16. みなさまが絶賛された通り
ボネ夫人は、切ない思いで自分と夫が踊るタペストリーを見つめる。恋しい、ひとめ会いたいと思ったのは、数えるのも嫌になるほどだ。
夫との蜜月は短く、三年だった。
夫の死後は、散財して困窮した家族が押し寄せてきて、金をせびられ、散々だった。泣く暇もあたえない家族が憎らしく、すっぱりと縁を切った。
――私の家族は、夫だけです。あなた方に渡すお金はこれ以上、ございません。帰りなさい。
喚く元家族たちを護衛に摘み出させて、それっきり会っていない。死のうが生きてようが、どうでもよいことだった。
それからボネ夫人は、夫のようになりたくて、恵まれない境遇の子供たちを支援する側に回った。公妾の出資もあって、国王の庶子たちの縁組みを手伝ってきた。
その慈愛精神は、社交でも一目おかれており、ボネ夫人は、つけぼくろ夫人と陰口を叩かれながらも、涼しい顔で堂々と歩んできたのだった。
そんな日々に敬意を払い、メリルはボネ夫人に、とっておきの誕生日プレゼントを送りたかった。
「マダム、お誕生日、おめでとうございます」
淑やかな礼をしたメリルの顔は、白粉で真っ白だった。誕生会に最高のものを――その一心で、寝る暇を惜しんだのだろう。
ボネ夫人は、メリルに話しかけた。
「モニークたちは、どうしたの?」
「モニークは最後まで、針を持って仕上げをしていました。今は控え室で寝ています」
「そう。あなたも随分、無理をしたようね。今日は、たっぷり休んで頂戴」
「……それでは、わたしたちが作ったものは……」
ボネ夫人は、メリルに近づき、抱きしめた。メリルは初めての抱擁に、大きく目を開く。
「今まで一番の誕生会になるわ。あなたたちに任せて、よかった」
その一言に、メリルは泣きそうになった。
メリルもロジェも、モニークも。そして工場に居る捺染職人も、針子たちも。モニークの仕立て屋にいた針子たちも、全員で頑張ったのだ。
二ヶ月で全てを作り上げるには、無理をするしかなかった。
今ごろ工場では、みんな、死んだように寝ていることだろう。
「……わたしたちに仕事を任せてくれて、ありがとうございます……」
震える唇で、感謝を伝えるのが精一杯だった。
*
誕生会、当日。ボネ夫人は、最高の料理と、今朝、採った花を活け、客人たちを迎えた。
議会に出席している政界の人から、詩人、学者、家具職人ポール・オトリーの姿もある。
華やかな装いの夫人に令嬢、令息。王太子の廃嫡、王女の立太問題など、ギスギスしていた宮廷関係者は、ここぞとばかりに着飾って現れた。
その誰しもが、会場に入る前に、タペストリーに魅入った。おかげで、会場入りに長蛇の列ができてしまったほどだ。
「まあ、なんて素敵なのかしら……」
「灰かぶり姫をモチーフにされるなんて、ボネ夫人はセンスが宜しいわ」
「本当に。子供のための読み物とは思えないほど、洗練されたデザインですこと」
口々に褒め称える人々。料理に添えられて客人に振る舞われたナプキンのデザインも評判がよかった。
二色しかないとは思えないほど豪華な生地と褒め称えられた。
「わたくしの家にも欲しいわ……ボネ夫人、どちらで買われたのですか?」
問いかけられ、ボネ夫人は涼やかに微笑んだ。
「優秀な仕立て屋に頼みました」
「まあ、どちらの仕立て屋でしょう?」
「後程、紹介しますわ。お料理を楽しんでくださいませ。こちらのワインも」
聞きたくてウズウズしている夫人をたしなめ、ボネ夫人は控えめに微笑んだ。
――が、内心では、大笑いしたくてたまらなかった。
褒めていた夫人は、社交の場で、モニークの陰口を叩いていたからだ。
――わたくし、ガブリエル殿下の浮気相手と同じ仕立て屋にドレスを作ってもらっていましたの。
でも、あの女と同じに見られているようで、寒気がするわ。生地に触れるのも、おぞましい。
ドレスは燃やして処分させました。
その分、別の仕立て屋でドレスを頼みましたのよ。
夫人はまるで自分が良いことをしているかのようにいい振る舞っていたが、ドレスを燃やすのは褒められた行為ではない。
使用人にとっては、特別給を与えられないものと同じだったからだ。
ドレスは針子が手縫いで仕上げるオーダーメイドの一点もので、高価だった。
古いドレスは使用人たちの手に渡り、そのドレスを市場に持っていけば、お金になる。
使用人から見ると、ドレスを燃やすことは、特別手当てをもらえず、主は無駄に浪費しているとしか思えなかったのだ。
そんな不満をかえりみず、同じようにドレスを燃やした夫人は何人かいる。
