番外編 ジーアイ城に驚く客人 イツハルリアとリンシャン編
まるで城そのものが光を放っているような、そんな感覚だった。
造りも確かに美しく独創的で、凄い存在感だ。挙句に目を見張るほどに巨大なのだ。
だが、そういった造形とはまた違う何かを感じる。
言うなれば、それはずっと帰れなかった。いや、帰ることが許されなかった故郷に帰ってきたような、否応なく胸を締め付ける感覚を伴うような感動である。
気がつけば、私の頬には涙が流れていた。
その涙を拭うことも出来ずに、私はただその城を眺めていた。
「どうして…涙が…」
その声に目を横に向けると、シェラが私と同じように、いや、私よりも濃く、温かい涙が出ているようだった。
泣き噦るシェラの隣で、サハロセテリ様がそっとシェラの肩を抱き寄せ、口を開いた。
「…我らが帰る場所だ、シェラハミラ。神の代行者の従者の血を引く、我らの本当の故郷…」
サハロセテリ様がそう呟くと、私を含めて多くの者が顔を上げた。
私も、サハロセテリ様の言葉に、胸の内にストンと何かがはまるような心地を受けた。
そうだ。そうなのだ。その言葉に私は声を上げそうになってしまった。
私の故郷。此処こそが、私にとってやっと帰ってこれた家なのだ。
私は困惑した様子でこちらを見ているレン様を見て、口を開いた。
「ち、父上!」
「なんでだよ」
私が思わず口にした言葉に、レン様は一言そう言って苦笑した。
私は鼻水まで流しながらレン様の御身を前に跪き、レン様を見上げた。
「いいえ、父上と呼ばせてください! 畏れ多いことに、私は貴方様の下僕であり配下であり、娘であるのです!」
「違うわい」
私が胸から溢れ出して止まらない想いと、それを言葉に出来ないもどかしさ。
どんな言葉を選んでも違う気がするし、どんな言葉を駆使しても表現出来ない気持ち。
「分かってください!」
「何をだ!?」
私はレン様に縋り付きそうになるのを何とか抑えながらその場で叫んだ。
ダメだ。レン様が私から一歩引いてしまった。
私がどうしたものかその場でアタフタしていると、サハロセテリ様が私の隣に来て、私の肩に手を置いてくださった。
「イツハルリア、その気持ちは間違いでは無い」
「間違いだろ!」
サハロセテリ様が私の気持ちを肯定してくださったが、肝心のレン様から否定されてしまった。
いや、確かに娘では無いのだが、そのような存在というか…!
「レン様…我々は神の代行者様の僕として創られた従者の子孫です。その確かなる証明がこの感情なのでしょう。私も、イツハルリアと同じ気持ちです。恐らく、従者の血が濃い者は、皆がイツハルリアの気持ちを理解したでしょう。それだけの衝撃と、感動に、我々は打ち震えているのです…」
サハロセテリ様はそう言って私の気持ちを説明してくれた。
届け、この想い!
