18.それって最高の状態じゃない!
ロジェがホールから出ていくのが見え、それを追いかける人がいた。頭にダチョウの羽をつけた妖艶な貴族夫人が嬉々とロジェを追いかける姿を見て、メリルは顔をしかめた。
(何、あの人……)
嫌な気持ちになって、追いかけると、薄暗い廊下でふたりが親密に近づいて話していた。
ここからではロジェの背中しか見えないが、女性から距離を取ろうと、腰を引いていた。女性はうっとりとロジェを見つめている。
メリルはぐっと喉を鳴らした。
(まさか、ロジェに……)
社交の席では、夫人が見目のよい男を誘うという光景もたびたび見られる。彼女たちは、一夜限りの恋を楽しむのだ。なにより、ロジェは平民。貴族夫人の誘いを断るのは難しいだろう。
ふたりの関係は分からないが、ロジェが嫌そうに見えたメリルは、割り込もうと足を進めた。
(ロジェにくっつかないで! ロジェはあなたが好きなようにしていい相手じゃないのよ!)
メリルがずんずん歩いていると、ロジェは大声を出した。
「マダム、申し訳ありません。私は真実の愛を見つけてしまったのです」
(え……?)
伯爵夫人と同じく、メリルもぽかーんとした。
その後の熱弁ぶりに、メリルは動揺していた。
(……ロジェって、好きな人……いたんだ)
その相手が自分かもしれないと一瞬だけ想像してしまい、メリルは恥ずかしくなった。
(……バカ。バカバカ。何、勘違いしているのよっ)
それが勘違いではなかったのだと、ロジェの荒ぶった告白を聞いて、メリルはすっかり腰が抜けてしまった。
大ファンだったポール・オトリーと会話できた時よりも、衝撃は強く、立てそうにない。
ロジェはむすっとした顔になって膝を床につけた。琥珀色の瞳は熱を孕んでいた。
「……メリルが俺のことを友人だと思っているのは、知っているよ。……別に今のまま、無理に関係を変えようとしなくていい――だけどさ」
ロジェがメリルの指先を手で大切そうにすくいあげた。
「頭の片隅でいい。俺は本気でメリルが好きだって、覚えておいて」
ロジェが指先に口づけをする。ロジェの形のよい唇が指に触れるのは扇情的で、メリルは顔を真っ赤にした。
何か言おうとしても、舌が回らず、はくはくと口が動くのみ。
ロジェはその様子を見て、微笑すると手を離して立ち上がった。
「先に戻っているな」
そう言われて、背後でドアが閉まる音がした。
メリルは大きく体を震わせ、熱を帯びた頬を両手で挟んだ。
(うわっ……うわっ うわうわっ……うわあああっ!)
メリルはその場で悶絶した。
しばらくして、モニークがメリルを探しに部屋にやってきた。
目を点にして放心するメリルを見たモニークは、まったくもって状況が分からず、ひぃっと声をだした。
「メリル、どうしたの? 何かあった……?」
メリルは顔を赤くして、身ぶり手振りで説明しようとする。
「あの、ロジェがっ……! あの、そのっ! ロジェがね!」
まったくもって説明にはなっていないのだが、ふたりの側にいたモニークはピンときた。
ここ二ヶ月間、ずっとふたりを見てきたのだ。ロジェのメリルへの態度はあからさまで、モニークは、おやおや~?と思っていた。
微笑ましいなと思いながら、モニークは笑顔で言う。
「ロジェと何かあったのね」
「う、うん……」
「そう。後で聞かせてね。そろそろ、誕生会が終わるわよ」
「え? もう、そんな時間……?」
「挨拶をしに行きましょう」
「……うん」
メリルはようやく立ち上がった。間抜けな顔をしないよう表情だけは引き締め、客人に丁寧に挨拶をした。
けれど、ロジェの顔だけは見れなかった。
*
「お疲れ様。いい誕生会になったわ」
片付けを手伝っていると、ボネ夫人がメリルたちに声をかけた。
「マダムの力が大きいです。ありがとうございます」
「ふふ。あなたたちの実力よ。今日は、ここに泊まって、ゆっくり休んで頂戴ね。さほど食べていないだろうから、後で軽食を客間に届けさせるわ」
「ありがとうございます」
「明日は、モニークのお店の話をしましょうね」
「はい……!」
モニークは頬を薔薇色に染めて、喜びを顕にする。それに目を細めていると、モニークの横にいたロジェとバッチリ目が合ってしまった。
メリルは露骨に目をそらす。ロジェは苦笑した。
それを見たボネ夫人が、あらあらぁ?と興味津々な顔をする。
ふたりの間に挟まれたモニークが、身振り手振りで、ボネ夫人にサインを送った。
――マダム! ふたりに何かあったようです! がっつり聞き出します!
