聖女ティアモエ
街から出て、街道をただただ歩いた。
街を背に、真っ直ぐに続く街道と、左右には草原が広がる。小さな丘も多く見られるが、視界を妨げる程の高さは無い。
街の東側。この辺りでは最も広い草原のある場所である。
これより東に向かうと、帝国との国境へと近づくことになる。
傭兵団も東側に半数以上が集まっているが、新手の帝国軍にも聖人軍絡みの者がいるとも限らない。
故に、聖人軍との戦いの場をこの地に決めた。
通常の帝国軍だけならば傭兵団でも相手を出来るだろうが、聖人軍は厳しいかもしれない。そういう配慮である。
「……来ました」
色々と考えながら歩いていると、キーラがそう口にした。
背後を振り返り、街の方に目を向けると、窮屈そうに街道を歩いてくる鈍い金属色の一団があった。
「思ったよりも早かったな」
俺はそう呟くと、アイテムボックスからクーポン剣を取り出す。
装飾過多なロングソードを手に、俺はこちらに向けて進軍してくる聖人軍を見据えた。
正に、一糸乱れぬといった表現が相応しい、整然と並んだ聖人軍の兵士達。
その数は軽く見ただけでは分からないが、およそ千人ほどだろうか。
光の当たり具合によっては黒く見えるが、逆に白銀のようにも見える。
「…さて、聖人とか聖女とかいう奴は何処にいるのか。間違い無く、あの中にはいるはずだが」
俺がそう呟くと、俺の前に横並びに並ぶ仲間達の中、ブリュンヒルトが剣を抜いて俺に横顔を向けた。
「牽制に遠距離からいきますか?」
「そうだな。既に王国と帝国の戦端は開かれている。派手に行こう」
ブリュンヒルトにそう答え、俺は口を開いた。
「帝国軍に次ぐ。知っているだろうが、国際同盟は加盟国であるレンブラント王国と共に帝国と戦うことを決めた。戦争を継続する気ならば容赦はしない。覚悟して来るが良い」
声を張り、俺がそう宣言すると、聖人軍の歩みが止まった。
まだ百メートルか二百メートルは離れているだろうが、魔術の存在を加味するならば十分な戦闘可能領域である。
そんな中、聖人軍の列の中から一人の女が姿を現した。
光を弾くような艶やかな長い銀髪だ。風に揺れる銀髪の上には司祭の帽子のようなものが乗っており、服は柔らかそうな白い衣装である。
決して、戦場で戦いに参加するようには見えない姿だったが、その女が聖女であるとすぐに分かった。
その女は周囲に兵士を従え、俺を見つめて口を開く。
「……メルカルト教聖人軍を統率させて頂いております。ティアモエと申します」
ティアモエを名乗る女は、帝国の名を出さずにそう自己紹介し、頭を下げた。
その動きや表情に緊張も怯えの色も見えず、むしろ、目には自信と、口元にはこちらを見下すような笑みが浮かんでいる。
ティアモエは俺を見て、そしてリアーナ達を順番に眺めた。
「随分と心強い援軍ですね。レンブラント王国も可哀想に……あ、いえ、失礼致しました。確か、神の代行者とかいう下らない幻想の英雄の方でしたか?」
ティアモエはそう言うと、口元を隠して笑った。
「身の程を知らない雑魚が調子に乗って負けたら、格好悪い事この上ありませんが……そちらこそこの戦争に加わる覚悟はおありでしょうか?」
ティアモエが確認するようにそう言うと、俺を微笑みながら眺める。
明らかに挑発であると分かるその態度に、俺は口の端を上げて頷いた。
「ああ、大丈夫だ。それじゃあ、やろうか」
俺がそう言うと、ティアモエは微笑を湛えたまま一礼し、兵士達の中へと姿を消した。
そして、合図の声も音も何も無い中、静かに聖人軍の前進は再開された。
兵士達が声どころか咳き一つ無く向かって来る、その不気味な光景に、シェリーが杖を胸の前で持って唸った。
「……な、何か、ハスターよりも不気味な感じです」
シェリーがそう呟くと、リアーナが頷く。
「まるで中身の無い鎧の魔物がこちらに向かってきている……そんな気分ですね。レン様。大軍を真っ向から相手にするならば、逃れようの無い質量のある魔術を展開するのが定石ですが」
リアーナの台詞に、俺は首を傾げた。
