アポピスの脅威
モンスターの数が減ってくると、樹木に巻きついていたアポピスが身を捩り始めた。
先程まで動かなかったから問題無かったが、今はヌメヌメと滑らかに動きながら樹木の表面をなぞるように地表へ向けて滑り降りてきている。
つまり、操るモンスターの数が底を尽きかけているのだ。
「…ってことは、次は」
俺がそう口にした直後、大地に降り立ったアポピスはとぐろを巻いて顔を下に向けて口を閉じた。
アポピスの目が赤く光り出すのを見て、シェラハミラが慌てて口を開いた。
「な、何かしようとしていますわ!」
俺はシェラハミラの言葉に頷きながら、眼下にいるラグレイト達に対して大声で怒鳴った。
「ラグレイト、ローレル! アポピスがいるぞ! もうすぐ眷属を召喚する! 二人で何とかなるか!?」
俺がそう叫ぶと、キマイラを蹴り飛ばしたラグレイトがこちらを見上げた。
「アポピス!? 僕とローレルだけじゃあキツいよ! あ、ソアラの大規模魔術は!?」
「俺とソアラが対処すると森の一部が無くなるぞ! 数が多いのはさっきまでと一緒だから何とかならないか!?」
ラグレイトに俺がそう答えると、ローレルが剣を肩に担ぎながらこちらを見た。
「まあ、やってみやすぜ、旦那! とりあえず、出来たら援護くらいは欲しいんですがね!」
そう言ってローレルは近くのオーガの胴体を横一文字に斬り裂いた。
ローレルの言葉を聞き、俺はカナンとシェラハミラを振り返る。
「これからアポピスが大量の蛇を口から吐き出す。子供では無く、自らの分身とも言えるアポピスのミニチュア版だ。一匹一匹は大した強さは無い。オーガの少し上くらいだろう。二人で何とか上から援護してくれるか?」
俺がそう言うと、カナンとシェラハミラは表情を引き締めて顎を引いた。
「お、お任せください! まさに、新たなる従者となる私に相応しい大役! 何が何でも良い結果を出してみせます!」
「レン様! 微力ながら私も全力でそのお役目を果たさせていただきます!」
二人はそう言ってアポピスに顔を向けた。
アポピスは体を一瞬縮こまらせると、口を大きく開きながら顔を上げた。
次の瞬間、アポピスの口から薄い緑色の粘液と半透明な白い卵が周囲に無数に吐き出される。
カエルの卵のようなそれは、地面に張り付くと同時に形状を変えていき、中からぞろりと小さな黒い蛇達が産まれ出てきた。
1メートル程のその黒い蛇達は、耳に残る甲高い悲鳴を上げながら身をくねらせ、見る見る間にその身体を成長させた。
気がつけば、アポピスの周囲には四メートルから五メートルほどの小型のアポピスが数百といった数で集まり、うねうねと周囲に散っていく様子が見て取れた。
その光景に、カナンとシェラハミラは絶句して停止する。
「あぁあぁ…気持ち悪い! 誰だ、こんな奴を作ったのは!?」
俺は鳥肌がたつ感覚に身震いしながら魔力を集中させた。
「ラグレイト、ローレル! 俺が限界と判断したらこの辺りの森を焼き払うぞ! 分かったな!?」
「僕達が逃げる時間はくれるんだろうね、我が主!?」
「旦那! そんな援護はいりませんぜ!?」
俺の台詞に、ラグレイトとローレルは悲鳴混じりにそう叫び返した。
我が主にも困ったものだね。
蛇が苦手なのは仕方ないけどさ。
でも、戦闘に参加しないのは初めてだな。何でだろう?
