17.私は運命の恋をしているのです!
「あぁ!」と言いながら、失神した夫人は男性が支えた。
夫人が倒れたことで、心配する声があがる。
ざわつきを見たボネ夫人は、気絶して、逃げたわねと心の中で毒づいた。
一方、当のモニークはパニックになっていた。
(いやぁぁぁ! 人参が倒れたわ!! 人参が! 人参があぁああ!!!)
その頃、ロジェといえば。
(なんで夫人たちって、額に手をおいて、あぁ!と言いながら、わざとらしく気絶するんだろうな。
あの倒れかたって、誰かが助けてくれるって見込んでいないとできねえよな。だって、支えられなかったら後頭部から、床に頭をごっちんだぞ?
夫人たちは、正しい気絶の仕方レッスンでも受けているのかあ?)
と、あさっての方向に思考をめぐらせ、辟易していた。
メリルは気絶した夫人は眼中になく、夫人を助けた相手を見て、固まっていた。
気絶していたはずの夫人は、気付け薬も嗅がずに目をさました。
つまり、意識はあって、ただの演技だったのだ。
夫人は儚げな微笑みを浮かべて、自分を助けた男性を見上げた。
「ありがとうございます……」
「いえ、ご気分は大丈夫ですか? 不遇の仕立て屋アラフォレの復活に感動して、倒れられたのですよね? お気持ちはよく分かります」
にっこりと笑いながら言われてしまい、夫人はぽかーんと口を開いた。
「あの、いえ、そういうわけでは……」
「ははは。謙遜なさいますな。あのタペストリーを見れば、三人がたぐいまれなる才能を持っているのは明らかです」
男性は微笑んで、夫人を立たせると、三人の前に歩んでいった。
「ボネ夫人。あなたの友人がたは、素晴らしいですね。私、ポール・オトリーもアラフォレの復活を心より応援しております」
男性――ポール・オトリーは、ホールに響き渡るほどの大きな拍手をした。
それにつられて、周りからも拍手がまた沸き上がる。
気絶していた夫人は、あんぐりと口を開けたまま、間の抜けた顔をしていた。
「助けてくれて、ありがとう……」
ボネ夫人が小声でいうと、ポール卿は「はて、なんのことですかな?」と、小声で返した。
「メリルさーん! あなたって、本当に素晴らしいものを作るわね!」
歓声の合間をぬって出てきたのは、以前、カフェで出会ったオトリー夫人だ。
オトリー夫人は、ポール卿の隣に立つと、にっこりと微笑んだ。
メリルは大ファンであるデザインの神様を目の前にして、硬直していた。
「君がメリル・ジェーンだね。妻から、話を聞いているよ。ぜひ、君たちと仕事がしてみたいものだ」
その一言に、周囲がざわついた。
「ポール・オトリーが仕事を一緒にするっていうのは、王室からの仕事じゃないか……」
「まあまあ、そんなことになったら、依頼が殺到するわ。大変。今から予約しなくちゃ」
決まってもいないことなのに、周囲は大騒ぎである。誰も、アラフォレが再開することを信じて疑っていない。
(勝手なものね……)
と、ボネ夫人は小さく嘆息するが、ポール卿を見るメリルの顔が、あまりにも強ばっていたので、くすりと笑ってしまった。
「よいお話じゃない。三人とも頑張ってね」
そう涼やかに微笑んだ。
*
パーティーはさらに盛り上がった。
モニークは夫人に囲まれ、ドレスやカーテンの作成依頼ができないか聞かれている。
モニークは目を泳がせて言葉を詰まらせているが、代わりにボネ夫人が話を進めていた。
メリルは憧れの神様と話し込んでいた。
オトリー卿は渋みのある声の男性で、顔立ちもいい。メリルは浮かれて、頬を紅潮させている。
そんな様子を見たロジェは、面白くなかった。
(……あんなにうっとりと見つめちゃって……妬くぞ、こら)
すでに嫉妬しているが、間に割って入ろうとは思わない。それは無粋だ。
ロジェは嘆息して、ホールを後にしようと廊下に出た。
それを追いかける人がいた。
「……ロジェ、久しぶり」
ねっとりとした声にびくりと震えて、ロジェは振り返る。そこに居たのは、ロジェの元スポンサーの伯爵夫人だった。
伯爵夫人は、胸元がたっぷりあいたドレスを身にまとい、ロジェにすり寄る。
「あなた、別の仕事をしていたのね。あのタペストリーを描いたの、あなたでしょ? すぐに分かったわ」
伯爵夫人は馴れ馴れしくロジェの腕に絡みついていく。
ロジェは気持ち悪くて、わずかに口元をひきつらせた。
伯爵夫人は、夫が健在なのにも関わらず、何度もロジェに関係を迫ってきたのだ。
ロジェは甘い微笑みで、お誘いをかわしてきたが、正直、言えば、嫌で嫌でたまらなかった。
「ねぇ。あなたの才能を、最初に見つけたのは、わたしよね? また、ふたりで楽しいことをしましょうよ」
(いや、楽しいことって、なんだよ?! 俺とあんたの間には、なんもねえよ! 俺は二度とあんたに関わりたくない!)
