インメンスタット帝国
次回予告みたいになってしまいました…
風が吹いた。
湿気を帯びた絡みつくようなぬるい風が、街を撫でるように流れていく。
ここはインメンスタット帝国の帝都、ネルタハム。
封建主義の貴族社会であり、税に苦しむ農民と肥え太った貴族達、そして貴族に取り入り財を成した商人達による、貧富の差が極端に大きくなってしまった大国、インメンスタット帝国の首都である。
だが、そのネルタハムに、近年大きな変化が起きていた。
ある宗教の台頭だ。
その宗教は一神教で、当初多神教が多かったインメンスタット帝国において、揉め事の原因になることが多く毛嫌いする者もいた。
故に、ネルタハムではその宗教は中々受け入れられることは無かった。
むしろ、唯一神を信仰する教徒達が多神教の者達に対して改宗を迫るような状況が多く、次第にその宗教は迫害を受けるようになる。
それが、気付けば段々とその宗教は信者を増やし、5年もする頃には国の最大派閥と言っても良いほどの規模の信者を得ていた。
明らかに異常な速度、異常な大逆転劇であったが、ついには皇帝リュシアス・アルティナスですら信者となってしまった。
これにより、インメンスタット帝国は今までと違う道へと進み出す。
帝都では、傍若無人な振舞いをする貴族達が驚く程静かになり、呑んだくれた荒くれ者や、街の路地裏に巣食っていた犯罪者紛いの浮浪者が日に日に姿を消していった。
地方では、村々を襲っていた盗賊団が、討伐されたわけでも無いのに現れなくなった。
また、その宗教の教会が出来た町では目に見えて犯罪率が低下していった。
皇帝がこの話をその宗教に関連付けて演説したこともあり、それまで水面下で広がってきた宗教の姿が表舞台に出た。
人心を、そして国を正す、真実の神を崇める宗教、メルカルト教である。
メルカルト教が表に出ると、それまで静かに暮らしていたメルカルト教の信者達が一気に力を持つようになり、国の要職の中でもメルカルト教に属していることが一つの条件になる所まで出てきた。
そのお陰で、帝国は更にメルカルト教の信者にとって暮らしやすくなっていき、それを求めて信者の数もますます増えていった。
気がつけば、インメンスタット帝国はまるで別の国になったかのように様変わりしていた。
ある程度の規模の町や村には必ず教会が建ち、今や町長や村長、場合によっては領主である貴族よりも、メルカルト教の神官や司祭が力を持っている状態である。
そんな中、大勢の信者を獲得したメルカルト教は聖人軍という軍隊を持つに至った。
教徒達の命と暮らしを守る使命を帯びた、神に選ばれし戦士達による軍隊。
そう公表された聖人軍は瞬く間に兵を集めていき、有事に備えて教会のある町や村にて生活し、訓練を行っていた。
その軍が初めて動き出したのは今から数日前。
インメンスタット帝国がレンブラント王国に奪われた領土を正式に返還された日の翌日だった。
その日までに、レンブラント王国に奪われた領土の半分以上をインメンスタット帝国は取り返していたのだが、返還の日にレンブラント王国は兵を引き上げ、残りの領土もインメンスタット帝国にそのまま返還すると公表した。
だが、インメンスタット帝国内では情報規制が敷かれ、レンブラント王国の公表した領土の返還は民達に伝えられなかった。
民へは、これから聖人軍が援軍として向かい、悪虐を尽くすレンブラント王国に鉄槌を下すと説明されたのだ。
既に返還されたインメンスタット帝国の領土は戦火の跡が強く残り、村々は焼け落ちて多くの民や兵士の死体が転がっているような有様である。
故に、その地よりインメンスタット帝国の帝都まで逃げ延びた者達は、帝国内で発表されたレンブラント王国の悪虐という単語に反応し、正にその様であったと吹聴して回る者も多かった。
これで、メルカルト教徒の信者以外の者達も気持ちの向かう先は同じになったと言える。
歴史深く、過去には五大国で最も強国であったインメンスタット帝国は、今こそレンブラント王国に思い知らせてやらねばならない。
眠れる獅子は目覚めたのだ、と。
こうして民の意識は、報復戦争に向けて傾いていった。
一度帝都、ネルタハムにて皇帝リュシアスから激励を受け、出陣式を終えた聖人軍は、停戦の空気が流れるレンブラント王国へと行軍を開始する。
風が吹いた。
路地裏の奥から流れてくる生温い風だ。
劇的なまでに犯罪が減り、騒ぎを起こす貴族も姿を消した素晴らしき帝都、ネルタハム。
だが、無数にある帝都の路地裏には常に誰かの死体が転がっていた。
また風が吹く。
湿った、血生臭い風だ。
死体のすぐ傍では、無闇に明るい様子の露店商が様々な物を売り、子供は無邪気に走り回る。
ここはインメンスタット帝国の帝都、ネルタハム。
今、この街ほど不気味な街は存在しないだろう。
また戦争が始まる。




