23. わたくしの願いは
マリー公爵令嬢が泣き終わるまで、メリルは黙ってその場を動かなかった。
メリルからして見れば、婚約者を思いやれないガブリエル王太子が圧倒的に悪いのだが、マリー公爵令嬢はそう思っていない。
傷ついた令嬢をどう慰めようか。
メリルが考え込んでいると、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたモニークがそばに駆け寄ってきた。
「マリー様! マリー様が傷つくことはありません! ガブリエル殿下は! ほんとっ! ほんとうに酷い人なんですっ!」
かみかみになりながら、モニークは訴える。
マリー公爵令嬢は不思議そうな顔をした。
モニークはあいつだけは勘弁ならねぇといった調子で、捲し立てる。
「こんなことを言っては不敬だと思いますが! 殿下はマリー様のことをほんとっ、ほんとうに、大事にしていませんでしたっ! カーラ男爵令嬢にはデレッデレなのに! あああ! 思い出しただけで、ムカつきます!!!」
モニークが発狂した。
モニークの取り乱しぐあいに、マリー公爵令嬢とメリルはポカンとする。
ロジェは、うんうんと頷いている。
ロジェは自分はカーラ男爵令嬢の絵を描いたことがあると説明した上で、キリッと顔をひきしめた。
「私もモニークに同意します。殿下は陛下と同じでクズ野郎です」
マリー公爵令嬢は呆然とする。
ロジェは美形な顔をフル活用して、さっとマリー公爵令嬢のそばに膝を付くと、胸ポケットからハンカチーフを抜き取り、マリー公爵令嬢に差し出した。なかなか、様にはなっている。
「あなたのような心の美しい人には、もったいない人です。汚い川に捨てていいぐらいの相手です」
「ほんとに、川に捨ててやりたいです!!!」
モニークも発狂している。
メリルはあららと思いながらも、マリー公爵令嬢を見上げた。
マリー公爵令嬢は、目をぱちぱちしているだけで、否定しない。
どうやら泣き止んだようだ。それにほっとする。
メリルは肩で息をつくと、マリー公爵令嬢に話しかけた。
「マリー様。思い出はかけがえのないものです。無理に消すことはありません。わたしも、時々、亡き祖母と祖父を思い出します。思い出すたびに切なくて、苦しくなります……」
それでも、とメリルは続けた。
「前を向きたいのです。幸いにも好きなものも、それを理解してくれる人もいます。それが生地作りです。……マリー様は好きなものはありませんか?」
呆然としていたマリー公爵令嬢がメリルを見つめた。メリルの瞳をじっと見つめていたマリー公爵令嬢が、ぽつりと呟くように言う。
「わたくしが……好きなもの……?」
「はい。なんでもいいです。刺繍とか、本を読むこととか」
マリー公爵令嬢はしばらく考えた後、呟くように言った。
「……義手・義足作りを学びたいと思っていたわ……」
「義手・義足……ですか?」
「えぇ。戦争中……わたくしの城は、傷ついた兵士の診療所でした……今は、生きて帰ってきてくれた人の職業訓練所になっています……わたくしのお父様も義足です……」
「そうだったのですね……」
「友好国のトリアでは、義手・義足作りが発展していてね。
トリア国を訪問したとき、第二王子ウィリアム殿下が職人たちの作業所を案内してくださったの。
ウィリアム殿下は、たびたび手紙をくださって、トリア国のことを教えてくれたわ……」
マリー公爵令嬢の頬にほんのり熱が帯びる。
ふわっと微笑んだマリー公爵令嬢の表情から、辛いばかりの過去ではなかったことが知れて、メリルは胸を撫で下ろした。
「素敵な話ですね。わたしもトリア国に行ったことがあります」
「まあ、あなたもなのね」
「はい。短期留学したときに……」
第二王子ウィリアムとも叔父を通じて挨拶ができた。物腰が柔らかい人という印象だ。
「いい国ですよね」