自分の絵を新聞社に売ってポイ捨てしたにも関わらず、また仲良くしましょうという神経が分からず、ロジェは化け物でも見た顔になる。
(俺の名前が目立ったから、急に手のひらを返したんだろうな。めんどくせえ……さて、どうするかなあ……)
ここで下手に騒ぐと、さらにめんどくさくなりそうだ。泣いて喚かれでもしたら、メリルにも気づかれてしまう。そこで、ロジェは一芝居、打つことにした。
伯爵夫人の手をそっと取り、悲しげな表情をする。
「マダム、申し訳ありません。私は真実の愛を見つけてしまったのです」
「は?」
ぽかーんとする伯爵夫人の手からすり抜け、ロジェは苦悶の表情を浮かべて、心臓の辺りに手をおく。
「私の心は、その方のことでいっぱいなのです。寝ても覚めても、思い浮かべるのは、愛しい人のことだけ! あぁ! 私は恋の魔物に取りつかれ、我を失っているのです!」
「え? え?」
戸惑う伯爵夫人を華麗に放置して、ロジェは熱弁する。
「ですから、あなたの元には戻れません。愚かな男と嘲笑ってください。私は運命の恋をしているのです!」
キリッと顔を引き締めたロジェ。
(フッ、決まったな……夫人はドン引きだ。なんていったって、クズ殿下の真似をしたんだからな)
相手が固まっているうちに逃げるが吉。ロジェは笑顔で「さようなら(永遠に)」と、言い踵を返す。
二歩、足を進めて顔をあげた時、見えた人に絶句した。
メリルがそこにいた。
(なんでいるんだよ! ポール卿と話していたんじゃないのかっ!?)
メリルがここにいるのは謎だが、今の演技がバッチリ聞かれていたということは分かった。
(最悪だ……)
どんな言い訳をしようか悩んでいると、メリルは目を泳がせて、ぽつりと言った。
「……お邪魔みたいね……じゃ、じゃあ……」
じりじりと後ろに下がるメリルに大股で近づき、強引にその手を取った。
「弁明ぐらいさせろ……!」
ロジェはそのままメリルを引っ張りながら、歩き出す。伯爵夫人は放置したまま、控えの部屋にメリルを連れ込んだ。
使われていない部屋にメリルを連れ込むと、手を離す。
思った以上に強く握ってしまっていたらしい。
メリルは握られた手をさすっていた。
自分のしたことに悪態をつきながら、ロジェは捲し立てるように、伯爵夫人は元スポンサーだと説明をした。
「絡まれて、うざかったから、大声で演技したんだ」
「そう……なの。……でも、それにしては、熱弁していたし……」
「そりゃまあ、本当のことだから……」
「えっ……」
キョトンとするメリルに、ロジェはかちんときた。ロジェの顔がひきつっているのを気づかずに、メリルは目をそらす。
「……好きな人……いたのね……気づかなかったわ……」
「そりゃ、気づいてねえだろうな。メリルのことだもん」
「え?」
「はあ……やっぱり、気づいてないのか……」
「……な、なに? からかっているの?」
「冗談。本気だよ」
ロジェはメリルを射ぬくように見た。もう、ここまでくれば、見栄もへったくれもない。勢いあるのみだ。
「なんで、俺がメリルの家にいると思ってんだ? 好きだからに、決まってんだろ」
「え……」
「なんで、惚れてもいねえ女に料理を作らなくちゃいけねえんだ。俺は慈善事業してんじゃねえぞ! 全部、全部。全部全部ずぇんっぶ! メリルのことが好きだから、やってんだッ!」
ロジェの告白にメリルは気圧され、思わずその場にへたりこんでしまった。




