13.ここで終われない
「日曜日に来てほしいって言われているわ。二日後ね……大変、新しいデイドレスはできたかしら……」
メリルはバタバタと駆け出した。お針子たちに、手紙を出した時に着たものとは、色違いのドレスを頼んでいた。メリルが確認すると、お針子たちは、にんまり笑って「もうちょっとで完成でーす!」と、元気よく答えてくれた。
「俺も一緒に行くからな」
ロジェが釘をさしたので、メリルはこくんと頷いた。
「お願い、ロジェ。付いてきて」
メリルにお願いされ、ロジェはゆるむ口元を手でおさえた。
(メリルが……俺に……付いてきてって言った……付いてきてって言った、付いてきてってって……!)
ロジェはかなり浮かれ、メリルは慌ただしく準備にとりかかった。
ロジェと共にメリルは、ボネ夫人の別宅へと向かった。
何度か入ったことのある別宅なのに、初めて入る家のように緊張している。メリルは早まる鼓動を落ち着かせようと、大きく深呼吸した。
(……モニークのことを聞けないとか、援助してもらえないとか、今は考えない。悪い想像はゴミ箱に捨てるのよ!)
メリルは緊張を淑やかな笑みに変えて、侍女の案内で邸宅を進む。
壁にはボネ夫人の亡き夫の肖像画が飾られてあった。
軍服を着た老年の男性は、優しい眼差しをしていた。メリルは足を止め、腰を落として挨拶をする。
そして、ボネ夫人が待つホールへと足を踏み入れた。
ボネ夫人は優雅に椅子に座っていた。
顔にはつけぼくろが貼ってあり、視線だけで相手をすごませる雰囲気がある。
マリー=アリス・ド・ボネ侯爵夫人。三十歳で資産家。メリルの上客だ。
メリルは夫人の前に立つと、新しいワンピースの端を指で摘まんで、軽やかに腰を落とした。
「ごきげんよう、マダム。今日はお招き頂きまして、ありがとうございます」
扇子で顔を隠していたボネ夫人が、メリルからロジェに視線をうつす。メリルは視線の先に気づき、しまったと冷や汗をかいた。
(ロジェとマダムは顔見知りなのか、聞くのを忘れたわ……ロジェ……大丈夫かしら……)
ハラハラと見守っていると、ロジェは甘い微笑みを浮かべ、左手を胸にあてて、膝を床につけた。
「ごきげんよう、マダム・ボネ。私はロジェ・バーグマンです」
ボネ夫人は無言で、左手をロジェに差し出す。
キスの挨拶をせよ、という無言の指示だ。
ロジェは笑顔を顔に貼りつけて、屈んだまま夫人の爪先に唇を寄せた。ようにみせて、触れるか触れないかの絶妙な距離で唇をとめた。
メリルの前で、誰かにキスしている姿を見せたくはなかったのだ。
それを見て、ボネ夫人はくすりと笑って手をひいた。
「正直者ですね。ロジェ・バーグマン」
ボネ夫人は、パシンと音を立てて扇子を閉じた。
「ライズ夫人のお気に入りで、王宮を追放された画家。メリルのところに転がり込んでいるとは思いませんでした」
ロジェはひゅっと息を飲んだ。
「私のことを知っているのですか……?」
「それは勿論。あなたの描いた絵を見ましたよ。カーラ男爵令嬢本人に似てなくて驚きましたけどね」
ボネ夫人はくつくつと喉を震わせて、扇子を広げた。ロジェは全ての事情を知っていそうなボネ夫人に戦慄していた。
(敵に回しちゃいけねータイプのご婦人だな……)
ロジェが微笑の仮面を被っていると、ボネ夫人はくすくすと笑った。
「便箋に絵を描いたのは、あなたね。いい絵だったわ。昔を少し、思い出しました」
そう言ったボネ夫人の表情がわずかにゆるむ。何かを懐かしんでいるような顔をされて、ロジェは薄く唇を開いた。
メリルはボネ夫人の様子を見て、目を開き、頬を紅潮させた。
(マダムがロジェの絵を気に入ってくださった!……あの絵、とっても素敵だったもの!)
