帝国に襲いかかる王国?
夜のペリアストル。
暗い町の中を歩く人影は建物の影から影へと移動していた。
俺は息を潜めて警戒し、姿勢を低くして移動する。
町の中は恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
一軍が仮初めの拠点としているとは思えないような静かな町の中を移動していると、町の中で起きている変化が良く分かる。
出来るだけ気をつけているようだが、かなりの人数が動く音が微かに響いていた。
俺はその音と人影に、ティアモエに報告しに踵を返した。
少ない人数であれば大声を上げれば良いと思っていたが、これはかなりの人数に違いない。
俺は緊張感から口の中の水分が無くなっていくのを感じながら、ティアモエが休んでいる筈の町長の家へ移動した。
町長の家は、二階建ての然程大きくは無い民家だが、上品で中々良い造りの家のようだった。その家も、今は壁の一部が砕け、扉が破損している。
「ティアモエ殿!」
俺は声を張り過ぎないように、されど寝ているであろうティアモエが気付くように名を呼んだ。
しかし、返事は無い。
「…失礼致します」
俺は仕方なく、そう口にして勝手に損壊して上部の無い扉を手で無理矢理開けた。
壊れている為楽に屋内に入れたが、こんな所を誰かに見られたら俺が犯罪者に見えることだろう。
俺がそんな嫌な想像に身震いしながら家の廊下を進んでいくと、二階から人の気配を感じた。
「ティアモエ殿! おられますか?」
俺が再度そう声をかけ、廊下から直接繋がっている細い階段を見上げると、薄い布の服一枚着たティアモエが眠そうな顔つきで階段を降りてくるところだった。
「な…」
俺はその光景に慌てて視線を外し、廊下の奥に顔を向けた。
ティアモエは薄い布一枚だった。それはまだギリギリ許容範囲内だが、その布が二の腕や脚の付け根まで見えそうな際どいものだった。
ここは戦場だぞと怒鳴りそうになったが、ティアモエは職業軍人では無く、聖女と言われる存在であることを思い出し、言葉を飲み込んだ。
「どうかされましたか?」
何処か眠そうなティアモエの言葉に、俺は顔を上げずに口を開く。
「侵入者です。町内に外部より複数の侵入者が這入り込みました。何処の所属かは分かりませんが、音も立てずに町の中を移動するところを見ると、かなり訓練された軍か傭兵団と思われます」
俺がそう報告すると、ティアモエは声を出して笑った。その反応に俺は思わず顔を上げてティアモエを見上げた。
ティアモエは、目を細めて愉快そうに笑っていた。
「来ましたか…ふふ、面白いですね」
「…どういうことでしょうか」
まるで何者かの侵入を予期していたかのようなティアモエのセリフに、俺は眉間にシワを寄せてそう聞いた。
すると、ティアモエは笑顔で頷き、返答する。
「レンブラント王国が返還した領土…これがレンブラント王国の罠であるという情報が入っていました」
淡々と告げられたティアモエの言葉に、俺は我が耳を疑って目を見開いた。
「そんな馬鹿な!」
戦争停戦間際、レンブラント王国は劣勢であった。その状況下で最高指揮官である国王が王都に戻るという暴挙に出たのだ。
反対に、こちらは奪われた町や砦の内、二つの町と一つの砦を取り返し、士気を高めて大きな勢いで攻勢に出ていた。
レンブラント王国の一方的な停戦の話も、条件となった領土の返還についても、何も違和感の無い流れといえる。
そのうえ、停戦が決まった直後、レンブラント王国軍や傭兵団は確かに国境戦まで下がっていったのだ。
俺が停戦間際、最前線の指揮官の一人だったのだから間違いない。
しかし、俺の疑問の声に対して、ティアモエは残念そうに眉をハの字にして首を振った。
「信じたく無い気持ちは分かります。ですが、これは事実です。我々もその情報を元に、この町で一夜を明かす為に行軍日程を組みましたから」
「いや、しかし…外にいるのが戦争から離れることになった傭兵団とは考えられないのですか?」
