婚約証書を燃やし、婚約の白紙にしようとしましたが、マリー公爵令嬢が泣いてやめてほしいと訴えたのです。
婚約者を亡くし、まだ九歳の少女には酷なことと思い、私は婚約証書を燃やすのをためらいました」
ヤニス枢機卿は自分は罪深いことをした、とでも言うように静かに答えた。
「ガブリエル殿下とマリー公爵令嬢が婚約する際、燃やされていない婚約証書をどうすればよいのかロワール公爵に相談しました。
しかし、ロワール公爵は、娘が可哀想だから、燃やすなと私を脅しました。小心者の私は、脅しに屈してしまいました……」
ヤニス枢機卿が沈痛な顔をした。聴衆はさらにざわつく。ひときわ大きな声が傍聴席からでた。
「どういうことだ? ロワール公爵は、娘可愛さにシャルル殿下との婚約を継続させたのか?」
その一言に、さらに聴衆はざわつく。ヤニス枢機卿は懺悔でもするような弱々しい声をだした。
「婚約証書は燃やされぬまま、マリー公爵令嬢はガブリエル殿下と婚約しました。マリー公爵令嬢は、二重婚約となっているのです。
証拠はこちらに」
ヤニス枢機卿は、二枚の婚約証書を裁判官の前に見せた。どちらもマリー公爵令嬢の直筆の名前が入っている。王の印字もある。相手は、ガブリエル王子と、亡きシャルル王子の名前だった。
婚約証明書の管理は教会である。教会を通じて結ばれたものなので、自ずと管理が任されていた。
「二重婚約!……法で禁じられている行為じゃないか……!」
また大きな声が響き、聴衆がざわつく。
(二重婚約……そんなこと……あるわけないじゃない……)
ヤニス枢機卿の話が、全くもって理解できずにメリルは唖然とした。ヤニス枢機卿は芝居がかったように両手を前に組んだ。
「ロワール公爵……そしてマリー公爵令嬢は二重婚約の罪を隠し、ガブリエル王太子殿下を廃そうとしています。
これが国家反逆罪と言わず、何を国家反逆罪と言うのか!
私はマリー公爵令嬢とガブリエル王太子殿下の婚約は、無効であったと証言いたします」
聴衆がざわつき、裁判長はひっきりなしに木槌を打っている。
「……うそよ……」
うつむいていたマリー公爵令嬢は、信じられないといった様子で、ふらりと立ち上がった。今にも泣き出しそうな顔をしながら、マリー公爵令嬢は言う。
「わたくしは……シャルル殿下との婚約証書が燃えるのを……見ました……」