メリルは目をキラキラさせて、ロジェを見つめる。
ロジェは何がなんだか分からなかったが、メリルが興奮しているのが分かり、強ばっていた肩から力を抜いた。
ふたりのやり取りをみたボネ夫人は、唇の端をつり上げた。
「お茶でも飲みながら話しましょう。メリル、そのドレス生地の話を聞かせて頂戴」
メリルは深く腰を落とし、優雅なお辞儀をした。
「はい。マダム」
ボネ夫人のお茶の席を設けてくれ、三人は円卓に座った。
ボネ夫人が優雅なしぐさでお茶を飲んでいる中、メリルはお茶には手をつけずに真剣な表情だった。
無言の時間がすぎ、ボネ夫人がティーカップをソーサに置く。
「そのドレス生地。手紙の布封筒と色が違うわね。染色工場は動いているの?」
「はい。職人たちが染め上げてくれました」
布封筒に使ったのは、若草色と白の二色のものだったが、メリルが今、着ているのは、薄桃色と白の色違い。
色違いの布も用意できる、というメリルなりのアピールであった。
色は好みがある。
上客が好む色に生地を染め上げるのもメリルの腕の見せ所だ。
「職人がいるってことは、工場は順調なのかしら? 閉鎖しそうと聞いたけど」
皮肉を言われたが、メリルは気にせず真剣な顔をした。
「閉鎖しそうです。だからこそ、マダムにお願いにあがりました」
メリルは言葉に熱を込めた。
「マダムはわたしの恩人であり、大切なお客様です。マダムが認める新しい生地を作れば、再起できると思っています。だから、ここにいるロジェの力を借りて、新しい生地を作りました」
「新しい……そうね。花柄ではなく、子供をモチーフにしたのは、今まで見たことがないわ。どうして、これにしたの?」
メリルは身につけていたドレスの生地に視線をむけた。
「マダムにとって、子供たちの笑顔が宝物のような気がしたのです。だから、子供が生き生きとしている姿を生地にして、届けたかったです」
メリルの言葉を聞いて、ボネ夫人は薄く口を開いた。だが、すぐ余裕の笑みを浮かべて、メリルに話かける。
「メリル、お茶を飲みなさい。いい茶葉が手に入ったのよ」
それは、メリルの欲しい返事ではない。
でも、ボネ夫人は回りくどいことをする人だ。
メリルは素直にティーカップをもった。
ふわりとベリー系の甘ずっぱい香りがして驚く。一口、飲むとブーケのような華やかな香りがして、舌に残るのはスッキリした余韻だ。
「……美味しいです」
「まだ商店では手に入れられない茶葉よ。私の学校を卒業した子が持ってきてくれたの」
ボネ夫人が資金を出している学校は、国王の庶子や、資金に恵まれない貴族の女性たちの為のものである。
メリルが顔をあげると、ボネ夫人は嬉しそうに顔をゆるませていた。
「ちょうど二年前……あなたに卒業生のための服を二十着、頼んだことがあったわね?」
「はい……マダムに依頼されて仕立て屋のアラフォレ……モニークと一緒に作りました……」
学校を卒業した者は、文字の読み書き、礼儀作法を一通り教えられるので、富豪や商会の家のメイドとして働くか、家庭教師になるか、縁組みをして結婚をする。
子供たちに少しでもよき縁をと思ったボネ夫人は卒業生記念に、子供たちに服を送っていた。それを作ったのが、メリルとモニークだった。
「あなたたちが作った服を着た子が、ご主人と一緒に、このお茶のブレンドを作ったそうよ」
メリルの瞳が大きく見開かれる。感動して、鳥肌がたっていた。
「あの時私は、子供のこれからを輝かせる服を作ってほしいって依頼したわね」
「はい……アラフォレの方々と一緒に、生地から考えました……」
「まさか二十人分の生地を全部、一から作るとは思わなかったわよ」
くすくす笑うボネ夫人に、メリルは小声で言う。
「はじめて依頼された大きな仕事でしたから……それに、生地は好みがありますから……」
「ふふ。あなたは誠実ね。今も卒業にもらった服を大事にしているって言っていたわ……幸せですって……」
「……それは、喜ばしいことです……」
メリルはぎこちなく笑う。モニークと共に作った服が大切にされているのであれば、これ以上、嬉しいことはなかった。
「今年の卒業生の服もあなたに生地作りをお願いしたいとは思っているわよ」
「……でも、アラフォレは閉店してしまって……モニークは……」
「そうね。汚名をきせられた布なんて知られたら、子供たちの就職や縁組みに悪影響が出そうよね……」
メリルは奥歯をぐっと噛み締めた。それを見て、ボネ夫人は、メリルに問いかける。
「メリル、悔しい?」
「悔しいです!」
メリルは目を真っ赤にした。
「マダムの仕事ができないのも、アラフォレが閉店に追い込まれたことも! ……全部、全部、悔しいです!……ですから、マダム、わたしたちにチャンスをください」
メリルはグリーンアイの瞳を燃えるように輝かせた。
「……モニークがここにいるかもしれないと聞きました」
「あら……どこからか聞いたのね。正解よ。モニークは私が保護しているわ」
(やっぱり……! モニークは無事でいるんだわ……!)
「なら、なおさら……! ロジェと共に作った生地をモニークに仕立ててもらいたいです。
わたしたちはここで終われません」
「――いいわよ。やりなさい」
ボネ夫人は艶やかに微笑んだ。メリルはあっさり言われて、薄く口を開いた。
「二ヶ月後、私の誕生パーティーをするの。このホールでね。このお茶も出すつもりよ」
ボネ夫人は、開けたホールを見渡した。
「モニークに会わせるわ。あなたたちの力で、私の誕生日を彩って頂戴」




