21.もてる全てを使って
オトリー夫人の案内で宮廷の中庭を歩いていく。外観の柱ひとつとっても当時の芸術家たちの渾身の作品であることがわかり、メリルは世界の中心にでも立ったような夢心地になった。
オトリー夫人宅があるのは、王族の住む本宅ではなく、別の建物。従者の館のひとつ。
館とはいっても、千人を越える人が住まう大規模なものだ。タワーマンションを横にしたような、長細い建物だった。
三階建ての建物は、上に行くほど、王族のお気に入りと言われていた。
オトリー夫人の家は最上階にあった。
フロアを守る警備兵に軽く挨拶をして、オトリー夫人は家の扉の前に立つ。
「中に主人が待っているわ。あなたたちに会うのを楽しみにして――あら、メリルさん?」
放心したメリルに気づいて、オトリー夫人が首をかしげる。
メリルは、意識を取り戻した。
「……申し訳ありません。あまりに素晴らしい王宮なので、圧倒されていました……」
ガン見するどころではなかった。
この王宮を作り上げるのに、何千、何万の人が関わったのだろう。
建設から百年経った王宮は、きらびやかすぎた。
画家は天井に絵を描き、家具職人はねこ足のフォルム家具を産み出した。
錬金術師たちは、東洋の模様を真似した陶磁器を生み出した。
王宮はデザイン同士の戦いの場のように見えた。
己が考える最高のもののぶつかり合い。
それが融合して、見る人を圧倒する。
メリルもまた、言葉を失っていた。
(あぁ、わたしはまだまだだわ……でも、いつかここに、わたしの作った生地を飾りたい……)
それはまるで、歴史に名を残すことと同じようであった。
素晴らしいものを作れば、身分なんて関係ない。一般市民のメリルも、チャンスは巡る。デザインは実力主義の世界だ。
甘美な誘いに酔いながら、メリルはうっとりと微笑む。
「わたし……王宮に入ってみたかったのです。今、素晴らしい体験ができています……」
オトリー夫人は、まぁまぁと微笑む。
「それはよかったわ。ささっ、入って」
オトリー夫人が呼び鈴を鳴らすと、老齢の執事が扉を開いた。
夫人邸宅も素晴らしいものだった。
デザインの神様が手掛けた家具がところ狭しと並んでいて、メリルは大興奮だ。
(これ、本で見た引き出しだわ! うわっ! わあぁああ!……素敵……)
口を引き結んで言葉は謹んでいたが、間近でねっとり見たくて仕方なかった。
時間が許されるなら、椅子ひとつで半日は眺めていたことだろう。
熱中して読んだ本の世界が、目の前に広がっていて、メリルは胸を高鳴らせた。
客間にはポール卿が待っていて、渋みのある笑顔でメリルたちを待っていた。
「あなた、メリルさんたちをお連れ……した……わ……」
笑顔で部屋に入ったオトリー夫人の声がしぼんでいく。
ポール卿は笑顔で夫人をねぎらった。
「セシル、ありがとう。メリルさんたちもよく来たね」
にこやかに挨拶されて、メリルはさっと礼をする。しかし、挨拶どころではない。
ポール卿の背後には、少女がいたのだ。
(なんで、第一王女殿下がいるの……!?)
ルイーズ姫の姿を見て、いち早く、モニークが腰を落として、頭を垂れる。メリルもロジェも慌てて同じようにするが、三人とも冷や汗がとまらなかった。
「オトリー、この人たちが、仕立て屋と生地職人なの?」
鈴を転がしたような声がした。
ルイーズ姫は八歳。
十八歳である兄のガブリエル王子とは、十歳離れている末っ子だ。
「はい、王女殿下。彼らは素晴らしい職人たちです」
ルイーズ姫はしげしげと三人を見つめた。
「あなたの顔は見たことがあるわ。マリーお姉さまの所に出入りしていた針子ね」
声をかけられ、モニークの背中が震える。モニークの顔は青ざめ、体はガタガタと震えた。
ルイーズ姫は次にロジェを見る。
「あなたも見たことあるわ。派手な女が、つれ回していた男ね」
ロジェは頭を下げたまま苦笑した。顔が知られているとは思っていなかった。
最後にルイーズ姫は、メリルを見た。
「……あなたは知らないわ。顔をあげなさい」
メリルは緊張しながらも顔をあげた。
見えたのは輝くような黄金の髪を持つ美少女だった。美男子の父と、切れ長の瞳を持つ母の特徴を受け継いだ彼女は、年齢に合わないすごみがあった。
「メリル・ジェーンよね。……フィリップ・ジェーンの孫」
「……祖父の名をご存知なのですか……」
驚きすぎて声がでてしまった。
メリルは慌てて口を引き結ぶ。平民が許可なく話すことは不敬だ。
ルイーズ姫は肝を冷やすメリルに向かって涼やかに微笑む。
「そんなに怯えないで。わたくしはお母様と違って、血の雨は降らせないわよ」
亡き王妃の処刑エピソードを例に出されたが、メリルたちは笑えなかった。
ルイーズ姫はくるんと踵を返すと椅子に座る。
付き添いの侍女だろうか。彼女は能面で椅子をひき、ルイーズ姫はそこに座った。
今のいままで存在感を消していた侍女の存在が怖い。
「全員、顔をあげなさい」
ルイーズ姫はにっこりと笑った。
「お茶をしながら、お話をしましょう」
天使のような微笑みを見て、ロジェは帰りたいと心で呟いた。
オトリー夫人が茶葉を用意してくれ、謎のお茶会が始まってしまった。
メリルは、はじっこの席で周りを見ている。
(オトリー夫人の様子を見ると、ルイーズ王女殿下がいるのは知らなかったようね……いるなら、話をするはずだもの……
じゃあ、ルイーズ王女殿下が押しかけてきたの?