夫人が毛嫌いしたのを見て、都市にある仕立て屋は、メリルの生地を使うのを一斉にやめていったのだった。
(あなたが触れているナプキン、モニークが作ったんですよ? 生地はメリルが作ったのよ? ……そう言ったら、どんな顔をするかしらね)
ボネ夫人は扇で口元を隠し「メリル、モニーク。あなたたちの勝ちよ」と、誰にも聞こえないように呟いた。
*
メリルとモニーク、そしてロジェは、パーティー会場の隣の部屋で待機していた。
「後で、あなたたちを呼ぶわ」
そうボネ夫人に言われていて、三人は着飾った格好でいた。
ボネ夫人に呼ばれるまでの間、暇をもてあましたメリルとロジェは、パーティーで振る舞われている前菜をつまんでいた。
「あら、これ、美味しいわ」
「さすが一流シェフの味だなあ。どうやって、この味を出しているんだ?」
ふたりが緊張感なく料理を食べているとき、モニークは食事には手をつけずに椅子に座ったまま、硬直していた。
「モニーク、大丈夫? 顔が真っ白よ?」
「うん……大丈夫じゃない……私、昔っから大舞台とかダメなの……」
モニークは死んだ魚のような目になっていた。
「こんな大勢の前に出るの……緊張するわ……」
「そうなのね。モニークは名の知れた方々に、ドレスを作っているから、緊張しないのかと思っていたわ」
「……いつも、お客様を相手にするときは……人参とかぼちゃがしゃべっていると思っていたから、今までなんとかやってこれたわ……」
遠い目をするモニークに、メリルはふふっと笑ってしまった。
「かぼちゃや人参っていうのは、いいわね。料理にしたら、美味しそうだわ」
「かぼちゃだったら、中身をくりぬいてシチューを入れるのがうまそうだな。人参だったら、細く切って、サラダにすりゃあいい」
ロジェまで笑いながら言う。モニークはキョトンとして、ふふっと笑ってしまった。
「もう、ふたりとも、食べ物ばっかじゃない」
メリルとロジェは、肩を震わせて笑った。
「いいじゃない。目の前の人は、美味しい料理にできるもの、と思ってやればいいわ」
メリルが艶やかな笑みを作ると、モニークは肩を上下に動かして、大きく息を吐き出した。
「ありがとう。おかげで、少し、気が楽になったわ」
「どういたしまして」
メリルが答えたとき、侍女頭が部屋に入ってきた。
「奥様がおよびです。みなさま、こちらへ」
メリルとロジェはうなずき、立ち上がった。また顔を青ざめさせたモニークにメリルとロジェが声をかける。
「人参でしょ?」
「丸々太ったかぼちゃだ」
ふたりの笑顔と声につられて、モニークは口角を持ち上げた。
ホールへ足を踏み入れる前、ボネ夫人の声が響いていた。
「今日はわたくしの誕生会へようこそ。人生の節目を、みなさまに喜んでいただき、私は幸せです。
今日、この日のために、素晴らしい仕事をしてくれた私の友人たちをご紹介させてください。
モニーク・アラフォレ。
ロジェ・バーグマン
メリル・ジェーンの三名です。
さあ、こちらに来て」
三人の名前を聞いて、その姿を見た夫人たちは、驚き目を見張った。
「あの人……アラフォレの……」
「えっ……アラフォレって確か店じまいをされたんじゃ……」
ひそひそ話を始める人々に、ボネ夫人は三人を紹介していく。
ロジェの名前を聞いた貴婦人たちは、ぎょっとした。
「まあ、あのロジェ・バーグマン? ガブリエル殿下の不興をかって、追い出されたという……」
「どんな悪女も美しく描くっていう画家でしょ? あら、いい男ね……」
聞こえる喧騒に、どんな評判だよ、とロジェは内心で辟易した。
ボネ夫人は続けて、仕立てたのは、モニークであると紹介した。
「モニークは腕のよい針子でございますの。みなさまが絶賛されたタペストリーは、モニークが仕上げたものですわ。生地はここにいるメリルとロジェが作りました」
ね? と、ボネ夫人が小首をかしげてモニークとメリルを見つめると、ふたりはこくこくと頷いた。
「今、彼女の店は、閉まっておりますが、みなさまが絶賛された通りの腕前です。近く、彼女の店は都市に返り咲くことでしょう。私も、友人として、彼女を心より応援しておりますわ」
それは、ボネ夫人がモニークの店の開業に向けて、出資するという宣言であった。
モニークは思ってもみなかったことに言葉にならず、感動したままボネ夫人を見る。
ボネ夫人は満足げに微笑んでいた。
ふたりの様子を見て、拍手を送る人まで出てくる。
その場の空気がモニークの再出発を祝う雰囲気になった時だ。
前のめりで、タペストリーのことを聞いていた夫人が、ふらりと意識を失った。モニークの店で買ったドレスは全部、燃やしたと言った夫人だった。