――モニーク、任せたわ! 後で、こっそり教えて頂戴ね!
そんな二人の合図など知らずに、メリルはロジェをあからさまに避けてしまった自分に頭を抱えたくなっていた。
夜、寝る前に、モニークはメリルに声をかけた。
「ねぇ、メリル。ロジェと何があったの?」
内風呂という贅沢を味わって、すっかり気が抜けていたメリルは、大きく震えた。
とろんとしていた頭は、すっかり冴えてしまい、思い出すのはロジェの真剣な眼差し。
メリルはクッションを抱きしめ、呟くように言った。
「……ロジェに……告白されたの……」
恥じらうメリルを見て、モニークはにやけた。
「そう、好きって、言われたのね。よかったじゃない」
「……よかった?」
メリルは思ってもいなかった言葉に、ぱちぱちと瞬きする。
「あら、メリルだって、ロジェのことを好きなんじゃないの?」
メリルはかっと火がついたように頬を赤くした。
「好きっていうか……」
「いうか?」
メリルはクッションを強く抱きしめて、ポツリポツリと話し出す。
「……今さら、ロジェとどうこうなるなんて、考えられないというか……」
「あら、そうなの? お似合いだと思うけどね」
「……だって、ロジェと出会ったの……七年前よ? 七年も、友人だったのよ? それを今さら……」
「七年! 小説みたいね!」
「もう、モニークったら……からかわないで」
メリルが恨めしく見つめると、モニークはくすくす笑った。
「でも、あなたたち息ぴったりだと思うわ。メリルだって、ロジェに甘えられているじゃない」
甘えている、と聞いて、メリルは考え込む。
思い当たる節が、たくさんありすぎた。
「……甘えて……るかも……」
「ふふ。そうよね。そうよね。それに、ロジェはメリルの仕事に理解があるし、パートナーとしては最高じゃない?」
「……そうね……」
「ついでに、顔までいい」
「いいわね……口は悪いけど……」
「それは、メリルに甘えているからでしょ? ロジェ、私の前では、紳士ぶったことを言うもの」
モニークの言っていることが分からず、メリルはこてんと首をかしげる。
「ロジェって、メリルの前だけ、荒っぽい口調になるのよね。まあ、あれが本心なんでしょうけど……」
「……そうなの? ちっとも、気づかなかったわ……」
「ふふ。お互いに気を使わない相手って、いいと思うわよ」
そんなものだろうか。
メリルは恋というものがよく分からない。
仕事をしていると、女だから~、これだから女は~、なんて言葉を嫌になるほど聞いてきた。
馬鹿にされるのが嫌で、仕事一筋だった。
恋よりも、仕事、仕事、仕事。
ただひたすらに、がむしゃらにやってきた。
それが楽しかった。
それなのに、ここにきて、恋のおまけ付きなんて戸惑ってしまう。
「……なんだか、上手く出来すぎているわよ」
「へ? どういうこと?」
「だって、仕事もうまくいきそうで、おまけに好きになってくれる人が現れて、その人は料理上手だし、わたしが何をしても、優しいし……それで美形よ? 美形! 話が出来すぎでしょ!」
メリルは声を荒ららげた。モニークは「ぶふっ」と吹き出して笑う。
「あははは! もう、やだ、メリルったら! それって最高の状態じゃない!」
「……え?」
モニークは目頭の涙をぬぐいながら、微笑む。
「そんなの。神様からのご褒美だと思っておけばいいのよ。メリルは一生懸命やってきた。だから、神様も、この子には幸せをあげようと、してくれているのよ」
メリルは納得できずに、うなった。
「そう難しく考えないで、ロジェのことを考えると、どう思う? ちょっといいかも、とか思わない?」
モニークの言葉に引き寄せられて、メリルはロジェを思い出す。
甘くかすれた声。すがるように目で見られ、指先に落とされたキスは、熱かった。
ぼんっと音がでそうなほど赤面して、メリルはシーツを頭から被り、丸まった。
丸まったまま、生まれたての小鹿のように震えだす。
(あら、可愛い)
こんもりと膨らんだシーツを見て、モニークは笑う。
シーツにくるまったメリルを背後から抱きしめた。
「可愛くて、優しい、メリル。うんと幸せになって。大好きよ」
それは、モニークにとって、心からの願いだ。
ボロボロだった自分をすくい上げてくれた人たちは、みんな幸せになってほしい。モニークはふふっと笑いながら、目を閉じた。




