12.おかしな状況だわ
掃除を終えると、オーナーの計らいでアイスクリームをご馳走になった。メリルはオトリー夫人と向い合わせの席に座り、おしゃべりに花を咲かせる。
「あなたの生地デザインを見て、センスがよいお嬢さんがいるって、主人がうなっていたのよ」
「そんな……わたしはまだまだです」
「ふふ。そんなことないわ。あなたの身につけているドレスも素敵よね。ねぇ、私、しばらく都市を離れていたから知らないのだけど、あなたの生地が卸せなくなったのはどうして? 教えてくれない?」
興味しんしんで尋ねてくるオトリー夫人に、メリルは事情を説明した。夫人はまあ、まあと呆れたような声を出す。
「殿下が婚約破棄をしたばかりに、あなたの生地が卸せないなんて、困った話ね」
おっとりとした声で言われて、メリルはうつむく。
「しかたがありません……人の心が離れたのですから……」
メリルは呟くように言ったが、すぐに口角を持ち上げて顔をあげる。
「人の心が離れたら、また惹き付けるものを作ればいい。わたしはまた都市に生地を卸せるようにしたいんです」
メリルは諦めない。
決意を込めて、カフェの外を見た。
都市の喧騒は変わらずで、メリルの生地のことを気にかける余裕なんてなさそうだ。
まるで無かったかのように扱われるのが切なくて、悔しい。
「……あなたの生地で作ったドレス、着てみたいわ」
オトリー夫人が微笑みながら言う。メリルがオトリー夫人を見た。
「あなたと話せて、とっても楽しかったわ。また、おしゃべりしましょうね」
オトリー夫人は控えていた付き添い人に、目配せする。付き添いの人は、夫人の鞄から一枚のカードを出した。それは貴婦人の間で流行っている女性から女性に渡すカード。
――あなたと友人になりたい。というメッセージだ。
花の香りが漂うカードを見て、メリルは頬を紅潮させた。
この一枚のカードから、付き合いが始まり、商売の話にも発展するのも珍しくない。
メリルはデザインの神様とお近づきになれたような気がして舞い上がった。
「……ぜひ、お話をしたいです……」
「ふふ。じゃあ、また今度ね」
オトリー夫人は立ち上がり、軽やかな足取りで店を出ていく。頭を深くさげて見送るオーナーを見て、「美味しいアイスクリームだったわ。また来るわね」と声をかけていた。
メリルは夢心地のままカードをじっと見つめる。話に割り込まないよう気配を消していたロジェがメリルの対面に座った。
「ロジェ、ど、どどど、どうしよう……カード……カードもらっちゃった……」
「よかったな」
「カードよ! カード! オトリー夫人のカードなんて、すっっっごい特別じゃないっ! 夫人はめったに社交の場に出てこないって話だし……それなのにもらっちゃったのよ!」
「よかったな。メリルの行いが、よかったからじゃないのか」
「……え?」
「舞い上がって前後の記憶がないんだな。メリルらしいな」
メリルは不思議に思って、ロジェをじっと見た。ロジェは苦笑いをこぼす。
「メリルが揉め事に突っ込んでいくから焦ったよ」
ロジェの言葉に、メリルは背中を丸める。
「だって、ここは……ロジェと出会った場所だし……あんなことになったら、怒るわよ」
メリルは頬を膨らせた。
(やべっ、可愛い……)
ロジェは頬をかきながら、ため息を吐く。額にかいた汗を手の甲で拭いながら、話す。
「慌てて警察を呼びに行ったけど、だけど、ゴニョゴニョ言って、話を聞いてくれなかったな」
使えない、と、ぼやくロジェにメリルは神妙な顔になる。話を耳にした男性が「警察はあてにならないよ」と、教えてくれた。
「ここ最近、ああやってデモが頻繁に起きている。なのに、警察は何もしないんだ」
「はぁ? なんのための警察だよ。やる気ねぇな」
ロジェは苦虫を噛み潰したような顔になる。メリルはモニークの店が潰された時、警官に怒鳴られたことを思いだした。
「本当に使えないわね……おかしな状況だわ」
うつむいて暗い顔をしたメリルに、ロジェは声をかけた。
「ま、おかしな状況だけど、ここのアイスクリームは絶品だな」
メリルがこてんと首をひねると、ロジェは明るく笑った。
「嫌なことは、うまいもん食って、さっさと忘れるに限る。それに、オトリー夫人と知り合いになれたんだ。幸運の女神さまが微笑んだんだよ。だろ?」
ウインクしたロジェに、メリルは微笑する。
「そうね」
ふたりはオーナーにまた来ると告げて、店を出た。
カフェを後にして、また乗り合い馬車がいる停留所を目指していると、市民の憩いである広場に、デモをしていた集団がいたのだ。
上流階級と思われる格好をした男が輪の中心にいて、デモの参加者に銀貨を渡していた。
「嫌なものを見たわ……」
「ん? どうした?」
「ほら、あれ」
メリルが見た先をロジェも見た。ロジェは怪訝そうな顔になる。
「あれって、……デシー家の人間じゃないか?」
「デシー家って……知っている人?」
「……確か、王宮で王族の護衛をしている家だ」
メリルはひゅっと息を飲んだ。
新聞には名前が書かれていなかったため、ふたりは知らなかったのだが、デジー家の当主は婚約破棄の現場を目撃した人だった。
そして、王太子の婚約破棄がきっかけで、息子の婚約は破談になり、当主は護衛を辞職していた。王家への忠誠をなくし、同じく破談になった都市警察の官僚と裏で繋がっていたのだった。
やがて金を渡していた男は、大声をだした。
「みなさん! ガブリエル王太子の所業は目に余るものがあります! 彼は過去、気に入らないからという理由で、マチアス伯爵を処刑しました!
マチアス伯爵は王子の家庭教師を請けおい、勉強嫌いの王子を献身的にたしなめていたそうです。それが気に入らず処刑です! このような横暴が許されていいのでしょうか!」
「……ひどい話だ……」
「王は! 息子の横暴を野放しにしています! 我々は動かない王に仕えたくはない! 王が王太子に処罰をくだすまで、我々は声をあげましょう!!!」
わーっと、歓声があがる。
男が語った処刑は、祖父母が巻き込まれた時のものだろう。メリルも、処刑がなければよかったとは思う。――だが、彼らの仲間にはなりたくなかった。
主張するな、とは言わない。
でも、金を払って人を集め、暴動を起こすやり方は嫌いだった。
さっきは体が動いてしまったが、今は冷静だ。目の前の人たちに、何もしないが、賛同もしない。それがメリルができることであった。
「行きましょう、ロジェ」
「そうだな。とんだデートになっちまったな。もうちょっと、デートっぽくするか?」
「え?」
「たとえば、メリルがロジェ♡って、呼ぶとか?」
「嫌よ。そんな甘ったるい声で、呼ぶの……恥ずかしいじゃない……」
「俺は言えるぞ。メーリール♡」
「……やめて。むずむずする……」
メリルは膨れっ面になって、大股で歩きだした。その後ろをロジェはくつくつ喉を震わせ、にやけながら付いていった。
*
三日後、メリルの元にボネ夫人から手紙が届いた。受け取ったメリルは震える手でペーパーナイフを取った。手紙の封を開き、中身を確認する。
手紙には、生地の話を聞きたいと書かれてあった。メリルは飛び上がりたいほど、喜んだ。
「ロジェ! ボネ夫人から手紙がきたわ!」
メリルは笑顔で顔を輝かせ、ロジェも笑顔で「やったな」と答えた。




