東部で起きた変化
酒場。
明るい笑い声が響くような、騒がしくも賑やかな場所。
そこでは他人同士でも酒を飲み交わし、昔からの友人のように談笑することさえ出来る。
…なんてことは無かった。
高い位置にある窓から差し込む光のお陰でそれなりの明るさになっているが、それでも少し薄暗い酒場の中。
黒ずんだ床や壁の板に、ヒビが目立つ木製のテーブルや椅子。
そして、既に酔い潰れた髭面のオッサンやら、若い娘を口説こうと必死な少々年上の中年男性。
そして、カウンターにはムッツリと口を横一文字に結んだマスターらしき男がいる。
うん、カオスだ。
普通の客達も俺達が入店した瞬間から訝しむような目で俺達の様子を窺っている。
「そこの席を借りる」
ブリュンヒルトが慣れた様子でカウンターに立つ体の大きな男にそう告げると、マスターらしきその男は無言で頷いた。
ブリュンヒルトはそれを確認し、俺にアイコンタクトを送りながら軽く会釈し、先に扉から離れた奥の席に移動した。
俺の名を呼ばないように気を使ってくれたのだろうが、余計に怪しい気がする。
まあ、昼間の酒場に入り浸っている奴らならば大丈夫なのかもしれないが。
そんなことを思いながらも、俺達はブリュンヒルトの後を付いて行き、長テーブル二つを囲って椅子に腰を下ろした。
「ここは鳥の丸焼きが美味しいですよ」
席に着くと、マリナがそんなことを言いながら、少し離れたテーブルを指差した。
若い女と二十代後半ほどの男がいるテーブルだ。
テーブルの上には、半分ほど食べられた状態の鳥の姿焼きがあった。
少し黒いが、クリスマスの七面鳥みたいな見た目だ。
「じゃあ、俺はそれにしようか。飲み物は何があるんだ?」
俺はそう聞きながらメニューが無いか探して見たが、メニューは見当たらなかった。
「飲み物は…この店ならばミードでしょうか? あとは果実酒も中々良いかと」
マリナがそう言うと、メルディアが頷く。
「甘くて美味しいです」
甘いのか。
焼いた鳥と甘い酒か。面白い。
俺は二人の説明に首肯した。
「じゃ、せっかくだからミードにしようか。リアーナ。それにダンとシェリー、アンリもどうだ? 奢るぞ」
俺がそう言うと、四人が顔を上げた。
「良いんですか!?」
「酒を呑んで大丈夫ですか?」
シェリーとダンがそんな返事をする中、アンリは俺を見て口を開いた。
「…果実酒を呑みたい、です」
アンリがすぐにそう返事をし、他の者はアンリを見て驚いていた。
「はいよ。後は?」
「あ、じゃあ、私はミードで」
「果実酒でお願いします」
ダンとシェリーも注文の内容が決まり、俺がリアーナを見ると、リアーナは笑顔で頷いた。
「私もミードです。でも、お金は自分で出しますよ」
リアーナにそう言われ、俺は笑って首を左右に振る。
「まあ、気にするな」
俺がそう答えると、オグマが頷いて口を開く。
「経費でわしらも飲食の代金は…」
「出すか、馬鹿。充分依頼料払ったろ?」
「ぬぅ…命を賭ける冒険者達にも家族がおり、また生活があります。そんな彼らの為にも、冒険者には充分な報酬と援助を…」
「今回は装備品の貸し出しで依頼料に余裕があるだろう? ちゃんとお前達への報酬の金額を公表し、ランク別の依頼料の表を掲示するから安心しろ。若人の生活はそれで保証される」
俺がそう言うと、オグマは何も言えずに押し黙った。
その様子を眺めていると、メルディアがオグマを横目に見ながら頷いた。
「はい。今回はかなりお金に余裕があります。私達の防具を修理に出しても五十万ディールは残るでしょう」