「あ、ああ…うん、そうか…」
だが、レン様は困ったように笑って頷くのみだった。
ああ、哀しい。レン様に認めてもらいたい。我らは、そこに立たれているレン様の本当の従者にも負けない想いがあるのだ。
この素晴らしい地に当然のように居ることが出来る従者様達は、その幸せが分からないのかもしれない。
私はそう思ってメイド姿の背の高い女性を見たのだが、見ただけで石になりそうなほどの眼光で睨まれてしまった。
恐ろしい。
アレが本当の従者の姿なのか。
レン様の、伝説に伝わる神の代行者様の居城に来れた。
その素晴らしい出来事に私も年甲斐なくはしゃぎ出しそうになったし、涙が出そうにもなった。
だが、エルフの者達のように泣くことは無かった。その様相はまさに号泣といった様子である。
「…クウダイ。エルフ達が」
私はそう言って隣に立つクウダイを見上げたが、クウダイの顔を見て目を剥いた。
クウダイは滝のような涙を流していたのだ。
「な、なんだ、お前。どうしたんだ?」
私がそう尋ねると、クウダイは涙を片手で拭いながら鼻をすすった。
「分からん。だが、何故か涙が出て止まらん。子供の頃になったホームシックにかかったような気持ちだ」
「お前に子供の頃があったのか…」
「失礼だ」
私の軽口にも力無くそう呟き、クウダイは涙を流し続けた。
良く良く見れば、獣人達も半数近くの者が泣いているように見える。
何故だ。私ほど神の代行者様の物語を何度も読み返し、この地に恋い焦がれるほどの憧れを持つ者もいない筈なのに。
と、何かよく分からない敗北感に打ちひしがれていると、フウテン殿が泣きながら私の方を見た。
暑苦しいことこの上無い絵面だ。
「分かるぞ、クウダイ。恐らく、我らにも血の濃い者と薄い者がいるのだ」
そう言って、フウテン殿は嗚咽した。失敬な。薄くて悪かったな。
私はモヤモヤしたものを抱えながらも、憧れの神の城へと足を踏み入れることとなった。
当たり前だが、まさに神々しいという言葉が相応しい、素晴らしき城である。
輝くような壁や床だけでは無い。見事な絨毯、様々な調度品、更には細やかな装飾や絵が描かれた天井…何を見ても驚いてしまう。
そんな城を見て回り、私達は食堂に集まった。
食堂とレン様は仰ったがそんな規模の広間では無かった。
見たことも無い美しい照明、長く垂れ下がった信じられないほど細やかな刺繍の入ったカーテン。そして、そのカーテンの絞られた下には、見た事の無い美しい机と椅子。
と、私が食堂の席について辺りを見回していると、レン様が私の視線に思い出したように口を開いた。
「ああ、エレノア。ネストに演奏を頼んできてくれ」
「はい。何に致しましょう?」
「オーソドックスにクラシックで良いんじゃないか? あ、ショパンが聞きたいな」
「畏まりました」
そんなやり取りをして、エレノアという驚くような美女がレン様から離れて歩いていった。
今回は従者の子孫である我らと、今のレン様の従者とを対面させようということで、レン様が従者の半数近くの者を呼んだと仰られた。
そして、現れた現在を生きる伝説の従者の方々!
その方々が我らと同じ空間にて食事を共にしてくださっている。
正に夢のような時間だ。
そんな中、エレノア様が戻ってきて、レン様と同じテーブルにつかれた。
すると、先ほどの黒い机の前にある丸い椅子に、金髪を後ろに纏めた黒い衣装の少し年齢のいった男が座った。
あの人も、レン様の従者なれば物凄い人物なのだろう。
私がそう思って見ていると、その人物は黒い机の蓋のようなものを上に上げて、手を机に置いた。
何か書き物でもするのだろうか。
私がなんとなくそんなことを思ったその時、澄んだ、美しい音が響き渡った。
驚愕。
そんな言葉では言い表せられない音の洪水である。
様々な音が耳朶を打ち、私は体が震える程の感動を噛み締めていた。
気が付けば、音は止まり、それが楽器の演奏であったのだとようやく理解出来た。
涙が止まらない。
見れば、周囲の者達も泣き、笑い、歓声を上げていた。
食事でも驚いたが、この演奏には慟哭する者達まで現れたのだ。
私はこの時理解した。
あの見事な楽器を演奏する。
これが私の使命に違いない。
楽器など見向きもしてこなかったのは、あの楽器に出会わなかったからだ。
私はその場で立ち上がって拍手を送りながら、そう思った。
「リンシャン、次の曲が始まるぞ」
レン様の言葉に私は慌てて椅子に座り直し、テーブルにしがみ付くように前のめりになって彼の演奏を聴いた。
今度はゆったりとした、耳の中で蕩けるような優しい音色だった。
ダメだ。また泣きそうだ。
泣いた。
感動に打ち震えている私を見て、レン様が面白そうに笑っていた。
「幻想即興曲…大ウケだったな、リンシャンに」
え? 私だけ?




