ジーアイ城に、サハロセテリびっくり
風呂に入れ。
レン様にそう言われ、我々は地下にある大浴場に来ていた。
「な、なんだこれは…」
そう口にした獣人の王というフウテン殿を見ると、ついて来ていた全ての獣人や我が同胞たるエルフ達が同じように愕然とした表情でその大浴場を眺めていた。
なにせ、そこは巨大な湖かと思うような空間だったからだ。
確かに地下に降りたというのに、その場所には昼間のような明るさがあり、遠浅の湖畔のような風呂が広がっていた。
そう、風呂なのだ。
程良く温かいお湯の湖なのである。
周囲には休憩する為らしき屋根付きのテーブルや椅子もあり、驚くべき事に何か食事が出来るような店らしき建物まである。
地下の大浴場内に建物があるのだ。自分で自分のいったことが理解出来なくなりそうだ。
エルフの王たる私、サハロセテリを持ってしてもこんな世界を想像だに出来なかった。
私はそんなことを思いながら、一応の交流の為に、獣人の王との会話を試みた。
「フウテン殿…まずは風呂に入りましょう」
私はそう言ってフウテンを見た。立っているだけでこちらが威圧されそうな巨体である。しかも、無駄な脂肪も無いような鍛え込まれた筋肉で構成された巨体だ。
私が話しかけると、フウテンは私を見下ろしてから辺りを見た。
「そうですね。確か、レン様が身体を洗う場所があると言われていましたが…」
フウテンが見た目の割に柔らかい物腰でそう口にすると、細い兎耳の男が壁際を指差した。
「あそこじゃないですか?」
「うむ。ちょうど身体を洗うのに良さそうな作りだしな」
と、今度はクウダイとかいう大男がそんな返答をした。
確かに、壁際には石造りの一角がある。
「では行ってみましょうか」
私はそう言ってその一角へ向かった。
ひんやりとした石の上を歩き、壁に張り付いた謎の丸い物体に手を触れてみる。
丸い物体は私の腹の位置程の高さにあり、押すと何とも面白い感覚で奥へと下がった。
途端、頭の上からお湯が出た。
「うぉっ!?」
私はお湯を被って驚くと、慌てて後ろに下がった。
なんだ、今のは。
お湯はどうやら、頭よりも上の方にあった丸い突起から出ているようだった。
雨のような細かいお湯の雫だ。
恐る恐る近づいてみると、お湯は止まってしまった。
「お、押したらお湯が出たぞ!」
どうやら、他の者もこの設備の仕組みに気がついたようだ。
もう一度押してみると、確かにお湯が出る。
と、よく見れば膝ほどの高さのところに窪みがあり、そこには繊細な丸みのある縦長の置物があった。
持ち上げて確認すると、複雑な形状に、表面には見事な絵まで書かれている。かなりの名品に違いない。
女性の横顔と美しい黒髪が描かれているが、これにはどういった意味があるのか。
「おい! 足下にある丸いヤツ、中には石鹸が入ってるぞ!? 押したら液状の石鹸が出る!」
私が悩んでいると丁度良く私が注目する置物のことを話す者が現れた。
押すと石鹸が出る?
