24. 悪役夫人キュキュロン
本日、二話目です。
宰相ポワソンは、王宮の回廊あった鏡を覗き込んだ。
(毛がなくなったな……)
婚約破棄裁判が始まってから、連日、心労が続いている。元々寂しかった後頭部が薄くなった。
はあ、とため息をついて、また歩きだした。
ポワソンが訪れたのは、公妾キュキュロンの離宮。
歴代の寵妃が住んだ離宮は、豪華絢爛だ。
愛人にこれだけの金をかけられる。
――という権力の象徴でもあった。
使用人の案内で奥の部屋に通された。
三十歳になっても、衰えぬ美貌をもったキュキュロン夫人は、ポワソン宰相を見て艶やかに笑んだ。
「宰相閣下がお越しくださるなんて、珍しいこと。――昔のように遊びに来たのですか?」
「冗談はよしなさい。君はもう、陛下のものです」
ポワソン宰相は近くの椅子にどかりと座った。
キュキュロン夫人は使用人に目配せする。使用人はワインを持ってきた。別の使用人は、ワイングラスをポワソン宰相の前に置く。
使用人は心得たように部屋から出ていった。
キュキュロン夫人は、ポワソン宰相が座った椅子の肘掛けに腰をおろす。
麝香の鮮烈な香りがポワソン宰相の鼻腔をくすぐる。甘い感傷に浸りそうになりながら、グラスにワインが注がれるのを見ていた。
「……なぜ、ガブリエル殿下を擁護するなんて言い出したのですか」
「あら、おかしなことですか? 運命の恋をしたいと願うふたりを応援したいと思っただけですわ」
純粋な気持ちです、と微笑むキュキュロン夫人に、ポワソン宰相は顔をあげた。鋭く威嚇ような眼差しで、キュキュロン夫人を射ぬく。
「キュキュロン、素直に白状しろ。何を考えている?」
その言葉を聞いて、キュキュロン夫人はぶっと吹き出した。
「あはは! あなたが呼び捨てにするなんて、相当、焦っておりますのね。ふふふっ。おかしいわっ」
無邪気に笑うキュキュロン夫人に、ポワソン宰相は苦虫を噛み潰したような顔になる。キュキュロン夫人の言うとおり、呼び捨てにしたのは失態だ。
キュキュロン夫人が国王に献上されることを願ってからは、彼女のことは王のものとして扱ってきた。
それ以前は、傷をなめ合うように肌を重ねる関係で、今は妻だ。
妻といっても、王の寵妃になるための仮初めの夫婦。
王の愛人――公妾は、夫を持ち、国王を喜ばせることに長けた女性でなければ、なれなかった。
ポワソン宰相は、焦っていた。
王妃がいない今、キュキュロン夫人は、国王に次ぐ権力者。公爵家を監獄送りにできてしまう。
寵妃の一声――それで、裁判をする前に監獄送りにしたら、公爵家は、王家を許さないだろう。
監獄に入っても、死ななければ三年で出てこれる。しかし、不衛生な監獄は、貴族にとって地獄だ。かよわい令嬢では、生き残れるとは思えない。屈強な公爵は生き残るだろうが。
不当な理由で娘を亡くし、生き残った公爵は何をするか。
見える未来は、壮絶な内乱だ。
(戦争も終わり、血の雨を降らせる王妃様もいなくなった。これから国力を回復しなければいけないという時期に、争っている場合ではないのだ……!)
