帝国の動向
聖人と聖女という戦力を失った帝国だったが、皇帝リュシアス・アルティナス自ら三十万を超える兵を率いて打って出た。
その動きは大多数の人にとって緊張をはらむものであり、ついに世界各国を巻き込む大戦争が始まるという情報が広まることになった。
だが、帝国のその行動に対して、直接対決する筈のレンブラント王国国王はただ不思議そうに首を傾げるだけだった。
場所はつい先日まで帝国軍が占拠していた王国東部の街。帝国軍は聖人軍の壊滅と同時に撤退し、今は王国軍の兵士三万と国際同盟の同盟国の代表者達が集結している。
「この状況でさらなる攻勢に出るとは……」
クレイビスがそう口にすると、メーアスの代表三名の一人であるフィンクルがクレイビスに目をやった。
「メルカルト教が聖人達のことを秘匿していたのでは?」
「皇帝も聖人達やレン殿の強さを知らなかった、と? 一軍を預けてるんだからその発想は無理があると思うがね」
フィンクルの推測に、同じメーアスの代表であるジロモーラが反論する。
すると、話を聞いていた小国タキの代表であるトゴウが眉を顰めて顔を上げた。
「……聞いていれば、最早大勢は決したかのような口ぶりだが、依然として帝国軍の損耗は軽微といえる。いや、それどころか、本気になった帝国は三十万という未曾有の大軍勢をもって戦いを望んでいる」
トゴウがそう告げると、同じく小国の一つであるソレアムの代表のヨシフが頷く。
「レンブラント王国の兵力は三万と聞いていますが……我がソレアムから二千強、タキから千五百、ナルサジェル王国から魔術士百、そしてヒノモトから一万の兵が加わって、それでも四万五千に届きませんが……まさか我らから金銭面での援助を期待してそれほどの少数なのか」
ヨシフがそう呟き、鋭い視線をクレイビスに向けると、クレイビスは不敵な笑みを浮かべて首を左右に振る。
「何を言われるか。今回はこれでも戦力が過剰だとレン殿に笑われたくらいでな。故に傭兵団も雇いはしない。せっかくだから同盟国が集まることでどんな援助を受けることが出来るのか、各国の関係者に知らしめようということにしたのだ」
クレイビスがそう説明すると、トゴウとヨシフは眉根を寄せて唸り、代わりにナルサジェル王国のカイシェック王が口を開いた。
「……総大将となったクレイビス王がそう言われるのでしたら、此方は何も言いませんとも。色々と疑問はありますがね。お手並み拝見といきましょうか」
カイシェックはそう口にすると、ふと、周囲を見回した。
高い天井の広間の中央で広い円卓を囲む各国の代表達を眺め、カイシェックはどこか面白くなさそうに首を傾げる。
「ところで、そのレン殿が見当たりませんね? レン殿が仰っていた十人の精鋭とやらを是非見させていただきたかったのですがね?」
カイシェックがそう言うと、その場にいた皆が円卓の前に置かれた椅子を見た。
そこには誰も座っていないが、まるでそこに誰かいるかのように、エルフの王サハロセテリが視線を向けたまま口を開く。
「決戦はもうすぐそこにまで迫っています。その時になれば嫌でも納得することになるでしょう。英雄達の力というものを」
サハロセテリが静かにそう言うと、獣人の王フウテンが無言で頷いた。
【インメンスタット帝国・皇帝リュシアス・アルティナス】
「目的地である最西部のウェスタ砦まで敵兵の姿はありません!」
報告が入り、私は静かに頭を前に傾けた。馬車の中、私は外に目を向けた。
精強なる我が帝国兵達の姿を眺め、視線を国境へと向けた。
さあ、闘いの場まであと僅かだ。
そう思うと、自然と口角が上がる。
思い知るがいい、クレイビス王よ。これが帝国であるという闘いを見せてやろう。
……そう、レンブラント王国……レンブラント王国だ。
目障りな国。
我がインメンスタット帝国と延々と争い続けてきた、因縁の国。
前王には煮え湯を飲まされたが、この闘いで何倍にもして返してやろう。
これまでに殺された兵や民の為にも、王国の兵と民を皆殺しにしてやろう。
クレイビス王の血族の生首を城門に並べ、腐り落ちるまでおいてやろう。
「……もうすぐだ」
私は口の中でそう呟き、霞みがかったような頭を軽く振る。
思考が上手く纏まらない気がする。
しかし、自分が何をすべきかはハッキリと理解している。
不思議な感覚だ。
これが神の示した道なのだろう。
インメンスタット帝国がレンブラント王国を打ち砕き、世界に覇を唱える。
これが、私に課せられた使命なのだ。
とてつもない高揚感と共に、私は笑みを浮かべた。
「さぁ、全てを滅ぼす聖戦を始めよう」
私が歌うようにそう呟くと、私の隣に座る黒いローブを着た男が、くつくつと喉につっかかるような笑い声を漏らした。
「その通りだ、リュシアスよ。神に選ばれし皇帝よ。貴様は世界の全てを呑み込み、新たな世界の神となるが良い」
黒いローブの男は、黄色く濁った双眸を鈍く光らせ、掠れた声でそう口にする。
黒いローブの男の声を聞き、私は深く頷いた。
「言われるまでも無い……これが私の道なのだ」
熱に浮かされるように、私はそう呟く。