「えぇ。ここより知的に発展しています。あの知識をわたくしの領地や都市でも広めたいわ……」
「素敵じゃないですか」
そう賛同すると、マリー公爵令嬢は表情をくもらせた。
「……王太子妃になったら、会議の出席が認められます。会議の場で、戦時処理の予算を増やしてもらおうと考えていたわ……都市の道も広くしてほしいって思っていたの……」
マリー公爵令嬢の言葉に、メリルは大きく目を開いた。
「都市の道を……ですか……」
「えぇ。わたくしの領地ロワールでは、都市リーパよりもずっと道幅が広いの。先の戦争で導入された砲台――蒸気三輪自動車を動かせるように、城の周りを舗装したのよ」
マリー公爵令嬢は都市の道の細さを憂いていた。
元々、リーパは広大な狩猟場を目当てに王宮が移設されてできた都市だ。
荘厳な王宮を建てることに金がつぎ込まれた為、都市開発は進んでいない。下水工事もままならないまま、人だけが集まっていた。
家や店を建てるために、道は細くなり、事故が絶えなかった。
メリルは祖父母の事故を思い出し、胸がいっぱいになった。
「……マリー様の夢は素敵なものです。ぜひとも、かなえてほしいです……」
マリー公爵令嬢は目をふせた。
「ありがとう。……王太子妃にはなれないけど……」
「でも、義手・義足作りは発展はできます。都市のことだって。そのためには、マリー様は裁判に勝たないといけませんよね」
「えっ……?」
「裁判に負けたら、きっと公爵家は表舞台には出てこれないのではありませんか。……マリー様の願いは誰が受け継ぐのでしょう……政治はわかりませんが、公爵家が傷つくのは、わたしが嫌です」
メリルは立ち上がった。今度はマリー公爵令嬢を見下ろしながら、手を差し伸べる。
「マリー様。ご自身の願いのために戦ってください。あなたの願いは、人を幸せにするものです」
マリー公爵令嬢は口を引き結んだ。
「……でも、裁判は、殿下と争うことになります……わたくしは……」
立ち上がれないマリー公爵令嬢にメリルは聖女の言葉を口にした。
「――わたしは、自分が信じたようにしか生きられない」
マリー公爵令嬢は、大きく目を開く。
「マリー様の先祖。聖女ジャンヌ様の言葉です。あなたは今の時代の聖女様です。あなたを守る防具を、わたしたちに作らせてください」
メリルの言葉に、モニークもロジェも頷く。
マリー公爵令嬢は目を開きながら、呟くように言った。
「わたくしの信じたもの……わたくしは――」
マリー公爵令嬢は、メリルの手を取った。
メリルは屈んでいた腰を元に戻す。
それにつられるようにマリー公爵令嬢も立ち上がった。
「勝ちましょう。願いのために」
メリルの言葉に、マリー公爵令嬢はこくりと頷いた。
その日から、マリー公爵令嬢のための服作りが始まった。ドレスコードは決まっている。
華やかさは、ダメだ。
裁判は大聖堂で行う。
荘厳な教会に合うものでなけばならない。
メリルはロジェと話し合い、生地を作り上げた。
ポール卿と話した時に浮かんだアイディアが生かされ、銀に染色し、艶めく光沢を出そうとした。
銀の染色は難しく、ガストンたちと共に、何度も試行錯誤が繰り返された。
モニークは出来上がった生地を元に、服を仕立てた。
そして、出来上がったものは、今の世の聖女の姿だった。
髪はひっつめて、厳格に結い上げられた。おでこを出して上を向けば、マリー公爵令嬢の儚げな表情は、今の世を憂う聖女の姿に見えた。
引きずるほど長いスカートに、袖がすぼまったものは、聖職者の服に似ている。
でも、美しさはある。
銀の一色の布には、蔦もようが刺繍された。それは戦場の聖女が着ていた甲冑を連想させた。
今の時代の聖女は、裁判所となる大聖堂へと入っていった。
次は裁判にいかず、公妾と宰相の話になります。
裏話的な話になりますので、本日18時に更新いたします。




