11.あなたの正義感、迷惑なのよ
声をあげる人びとの足元には、踏み荒らされた新聞が散乱していた。
メリルは読めそうなものを一枚、拾い上げると素早く目を通す。
そこには王太子とマリー公爵令嬢のことが書かれてあった。
――ガブリエル王太子とマリー公爵令嬢の婚約は破談となった。
ロワール公爵は、マリー公爵令嬢の持参金の返却を求めたが、あまりに莫大な金のため、数年かけて支払われることになった。
一括返金ができないのを許す代わりに、ロワール公爵は王太子の廃嫡を求めた。
「ガブリエル殿下が王になられるのであれば、我が家は仕えられぬ」
廃太子にならない場合、公爵家は領地の自治権を行使し、国に属さないと主張。
公爵家が抜ければ、国の軍事力が低下する。国一番の軍港を失うことになる。
英雄をとるか、王太子をとるか、この国は難しい局面を迎えている。
ガブリエル王太子の廃嫡は、枢機卿が反対の声をあげていた。
――ガブリエル殿下の次に王位継承権があるのは、陛下の弟君のみ。体が弱く、子を成せません。
健康な男性はガブリエル殿下しかおられぬのです。ガブリエル殿下が廃嫡されれば、男系の血筋が途絶えます。
ロワール公爵は女帝の国――友好国の例をあげて、王太子の妹、ルイーズ姫を王太子にさせればよいと言っている。
それも枢機卿が反発している。
――あなたは、かの国と同じことをなさるつもりか! かの国は我が国と違う宗派なのですぞ? 女王を祭り上げたら、かの国と同じになります!
女王の即位と宗派の違いは、別問題なのでは?と思われるが、枢機卿は違う宗派の者が身の毛もよだつほど、嫌いなのである。
あの宗派と同じ事をしたくない!の一点張りだ。
宰相はこじれるばかりの関係に、天を仰いだ。
最近、抜け毛がひどくて、後頭部が寂しくなっている。
枢機卿に言われてもロワール公爵はひかず、むしろ枢機卿に「国家反逆者だ!」と言われてしまう。
王太子は浮気はしたが、それは王の資質を欠くほどのものではない、とされ、和解はできず裁判で争われることになった。
新聞を読み終えたメリルは眉間に皺を刻んだ。メリルが沈黙している間に暴動の声は大きくなる。
「王女を王太子にしろ!!!」
「そうだ! そうだ! ルイーズ様はマリー様と共によく我々の前に出てきてくださる! 王はいらない! ルイーズ様に国を任せろ!」
女王を求める声は高まるばかり。しかし、ルイーズ姫はまだ八歳である。成人に満たない姫に、すべて背負わせるのが正しいのか。その是非を問う暇もなく、声は異様な熱気に包まれていく。そのうち、一部が暴徒化した。
「きゃあ!」
カフェの外に置いてあった椅子やテーブルを暴徒が「邪魔だ!」と言いながら、蹴りあげている。
店員は悲鳴をあげて、店の奥へと逃げていく。代わりに店の女性オーナーが出てきた。
「他のお客様に迷惑です。おやめください」
凛とした声で、頭を下げるオーナーに向かって暴徒は叫ぶ。
「俺たちは国のことを考えて行動してんだ! 店をすぐ閉めて、道をあけるのが筋だろ!」
「そうだ、そうだ! 悠長に紅茶なんか飲んでよお。お前らの無関心さが、この国をダメにしてんだ!」
「今すぐ店を閉めろ! おまえも抗議デモに参加しろ!」
男がオーナーの腕を掴む。オーナーが手を振り払うと、男は激昂して、近くにあった鉄製のテーブルを蹴飛ばした。
テーブルはぐらつき、横に倒れそうになる。
――が、倒れなかった。
メリルが涼やかな顔で、テーブルを支えたのだ。
結構、重かったが、意地でテーブルを支えて元に戻す。
メリルの腸は煮えくり返っていた。このカフェは学生時代に通いつめた場所。オーナーとは顔見知りで、ロジェと出会った思い出のカフェだった。
見知らぬ男が暴れていたら、腹が立つ。
そんな感情をひとつも外にださずに、メリルはオーナーに話しかけた。
「オーナー・ルネ。お久しぶりです」
オーナーはメリルを見て目を泳がせた。
「この前、こちらで食べたアイスクリームが美味しかったですわ。ぜひ頂きたいのです。注文してもいいかしら?」
「えぇ、えぇ……もちろん……ここは騒がしいので店内へどうぞ」
突然、間に割って入ってきたメリルに虚をつかれた男たちは、メリルに向かって声を荒ららげる。
「おい、そこの女! 邪魔するな! 俺たちは国を思ってだなあ?!」
「国を思って、ですか?」
メリルは拾った新聞をぐしゃりと握りつぶした。怒りのまま男と対峙する。
「あなた方の言う国への思いというのは、頭をさげた人の話を聞かず、大声で罵倒することですか?」
メリルはかつんと、ヒールを鳴らして男たちに詰め寄る。
