14.あなたは悪くない
成人の次にくる三十歳の誕生パーティーは、本人が招待状を送り、自ら盛大にお祝いする決まりがある。
宮廷関係者にも縁があるボネ夫人の誕生会ともなると、集まる人数は二百人以上になった。
ホールの天井は高く、三段あるシャンデリアが小さく見えるほど。壁にある窓ガラスは天井まであり、カーテンは特注サイズ。
その会場のありとあらゆる布製品の作成を、ボネ夫人はメリルたちに依頼した。
しかも、費用は問わない。
もしも、富裕層に目が止まるものを作れれば、再起への道が開かれることだろう。
ボネ夫人は控えていた侍女頭に合図を送る。侍女頭はホールから出ていった。
しばらくしてホールに女性がやってきた。
メリルは席から立ち上がり、目を見張った。
「モニーク……?」
そこに居たのは、閉店に追い込まれたアラフォレの女主人、モニークだった。
「メリル……!」
モニークはメリルの姿を見て、駆け寄る。メリルを抱擁して、泣きじゃくった。
メリルは震える手で、モニークを抱きしめる。
「モニーク……よかった……無事だったのね……」
「メリル、ごめんなさい。ボネ夫人に助けてもらったの……いえなくて、ごめんなさい……ごめん、メリル……」
モニークは涙を流して、許しを乞うた。
モニークはぽつりぽつりと、今まであったことを話してくれた。
「殿下が婚約破棄を言い出してから、店の前に人が大勢押し寄せてきて……夜中に罵倒する人まで出てきて、本当に怖かった……」
「そうだったの……」
「身の危険を感じてね。警察に行くか迷っていたら、ボネ夫人の従者が来てくれて、助けてもらったの。
それからお店の針子たちと屋敷でお世話になっているの……」
モニークの痛ましい姿に、メリルは彼女を抱きしめる。
「辛かったわね……」
「っ……メリルに手紙を出すか迷った……でも、言えなかった……自分のしたことが恥ずかしくて、言い出せなかった……!」
モニークは涙を流して、メリルにしがみついた。
「私って、肝心な時にダメダメなのよ! ガブリエル殿下に、ウェディングドレスを依頼された時も、そのドレスは婚約者であるマリー様のだっていいたかった! でも、言えなかった……言えなかったの……」
「そんなの当たり前よ。相手は王族なのよ」
メリルは言い切ったが、モニークがされたことは、想像よりも酷かった。
「言うことを聞かないと、私の店の針子たちに乱暴をするって言われて……」
メリルはかっと目を見開いた。
「それは酷い。脅迫じゃないっ」
モニークは力なくうつむく。
「殿下や陛下はそんなものよ……私たちは平民だから……道に落ちている石ころと同じようにしか思われていない……」
モニークの言ったことは事実だった。
王族は第一身分、王侯貴族・聖職者は第二身分。そして、平民は第三身分と階級が決められ、平民は税をおさめなければならない。
第一・第二身分は、税金をおさめなくてもよい特権階級。第一身分の王族から見ると、平民は働きアリのようなもの。踏み潰してもいい存在と思われていた。
「……カーラ様にウェディングドレスを作ったら、マリー様が傷つくとは思ってたの。
……私はドレスを着る瞬間だけは、誰もが幸せになってほしくて仕立て屋になったのに! 他人を不幸にするドレスを作ってしまったの!」
「――モニーク!」
叫ぶモニークにメリルが一喝する。モニークはびくっと体を震わせた。
メリルはロジェが自分にしてくれたようにモニークの名前を何度も、呼んだ。愛しい気持ちを込めて。
「……モニーク、あなたは悪くない」
メリルはモニークの背中をさすりながら、声をかける。
「モニークは……ドレスを作るときに、手を抜いた?」
モニークがはっと目を開く。メリルはモニークが手を抜くわけないと思っていた。
モニークはカーラ男爵令嬢が着ても、見映えがよい美しいドレスを作ったのだろう。
そのせいで余計に目立って、悪意に晒されてしまった。