何のために?)
第一王女が何の用だろう?と、考えるが、さっぱり分からなかった。
ルイーズ姫とポール卿は親しい関係にあるようだ。ポール卿は、久しぶりに孫娘に会えたおじいさんのような顔をしている。
ルイーズ姫はお茶をひとくち含むと、話を始めた。
「オトリーから話を聞いたのよ。あなたたちなら、わたくしの望みを叶えられるでしょうって」
(望み……? なんのこと……?)
「あなたがたも、愚兄のことは知っているでしょう。マリーお姉さまとの裁判のことよ。その裁判でマリーお姉さまが着る服をあなた方に作ってほしいの」
ルイーズ姫はそう切り出し、ガブリエル王太子とマリー公爵令嬢の裁判のことを話し出した。
「今、マリーお姉さまは危うい立場におられるわ。わたくしが王位継承権を持つことを反対して、愚兄側に、ヤニス枢機卿と、……キュキュロン夫人が付いたの……」
それは新聞にも載っていない王宮の内情であった。
ヤニス枢機卿は、男系断絶、絶対反対!と声高に叫んでいた教会の最高顧問のひとり。
キュキュロン夫人は、王の愛人、公妾だ。
本来、枢機卿と公妾が、手を取り合うことはない。
枢機卿は神がさとす一夫一妻制を遵守する。愛人の存在は、神の教えに背く憎らしい者だ。
それが、手を取り合ったというのは、妙な話である。
ポール卿は微笑みながら、ルイーズ姫に諭す。
「それは、私たちが知っていいことでしょうか」
「いいのよ。口は固いでしょ?」
軽やかな声は、しゃべったら、ぶっ殺すと脅しているようだった。
「デシー家が動いているようだし、どうせ知ることだわ」
(デシー家……カフェの帰りで、お金を渡していた家の人……)
嫌なことを思いだして、メリルの顔がくもる。
ルイーズ姫は気にせずに話を進めた。
「ヤニス枢機卿は、公爵家こそ王家転覆を狙う犯罪者と言っているし……キュキュロン夫人は愚兄を擁護すると言っているわ……不気味よ。あの人、なにを考えているのか分からないわ……」
ルイーズ姫は細い体を震わせて、顔を歪ませた。
「公妾がお父様に頼んだら、マリーお姉さまたちは、即監獄行きよ……キュキュロン夫人が最終手段に出たら、わたくしも手が出せないわ。……お父様がそんな馬鹿じゃないと思うけど……公妾には弱いから……」
ルイーズは言葉を切って、深呼吸をした。
「……マリーお姉さまは、家族が断罪されるくらいなら、和解して婚約破棄すればいいとおっしゃっているの。愚兄が王になれば、いいって。……でも、そうなると、わたくしのお姉さまは、あのカーラとか言う令嬢になるかもしれないのよ?
そんなのおかしいわ!」
ルイーズは火が付いたように声を出した。
「マリーお姉さまが何をしたって言うのよ……お姉さまは悪くない! 馬鹿なのは、お兄様の方でしょ! 誰もかれもマリーお姉さまの気持ちを大事にしないで、みんな、嫌いっ……嫌いよ……」
ルイーズ姫は涙ぐんで、憤っていた。
(ルイーズ殿下にとって、マリー様は本当の姉のような存在なのね……)
お姉さまと呼ぶのを考えると、メリルにはそう思えてしかたなかった。
モニークが風評被害を受けたとき、ルイーズ姫と同じく、メリルも怒った。
家族じゃないとか、本人じゃない、とか関係ない。自分が許せないのだ。
「お姉さまが裁判に出たくなるような服を作って。あなたたちなら、できるってオトリーが言ってたわ」
その命令は、難しいものだった。
マリー公爵令嬢に頼まれたものではないからだ。
モニークはうつむいて迷っていた。
ロジェは口を引き結んだままだ。
メリルだけは、違った。
ルイーズ姫の思いに突き動かれていた。
「作ります」
ぱちぱちと瞬きするルイーズ姫に頭を下げた。
「もてる全てを使って、マリー様のドレス生地を作らせて頂きます」