ティアモエに諭されるように言われて尚も信じたくない俺は、別の可能性について口にした。
だが、ティアモエは侮蔑するような視線を俺に向けた。
「戦争が無くなったから食い扶持を失うようなショボい傭兵団に負けるワケがありませんよねぇ? 少数とはいえ、帝国の精鋭が各町の調査をしていたんでしょう? こんな簡単な推察が本当に出来ないのでしょうか?」
ティアモエはよく分からない単語を交えつつ、俺の事を馬鹿にして首を傾げた。
苛立つその行動と言葉に、普段よりも更に人間臭さを感じて嫌になる。
俺は顔を顰めながら、顎を引いた。
「…レンブラント王国の軍が攻めてくると分かっているなら、何故今すぐ戦う準備をしない? このままでは、町に火をつけられる可能性すら…」
俺がそう言った直後、俺達がいる民家の玄関から押し入る人影が現れた。
鉄の鎧に身を包んだ五人の兵達だ。
確かに、その鎧、兜、盾など、見覚えのある格好である。
レンブラント王国の兵達だ。
「っ!」
俺は剣を抜き、腰を落として臨戦態勢となった。
最悪だ。
出入り口は玄関しか確認していない。挙句に、ティアモエはまだ階段の途中から薄布一枚でこちらを見下ろしている。
十中八九、二人とも助からない。
五人の兵達は、俺が剣を構えるのを見て眉間に皺を寄せて眉尻を釣り上げた。
「…卑怯者の帝国軍め! お前達がやった事は許されることではない!」
最前列にいた兵は、そう怒鳴って剣の先を俺の顔に向けた。
「な、何を言っている!? 今まさに奇襲を掛けてきたのは貴様らだろうが!」
俺がそう怒鳴り返すと、その兵は顔を歪めて俺に突進してきた。
「黙れっ! 貴様らが先に我がりょ…」
俺とその兵とが剣を打ち付け合う瞬間、廊下の壁を突き破って分厚い剣が現れ、兵の顔に突き刺さった。
反対側の壁に縫い付けられるようにして兵は動かなくなり、その後方に控えていた他の兵達も慌てて剣を構え直す。
「な、何が…」
混乱する俺の前で、壁から突き出ていた剣が壁の中に引っ込み、代わりに更に壁を砕きながら厳つい鎧が姿を現した。
聖人軍の兵である。
俺が驚愕して動けずにいると、ティアモエがまた愉快そうに笑った。
「聖人軍は、誰も寝ずに屋内で待機していましたよ? 気付かなかったのですか?」
「そ、そんな馬鹿な! 何の物音も…」
ティアモエのセリフに俺が顔を向けると、ティアモエは歪んだ笑顔を浮かべて嗤っていた。
「鎧を着て、剣と盾を構え、屋内でずっと立って待っていたのです。敵が現れるのをずぅっと…」
ティアモエはそう言って口元を隠して嘲るように嗤った。
そんなのは、人間に出来ることでは無い!
これだけの人数の兵が誰も物音一つも立てずに動かずにいるなど、誰が想像出来るか。
俺はそう怒鳴りたかったが、口を開いても喉から声を出すことが出来なかった。
何故なら、階段の上からティアモエが悍ましい気配をさせていたからだ。
何かは全く分からない。だが、皮膚の上を何かが這うような、そんな感覚が指先から手足、背中、首に伝わってくる。
絶句する俺を見て、ティアモエはゆっくりと口を開いた。
「さぁ、戦争が始まりますよ。敵はレンブラント王国軍…そして、国際同盟なんて面白く無いモノを作ろうとする、偽物の神の代行者…」
ティアモエはそう呟くと、右手を顔の高さに上げて、口の端を大きく吊り上げた。
「アイテムボックス…死者の杖…」
ティアモエがそう言った直後、ティアモエの手の中には白い骨のような長い杖が収まっていた。
「アイテムボックス!? まさか、あんたは…王族の…」
俺はそこまで口にして自身の言葉を心の内で否定した。
違う。
王族ならば、聖女として名を聞く時にはそういう情報が伝わる筈だ。隠しようも無いだろう。
私生児にアイテムボックスなんて秘術を教えるわけもない。
ならば、この女はなんだ。
人間に見えるが、人間に見えないこの女は、いったい何なんだ。
俺はティアモエの存在に、レンブラント王国軍以上の脅威と恐怖を感じていた。