「モニークは依頼された仕事を完璧に仕上げたのよね。それを誰がどうこう言う権利はないわ。モニークは立派に仕事を成し遂げただけよ」
メリルの力強い言葉に、モニークは泣きじゃくった。
「ありがとう……メリル……ごめんなさい……」
「もう、謝らないで。あなたが謝ることなんて、何一つないじゃない」
メリルが明るい口調で言うと、モニークは泣きながらも、口角を持ち上げた。
「再会はできたかしら?」
見守っていたボネ夫人が、ふたりの側に近づく。
「メリル。モニーク。あなたたちの汚名は、私の誕生日会で存分に晴らしなさい。――期待しているわ」
メリルとモニークは互いに見つめあい、大きく頷いた。
「「はい、マダム」」
*
メリルとモニークに誕生会の装飾依頼を出した晩、ボネ夫人はご機嫌でワイングラスを傾けていた。
晩酌の相手は、長年、仕えてくれている侍女頭だ。
「奥様、今日はワインが進むようですね」
「そうね。可愛がっていた子たちが、私の誕生会を彩るのよ? 気分がいいわ」
「それは、ようございました……それにしても、奥様――どうして、メリル様にモニーク様を匿っていることを教えなかったのですか?」
「あら、おかしい?」
「メリル様とモニーク様の関係を知る奥様なら、真っ先にメリル様に伝えると思ったのです」
「……メリルに教えてあげてもよかったわよね。ちょっと意地悪だったかしら?」
「メリル様を試されたのですか?」
侍女頭の疑問に、ボネ夫人はふふっと笑ってワインを飲み干した。
「逆よ。――期待している、からかしら」
「期待……でございますか?」
「そうよ。メリルが二百年後も残る生地を作るためにね……」
ボネ夫人はワイングラスをテーブルにおいた。空っぽのグラスには、すぐに深紅の酒が注がれる。
その赤さを見ながら、ボネ夫人は亡き友人の言葉を思い出していた。
――メリルは私よりも才能がありますよ。メリルが作る生地は百年……いや、二百年後も語られることでしょう。
そう言ったのはメリルの祖父フィリップだ。彼の妻も、同じ事を言っていた。
ボネ夫人は、最初こそ、その言葉を信じていなかった。
フィリップは才能があふれる人で、異国のデザインを自国のものにアレンジするのに長けていた。その生地は、鮮やかなもの。
ボネ夫人は心を奪われた。
メリルの描いたデザインは、彼に比べるといまひとつ、足りない。野暮ったいのだ。
そのせいか生地のデザインが、フィリップからメリルに代替わりしたとき、彼女に期待はしていなかった。代替わりの挨拶の手紙も無視した。
たが、メリルは布封筒という見たこともない手紙をよこした。
一針一針、手間を惜しまず縫われた自分の名前を見て、ボネ夫人の心は動いた。
メリルがどこまで羽ばたけるか見てみたくなったのだ。
「メリルに起きた事は、本人ではどうにもできない理不尽なものよ。だけど、それで潰されるようなら、メリルはそこまでよ。
二百年後も、語られる生地作りはできない」
ボネ夫人はワイングラスを手にもって傾けた。匂いを楽しみ、一口すする。
「でも、メリルは諦めなかったわ。私の期待通り、新作を持ち込んで、交渉した。今までにないものを作り上げてみせた……あの子は、そこがいい」
饒舌に語るボネ夫人を見て、侍女頭も微笑む。
「メリル様は生地作りに対して、真摯ですからね」
「そうね。いつも夢中で生地を作っているわね。夢中でできるって、才能なのよ。……そんな人を泣かせたガブリエル殿下は阿呆ね。新聞の記事を書いた者も、流された者も、愚かしいわ」
ふふっと笑いながらも、ボネ夫人の目は笑っていない。ボネ夫人もまた、一連の婚約破棄騒動に対して憤っていた。
目をかけた子に、泥を塗られたことが我慢できなかった。
だからこそ、ボネ夫人は自分の人脈が最大限に生かされる舞台をふたりに与えた。
「可愛い子たち。私を土台にして、大きく羽ばたきなさい。舞台は、私が作るわ」
ボネ夫人はワイングラスに口をつける。煽るように飲み、挑発的に微笑んだ。




