ナイアーラトテップという存在
俺が尋ねた疑問に、ナイアーラトテップは周囲を確認するように目玉をグルリと回した。
そして、頭に響く声を発する。
《……我は観測者であり……最も偉大なる古の神の意思の代行者……幾千の我がおり、幾千の世界を観測している……》
「……神の、代行者?」
気になる単語が幾つか語られ、俺は目を細めてナイアーラトテップを見た。
すると、ナイアーラトテップはゆっくりと浮かび始める。
《……其々の世界にて、其々の我が観測し……其の世界の趨勢如何により……我が手を加える……》
ナイアーラトテップはそう告げて、こちらを見下ろした。既に高さは十メートル程の位置である。
「手を加える? つまり、ここではわざと戦争を起こしたというわけか。その理由は?」
俺がナイアーラトテップを見上げながらそう尋ねると、ナイアーラトテップは俺を凝視して触手を伸ばした。
まるで髪の長い女の髪の毛が水の上で広がるように伸びていく触手に、斜め後ろにいたソアラが息を飲む。
俺達の位置から見れば空を覆い尽くさんばかりの無数の触手である。誰が見ても不気味に思うだろう。
腰を抜かす兵も現れる中、ナイアーラトテップは静かに答える。
《……この世界は、何度か決定的であった因果律を逸脱し……既定の路線より改変されている……故に……全ての因果律を定めし大いなる存在の意思に添い……我が手を加える……》
「因果律? 運命とかそういう意味だったか? じゃあ、この世界の運命を司る神か何かが居て、それが予定通りにいかなくなったから修正にきた……ってことか?」
俺が首を傾げながらそう聞くと、ナイアーラトテップは頷くように瞬きをした。
《……全ての世界は偉大なる古の神によって創り出された……世界は因果律によって産まれ……壊れ……喪われる定めである……だが、この世界は因果律から逸脱した……》
ナイアーラトテップはそう告げて、目玉を動かした。
ナイアーラトテップに釣られて俺も周囲に目を向ける。気が付けば、数キロ程の距離がある北と南側での戦いも一時休戦状態となっていた。
今、この何十万という人々が宙に浮かぶ黒い巨大な目玉、ナイアーラトテップという存在を目撃している。
間違い無く後世にて神話となるであろう光景を作り出している存在は、特に人々の注目など気にした様子も無く話を続けた。
《……二千年後……この世界に人類という種はいなくなり、別種が繁殖する……しかし……現在のままでは……人類は一万年後に絶滅する……》
「結局絶滅するのかよ!」
俺は思わずそう突っ込んだ。
大体、二千年後に絶滅する予定だったら、ハイエルフなどの長命な者達は何で死ぬことになるというのか。
やっぱり隕石か。メテオストライクなのか。
と、そんなどうでも良い突っ込みを頭の中でしていた俺は、ある事に気が付いた。
神の代行者である。
恐らく、俺よりも前にこの世界に流れ着いたプレイヤーの存在だ。
神の代行者とその従者達。エルフや獣人は、元々はこの世界にはいなかった可能性があるのだ。
ならば、その時にこの世界は改変されたのか。
俺がそんなことを思っていると、ナイアーラトテップの目玉はギョロリと俺を捉えた。
《……逸脱の原因を除去すれば……五万六千年後に改変前の世界へと合わさっていく……》
「いやいや、それでもそんなに掛かるのか。気の長い話だな……ん? 原因の除去ってのはまさか……」
俺が眉間に皺を寄せてナイアーラトテップを見上げると、ナイアーラトテップは眼を皿のように開いた。
《……不確定存在……この世界に不要な存在……消えよ、不確定存在……》
その言葉を告げて、ナイアーラトテップは触手を蠢かせた。
水面の髪の毛のように空中を漂っていた長い触手が、まるで弾丸のように次々と俺に向かって伸びる。
突然の攻撃に、俺は慌てて横っ跳びに飛んで回避する。
砂に棒が刺さるような軽い音が連続で響き、回避した俺の下へと更に新たな触手が伸びてきた。
かなりの速さだが、避けることは可能である。結界を張ることも考えたが、直感的に防御は出来ないと判断した。
「我が君!」
ソアラが俺を見て叫んだが、俺は触手を回避しながら「来るな」と伝えた。
触手が刺さった地面を見ると、触手が刺さった後に深い穴だけが残っており、周辺にはひび割れすら無い。
もしも触手の一撃が俺の剣による一撃と同等以上なら、何発か連続でもらってしまえば結界など直ぐに破られるだろう。
あの毛束のような大量の触手に接近するのは危険だ。
俺はそう判断し、アイテムボックスからミスリル製の杖を取り出し、口を開いた。
「『クリムゾン・エクスプロード』」
俺がそう呟くと、走る俺の周囲に赤い光の球体が浮かび上がり、ナイアーラトテップに向けて飛来する。
次の瞬間、空を覆い尽くすような爆炎が視界一杯に広がった。
分かっていても思わず身を竦めそうな爆発音と、離れたものまで吹き飛ばすような爆風。
その衝撃に逆らわず、俺は軽く後方へ跳んでからナイアーラトテップの背後へ回り込むように走る。
炎と爆発。
視覚も聴覚も派手に使えなくした。普通ならばこれで俺の姿を見失うはずなのだが、相手は完全に未知数な存在だ。
油断は出来ない。
「『ラフ・ヴォルテックス』」
俺がそう口にした瞬間、俺の身体を包み込むように風が巻き起こり、浮かび上がりそうな程体が軽くなった。
身体能力を向上させた俺を、見計らったかのようなタイミングで触手が襲い掛かってくる。
空を赤く染めていた爆炎は弱まっているが、それでも高速で動く俺を見つけるのは至難の技だろう。
つまり、ナイアーラトテップは普通の感覚器官では無い方法で、今の爆炎の中にあっても俺の場所を認識しているということか。
そんなことを考えながら触手を避けている内に、空は元の色に戻りつつあった。
そして、爆炎が消えた空に浮かぶ目玉付きの黒い物体は、触手の長さは短くなっていたが、大して効果があったとは思えなかった。
触手が短くなるなら何発か撃ってみるか。
俺がそう思って杖を握り直していると、ナイアーラトテップの眼が瞬きをするように開閉した。
すると、ズルッとナイアーラトテップの触手が一斉に伸びていった。
「き、気持ち悪っ!」
蛇が嫌いな俺は今のナイアーラトテップの行動に思わずそう叫び、悪寒に背筋を震わせた。
「『トレノ・エルヒタン』!」
その時、高い少女の声が響き、空を閃光が迸った。閃光はナイアーラトテップを呑み込み、大気を震わせるような破裂音を発生する。
突如として放たれた雷系最上位の魔術に、俺は自然と視線を後方へと向けた。
後ろを振り返ると、杖を掲げたサニーが立っていた。そして、その周りにはサイノス達も一緒だ。
サイノスは尻尾を振りながら皆より前に出て、口を開く。
「殿! 我らにお任せください!」
サイノスがそう言うと、他の者達も意思の篭った強い眼差しを俺に向けてきた。
帝国兵達の攻撃が止んだ為に俺の下へ集まったのだろう。
クレイビス達はどうしたのかと思ったら、ローレルの後ろにいた。まさかの敵軍のど真ん中へと本陣移動である。
俺は思わず笑いながら、サイノス達に指示を出した。
「仕方ない。ちょっと手伝ってもらおうか」
すみません…!
こんな有名なセリフを使って…!
でも、使いたかったのです…!
※乳酸菌はフロム脳です。