「ん? 残りは五十万か? 修理にそんなにかかるのか?」
メルディアの台詞に俺がそう尋ねると、メルディアは困ったように笑った。
「我々の装備は最高の鍛冶士にしか修理出来ない代物ですから…深淵の森で傷んだ防具を騙し騙し使っていましたが、そろそろ完全な修理をしないといけませんからね」
メルディアにそう言われ、俺は溜め息混じりに頷いた。
四億以上が装備品の修理代というのも可哀想だ。
「仕方ないな。まあ、宿やら飲食の代金くらい出してやるか。後、今回の依頼の間の消耗品も俺が出してやる」
「え、でも…」
「ありがとうございます」
俺の台詞にメルディアが難しい表情をしたのに、オグマが即答で礼を言ってきた。
金のことだと速いな、オグマ。
俺が呆れ半分にオグマを見ていると、気が付いたらブリュンヒルトが店員に注文をしていた。
素早いな、ブリュンヒルトも。
意外と、Sランク冒険者なのに本当に金に困っているらしい。
案外イケる鳥の姿焼きを食べ、思ったよりも濃厚に蜂蜜の風味がするミードを呑んで酒場を満喫していると、ふと、妙な話が聞こえてきた。
話しているのは、同じ壁際のテーブルに座る二人の男達である。
「知ってるか、領主の話」
「プレヴァン侯爵の話か?」
「ああ、そうだ。帝国側に付くって話だっただろ?」
「俺はそう聞いたが、違うのか?」
「いや、それは間違いじゃないんだが、侯爵は当初、帝国を相手取って戦う強い気持ちで国境に向かったらしい」
「そりゃそうだろうよ。王国の貴族なんだから」
「ああ、いや…なんて言ったら良いかな。本当に、王国の貴族として帝国と戦うつもりだったのさ。なのに、国境に一度向かって、すぐに帰ってきたと思ったら独立宣言だ。そして、次の瞬間には帝国につくと言い出した」
「…それだけ帝国の軍が強過ぎたってことか?」
「いや、そういう訳じゃないらしいぞ。戦ってもいなくて、帝国の使者と半日近く会談したら、もう完全に帝国側になってたらしい」
「なんだそれ? 余程良い条件でも出されたのか?」
「馬鹿。良い条件を出されても間違い無く王国と正面から戦う羽目になるのに、そんな簡単に帝国に寝返るかよ」
「そりゃそうか。自分の領土が戦場になるもんな。でも、神の代行者って噂だった人が負けたんだろ? 俺もそれを聞いてまだこの街にいるんだし」
「そこは分からないけどな。色々と噂は流れてる。帝国側に現れた神の従者って人が本物なんじゃないかとか、実は神の代行者が負けた振りをして神の従者を誘き出そうとしてるんじゃないか、とかな」
「いやいや、負けただろ。みてないのか? あのドラゴンとすげぇ綺麗な女の人の石像みたいなやつ。俺もその瞬間は見てないけど」
「本当にドラゴンに乗って来たんなら竜騎士様じゃねぇか…まあいいや。とりあえず、プレヴァン侯爵はそのことを知ってか知らずか、王国と敵対する道を選んだ。そして、私室から出てこなくなったんだよ」
「は? 何で? 暗殺を恐れてか?」
「いや、昨日からずっと私室にいるらしい。近衛兵が交代しても、昼間も夜中もずっと私室の椅子に座っているんだとよ。しかも、ずっと目が開いたまま身動き一つしないとか」
「…なんか気持ち悪いな」
そんな二人の会話を聞き、俺は溜め息を吐いた。
すると、俺の様子を見ていたリアーナが首を傾げる。
「…今の話に、何か?」
リアーナの質問に、俺は軽く頷いて口を開いた。
「恐らく、プレヴァン侯爵とやらはもう殺されている」
俺がそう呟くと、皆は目を丸くして固まった。