私は頭を捻りながらその置物を持ち、一番膨らんでいる部分を押してみたが、何も出なかった。
これでは無いのかと思いながら、一応尖っている突起の部分も押してみたら、勢い良く半透明の液体が出た。
私はその液体を両手の中で擦ってみて、見る見る間に泡立つことに驚いた。
そして、その泡で髪を洗ってみて私は更に驚嘆する。
なんと良い香りなのか。これは花の香りだろうか。しかし、花の蜜では石鹸は出来ないと思っていたのだが。
私は香りを存分に堪能し、壁の丸い物体を手で押してお湯を出し、泡を洗い流した。
「おぉっ!」
衝撃である。
指で軽く髪を梳くと、何の引っ掛かりも無くするりと髪を梳くことが出来た。
この城に来て、美しい髪の者が随分と多いと思ったが、こういうことだったのか。
私は気分良く洗い場を後にすると、湯の湖畔へと向かった。
そこには既にフウテンが立っていた。
「おお、フウテン殿。湯に入らないのですか?」
私がそう聞くと、フウテンは難しい顔で私を見下ろした。
「いや、入ろうとは思うのですが、どうしてもこの光景に畏怖を覚えまして…お恥ずかしいのですが、レン様に対して随分と失礼をしてしまいました。その御力も知らずに…」
フウテンはそう言って頭を左右に振ると、力無く笑って前を見た。
湖のように広い大浴場では、エルフや獣人の皆が思い思いに大浴場を楽しんでいる。
それを眺めていると、フウテンは苦笑混じりに呟いた。
「このような大浴場が三種類あると仰られていました」
「ええ。本当に信じられませんね。浴場一つとってみてもこの規模…流石はレン様です」
私がそう返答すると、フウテンは浅い息を吐く。どうしたのかと思いフウテンの表情を窺うと、フウテンは眉間に皺を寄せて大浴場を睨んでいた。
「…ドラゴンをペットのように扱われていたり、私などよりも遥かに強い部下を山ほど連れていたり…ただの調度品一つをとっても、この世のどんなものよりも素晴らしい物なのではないかと思わせる程の物が無造作に置かれています」
フウテンはレン様のその御威光に改めて驚かされているようだった。
確かに、たった一つの調度品を見ても…特に、あの黒い不思議な形でありながら洗練された姿の箱はとても興味を惹かれた。
私がフウテンの言葉に頷いていると、フウテンは自嘲気味に笑って私を見た。
「もうお聞きかもしれませんが、我々は恐れ多くもレン様の従者の御三方に試合を挑ませていただいたのです」
「…中々、良い試合であったと」
私がフウテンに辛うじてそう告げると、フウテンは噴き出すように笑った。
「いえいえ、完敗ですよ。いや、相手にもされていなかったと言った方が正しいでしょう。まるで大人が幼子を相手にするような、手加減という言葉すら生温いレベルでした」
フウテンはそう言ってまた笑ったが、私は笑うことは出来なかった。
従者様の御力を見たいという気持ちは分かるし、全く相手にならないのも仕方が無いと理解出来る。
「いや、我々が挑んでも同じ結果です。誰であってもそうでしょう。もし、レン様やその従者様達と渡り合える存在がいるとしたら、同じ神の代行者様とその従者様だけでしょう」
私がそう告げると、フウテンはハッとしたように目を開いた。
そして、神妙な面持ちで私に顔を向ける。
「神の代行者様…神の代行者様は唯お一人だけなのでしょうか。今日現れた魔物の中に、レン様が邪神と呼んだ恐ろしい存在がいたとのことです。その力は、あのラグレイト様ですら苦戦し、ソアラ様が手を貸したと聞いています…そのような存在が現れたら、我が国だけでは無く、間違いなく世界の危機となります。しかし、そんな存在はこれまで出てこなかった…」
フウテンにそう言われ、私は過去の神の代行者様の伝説を頭の中で思い出す。
強靭な魔物の群れや、エルフの国を作った話、混迷していたヒト族に道を指し示し、導いた話などは存在する。
だが、邪神という名は確かに聞いたことが無かった。
確実に代行者様の話を漏れ無く語り継いでいるという自負を持つハイエルフの私ですら聞いたことの無い事態ということだ。
フウテンが疑問に思ったその内容は、私の心の内に暗い影のように染み付いた。
言いようの無い不安。
レン様がこの世に遣わされたのは、まさにその為だったのか。
しかし、神々が現世で戦うような事態がもしも現実に起きたら、我々のような脆弱な民はどうなるのだろうか。
世界はまた、混迷の時代を迎えるのかもしれない。