ポワソン宰相は国の行く末を憂い、キュキュロン夫人を見据える。
「君は亡き妃殿下を立て、この王宮でうまくやってくれました。……それなのに、どうして、今さら……」
「そうですわねぇ。自分で言うのもなんですが、よくやったと思いますわ。ヒステリックな妃殿下にキュキュロンと呼ばれながらも、彼女を立てました。
亡くなるときは、陛下をお願いね、なんて言われた時は、胸がすく思いでしたわ」
「…………」
「それに、激しいのがお好みの陛下に合わせて、この体を酷使いたしました。
ふふ。まだ足りないとおっしゃるので、娼婦たちにも頑張ってもらいましたわ。娼館の経営、増える庶子たちの面倒……あぁ、でも、ここはアリスが助けてくれましたわね。――彼女、不幸な子供が増えるのを嫌いますから」
ふふと笑うキュキュロンの瞳は、本当の意味で笑ってはいない。
「……でも、あなたがわたくしの夫となった後で、王宮に舞い戻ってくるのは、驚きましたけど……」
「……それは、そうでしょう。私を王宮から追放したくて、寵妃の夫にした奴らの思いどおりにはさせませんよ」
本来、寵妃の夫は、王宮に入れない。年金をもらい悠々自適に田舎には引っ込む。それは、王が寵妃を愛でるのに夫が邪魔だからだ。
ポワソン宰相とキュキュロン夫人の婚姻も、軍で功績をあげ、力をつけてきたポワソン宰相を疎んだヤニス枢機卿の企みであった。
恋人同士だからいいだろ?なんて、ぬけぬけと話して、ふたりを結婚させたのだ。
しかし、ポワソン宰相は王宮からでなかった。是が非でも残ってやると、王宮歌団を頼り、宦官になった。
王宮歌団は、男性しか認められず、美しいソプラノボイスを保つために、思春期に宦官になる手術を受けていた。
医師に手術させ、生死をさまよいながらも、ポワソン宰相は生き残った。
「……国王陛下に宦官になったことを面白がられ、私は宰相にまでなれました」
「……すごい執念ね」
「はっ……能無しどもに国を動かせるものですか。成り上がるためなら、手段は選びませんよ。それは、あなたも同じでしょう?」
キュキュロン夫人はポワソン宰相をじっと見つめた。ふたりは恋人のように熱く見つめ合ったが、ふと、キュキュロン夫人は笑う。
「……そうね。わたくしも、贅沢したかったわ。寒いのも、ひもじいのも、嫌いだもの」
「ならば、なぜ、殿下を支持するのです。ルイーズ王女殿下がロワール家を支持すると言ったのだ。……今や宮廷は王女殿下を支持する声が強まっている。それを知らないあなたではないでしょう……」
キュキュロン夫人はグラスを片手にワインを飲み干す。ほんのり上気した頬のまま、うっとりと微笑んだ。
「まあ、わたくしを高くかってくださること」
「話をはぐらかさないでください」
「ふふっ。愛する人を公妾にしたくない。そんなことを言う殿下を支持したくなりましたのよ。……わたくしも誰かさまに、言われて見たかった」
ちらりと見つめられ、ポワソン宰相は苦々しい顔をして、吐き捨てるように言う。
「……今さらなにを……あなたは寵妃になることを望んでいたじゃないか」
「ふふっ。そうね。……わたくしは王子様に見初められて、灰かぶり姫になりたかったわ……でも、ガラスの靴で躍り続けるのに、疲れちゃったの」
キュキュロン夫人は腰をくねらせながら、椅子から離れた。ワインボトルをサイドテーブルに置く。
「そろそろお帰りになられたら? 陛下がやってきますわよ」
「……寵妃の一声を使わないと約束してください。公爵を追いつめるようなことはしないでくだい」
すがるような目で見るポワソン宰相に、キュキュロン夫人は満足げに微笑んだ。
「いいわよ……その代わり、わたくしはガラスの靴をすてて、灰かぶり姫を辞めるわ」
ふふっと笑ったキュキュロン夫人は、楽しそうだった。ポワソン宰相は苦痛に耐えるような顔になる。
「わたくしは王の愛人。ベッドの上で陛下をたぶらかし、農民が飢えているときに贅沢をする悪女。悪女らしく退場してみせるわよ――」
キュキュロン夫人は約束を守った。
寵妃の声は使われることなく、裁判の日がやってきた。