「暴力で言うことをきかせ、自分の主張を押し通すことですか?――それ、あなた方が廃嫡しろと言っているガブリエル殿下の行動と一緒ではありません?」
メリルは剣呑な眼差しを男に向ける。
「この国とか言う前に、ご自身の振る舞いを見直されては? ――あなたの正義感、迷惑なのよ」
メリルの物言いに、男は羞恥で顔を真っ赤にする。
「女が、調子にのるなッ!」
メリルは咄嗟に軸足をひいた。逆上されることは、予想の範囲。幸いにも今日、履いている靴は先が尖ったヒールである。
「女ですけど、それが何か? あなたがたのしていることは、主張ではなく、うさ晴らし。
本当に国を思っている方は、国を思っているなんて、周りに聞こえるように大声で言いませんよ」
男がかっと頭に血を昇らさせ、メリルに掴みかかみかかろうとする。
メリルが男の股間に痛恨の一撃をくらわせてやろうと息巻く。
メリルが足を振り上げようとする前に、「へぶしっ!」と声をあげて、男が前に倒れた。
メリルがぎょっとしていると、汗だくのロジェが目を据わらせていた。
「こら、おっさん。俺の女神になにしてくれての?」
ロジェは長い足で男の背中を蹴り飛ばしていた。容赦なく思いっきり蹴っていた。
不意打ちで蹴られた男は、痛みに悶絶した。
「ってえ! てめえ、何するんだ!」
「うるせえ! 店先で、レディをいじめてんじゃねえよ! みっともねえな!」
ロジェは叫ぶ。
「警察を呼んだからな! てめぇらの面、覚えたぞ」
ロジェの声に男たちが怯む。
男たちはまだ何か言おうとしたが、その前に他の人が周りを囲んでいた。皆、不快そうに男たちを見つめている。
無言の圧力に耐えかねた男たちは、尻尾を巻いて逃げていった。
「オーナー、大丈夫かい?」
誰かがオーナーに声をかける。オーナーは頭を下げた。
「皆様、ありがとうございます。メリルさんも、ありがとう」
「本当のことを言っただけです。片付けを手伝います」
「いえ、そこまでしていただくわけには……せっかくのドレスが汚れますから……」
「あら、この生地はティシュー・アーベルよ。汚れても美しさはそこなわれませんわ。手伝わせてくださいね」
メリルが茶目っ気たっぷりにウインクすると、オーナーは深々と頭をさげた。
それから、集まった者たちで協力して、店先や道路の清掃を始めた。ロジェはジャケットを脱ぎ、シャツをうでまくりして、石畳にこびりついた新聞紙をとっていく。
メリルはドレスのスカートの内側に縫い付けられたポケットから、小さく折り畳んだエプロンを取り出して身につけた。
工場で使っているものと同じティシュー・アーベルのロゴが入っているものだ。それを見て、ロジェはぎょっとした。
「……そのドレス、そんなものまで入るポケットがあるのか」
「そうよ。女性のドレスって、ポケットが少ないのよね。あっても、小さいし。奥行きがあるポケットがあれば、鞄はいらないし、楽だから作ってもらったの。工場のエプロンだって、ポケットだらけよ」
メリルの言葉に、掃除を手伝っていた婦人が反応した。身なりが上品な人だ。東洋の生地を使っていてセンスがいい。
「あら、いいドレスね。どこで売っているの?」
「申し訳ありません。これは、試作品なんです」
「あら、そうなの。素敵な生地なのに……」
残念そうにする夫人にメリルはチャンスとばかりに、名刺を渡す。名刺とは言っても、これも生地で出来たものだ。
「わたしはティシュー・アーベルを作っている工場長のメリル・ジェーンです。今、都市で生地を卸させてくれる仕立て屋はないのですが、またこの地でわたしの生地で作ったものを販売したいと思ってます。その時には、どうぞご贔屓に」
「まあ、まあ! あなたがメリルさんなのね。主人たちから噂は聞いているわよ」
夫人は興奮してメリルを見つめた。
「私はポール・オトリーの妻、セリアよ」
ポール・オトリーの名前を聞いて、メリルは腰を抜かしそうになった。
ポール・オトリーは都市一番のデザイナーと呼ばれる家具職人だ。
東洋と自国のデザインを融合させた新しいデザインを提案した家具の本がベストセラーになっている。
メリルにとっては、デザインの神様と呼べる雲の上の存在。メリルは興奮して、思わず叫んでいた。
「ご主人の大ファンです!」
それを聞いたオトリー夫人は、まあ、と楽しげに笑った。
11月25日、メリルの台詞を改稿しました。
改稿前
「女ですけど、それが何か? あなたこそ男性なのに、ずいぶんと、みっともないことをされますのね」
改稿後
「女ですけど、それが何か? あなたがたのしていることは、主張ではなく、うさ晴らし。
本当に国を思っている方は、国を思っているなんて、周りに聞こえるように大声で言いませんよ」