「相手を足止めする目的ならそれで良いが、今回は相手が悪い。さっきは街中だから出来なかったが、恐らく炎系魔術が効果が高いだろう」
俺がそう言うと、リアーナは真剣な表情で返事を返した。
「火の魔術ですね。分かりました。相手の人数も多いですから上級でいきますね」
リアーナはそう告げると杖を構える。それを確認して、俺は他の皆に指示を出した。
「俺はティアモエの動きを警戒しながら動く。キーラとアタラッテも同様に警戒していてくれ。メルディア、シェリーはリアーナと共に魔術による攻撃。他は防御に力を注げ」
俺がそう告げると、皆は返事をして素早く動き始める。
ブリュンヒルト達は当たり前だが、ダンやシェリー達もかなり動きが良くなっていた。
聖人軍の最前列の兵士達が残り五十メートルという距離に達する頃には、全員が魔術の詠唱を終えることが出来た。
「『全てを焼き尽くせ! 灼熱の真火!』」
「『灰燼と化せ、靉靆たる黒き炎! ダーク・インフェルノ!』」
「え、えっと! 『クリムゾン・エクスプロード!』」
そう叫び、リアーナ、メルディア、シェリーがほぼ同時に魔術を発動する。
直後、聖人軍の最前列の兵士達に向かって火炎放射器のように炎の帯が伸び、黒い火柱が連続して立ち昇る。
そして、赤い球体が軌跡を残して聖人軍のもとへ向かい、大気を揺らす程の轟音と衝撃を伴う爆炎が起きた。
街道をはみ出す、幅数十メートルにも及ぶ炎の壁が巻き起こる。
「な、何ですか、今の!?」
「……上級のレベルじゃないですね」
リアーナとメルディアがそう口にして振り向くと、シェリーが目を丸くしながら炎の壁を見つめていた。
「こ、この杖……凄い……」
シェリーがそんなことを呟きながら、ふっと力が抜けたように腰が落ちたのを見て、近くに立っていたダンが体を支える。
「あ、あれ……?」
「魔力が足りなくなったか。さあ、マジックポーションを飲みなさい」
ダンがそう言ってマジックポーションをシェリーに飲ませる。
「……シェリーさん、今は上級の魔術を何度も行使できる筈なのに」
リアーナが唖然とした顔でそういう中、メルディアはすぐに視線を炎の壁へと向けて杖を構えた。
「恐らく、最上位の中でも上位の魔術でしょう。レン様にお借りしたアイテムの力に違いありません。気になりますが、詳しくはこの後で聞きましょう」
「あ、そ、そうですね! すみません!」
メルディアの台詞に、リアーナは慌てて杖を構え直した。
シェリーもマジックポーションを飲んで持ち直し、皆が黒煙を吐き出しながら弱まっていく炎の壁を見つめる。
炎が消えて無くなる頃、その光景に皆が驚きの声を上げた。
炎の直撃を受けた聖人軍の前列が崩壊していたのだ。
街道の外にまで吹き飛んでいる者も多くいる。
だが、皆が驚いたのは、それでは無かった。
「た、立っている者がいる……?」
ブリュンヒルトがそう呟き、目を凝らすように目を細める。
聖人軍の前列は確かに隊列を崩し、大半が地に伏していた。
しかし、一部は地面に膝をつきながらも身を起こしていたり、なんとか倒れずに盾を構えている者もいたのだ。
倒れている者も身動ぎするように身体を動かす者までいる。
それを見て、マリナが眉根を寄せた。
「……まさか、本当にアンデッド? しかし、弱点の筈の火の魔術をあれほど受けて……?」
マリナの台詞に、俺は首を左右に振って口を開く。
「いや、効いている。単純に、かなり高位なアンデッドなだけだ。ただ、これで……俺の推測は正しかったことが証明された」
俺はそう答えると、こちらを振り向く皆を尻目に聖人軍の方へ目を向けた。
「……まさか、ボスを傀儡にするとはな。ナイアーラトテップかクトゥグアか……どちらかを死体繰りしているとみるべきか。ハスターは一度殺してしまうと結界の効果が消えてしまい、意味を失うからな」
俺はそう呟き、顔を上げた。
「……今、同時にこられると、少々厳しいな」
苦笑混じりに俺がそう口にしたその時、聖人軍は再度動き出した。