「ローレル。我が主が完全に僕達に任せるって珍しいよね?」
僕がそう尋ねると、ローレルは首を回しながら唸った。
「そういえばそうだな。やっぱり、獣人の国の奴らに俺達の力を見せる意味もあるんじゃないかい?」
ローレルにそう言われ、僕は首を傾げる。
「力を? なんで?」
「獣人の国の民は、言うなれば遥か昔にここへきた俺達みたいな奴らの子孫なんだろ? そんな獣人達に、お前達の先祖はこんなに凄かったんだぞって…行動で示したいんじゃないのか?」
ローレルは僕の質問にそんな言葉で答えた。僕は更に頭を捻り、唸る。
先祖が凄いって教えたら、どうなるというのか。僕ならば過去の人物なんてどうでも良いけど。
僕がそんなことを考えながら悩んでいると、ローレルは苦笑しながら肩を竦めた。
「俺なんかが旦那の思考をなぞろうなんて、どだい無理な話なんだけどな。獣人の気持ちからしたら、もう忘れていた英雄の血筋に対する誇りとか、色々思い出すんじゃないか? そしたら、獣人の国があっさり旦那に協力的になっちゃったりしてな」
ローレルはそう言って笑うと、視線を森の奥に向けた。
その時、タイミングを見計らったかのように僕達の後ろからソアラ達が来た。
「あ、あの! 先程の凛々しい声は、まさか…!」
と、最初に僕達に声を掛けてきたのは獣人のお姉さんだった。さっき見かけた人だね。
「ん? 我が主のこと? 君らは神の代行者と呼んでるね」
僕がそう言うと、お姉さんは目を輝かせて上に顔を向けて周囲を見回した。
その横で、クウダイとかいう馬鹿でかい獣人の男が険しい顔でこちらを見た。
「…先程の言葉の意味を教えてくれ。どうも危険な魔物が現れたらしいということは分かったのだが」
クウダイはそう言って辺りを見渡した。
そして、森の奥にいるアポピスに気がついた。
「な、なんだあの巨大な蛇は…! 悍ましい…赤い目が光りを放っているぞ」
クウダイは目を見開いてアポピスの姿を凝視し、そう口にした。
まあ、急に何十メートルもある蛇が現れたら吃驚するよね。
「へ、蛇!?」
獣人のお姉さんもクウダイの台詞にこちらを振り向き、クウダイの視線を追ってアポピスの姿を捉えた。
「あれは、何ていうのかな? 邪神の一種で、凄い強くて面倒臭い敵かな」
僕がそう言うと、ローレルが噴き出すように笑った。
「ラグレイト。それじゃあぼんやりし過ぎだって。まあ、存在自体はそんなもんだけどな。あいつは大量の蛇を産み出すんだよ。そんで、その産み出した蛇もその辺の奴らよりよっぽど強い上に、本体は上位のドラゴンよりもよっぽど強い。まあ、中々迷惑な存在だな」
ローレルがそう説明すると、二人は顔を絶望に染めて口を開いた。
「じゃ、邪神だと…そんな存在がこの森にいたのか…」
「ドラゴンより強いって…そんなのがきたら…!」
二人のそんな言葉を聞き、僕は少し腹を立ててしまった。
なんと情けない。
これが僕達の子孫の行く末だとでもいうのだろうか。殺し殺される闘争をしろとは言わないが、どんな強敵が現れようとも笑って殴り飛ばすくらいの気概が欲しいね。
そう思い、僕は二人を振り返って鼻を鳴らした。
「…従者の子孫と思ってたけど、やはり違うみたいだね。神の一体や二体に怯える従者なんていないし」
僕がそう言うと、クウダイが眉間に深い皺を刻んで僕を睨んだ。
「…本当の従者ならば神にも勝てるというのか」
クウダイはそんなことを言って僕を見据える。
なんと見当違いなことを言うのだろう。僕は声を出して笑い、拳を握って顔の前に持ち上げた。
「強い敵が現れたんだ。勝つ気持ちで挑めよ。戦いが怖いなら下がってな。戦場の熱が冷めちゃうからね」
僕がそう言ってクウダイを嘲笑うように笑うと、クウダイは目を見開いて動きを止めた。
そして、何処か力の抜けた、自然な顔を浮かべて僕を見た。
「…そうか。それが、本当の従者としての心構えか。死ぬことも厭わぬ気概…その覚悟が、従者の誇りか」
と、クウダイが言うと、ローレルが笑いながら首を左右に振った。
「色々格好つけたところで、実際は戦いが好きなんだよ。生きる死ぬは今更気にしないがな」
ローレルのそんな適当な合いの手に、ソアラは眉をハの字にして困ったような顔をした。
「…お二人の言い様だと戦闘狂の集まりみたいですね。従者としての気持ちならば、我が君がこの場を私達に任せてくれたこと。これだけで死んでも悔いは無い…といったところでしょうか?」
ソアラがそう言うと、獣人のお姉さんが感動したように大きく頷いた。
「まさに! これこそが神の代行者様の従者様の御姿なのですね!」
獣人のお姉さんの台詞を聞き流し、僕がアポピスの方を向いたその時、アポピスの口から大量の卵が吐き出される場面を視界に入れてしまった。
うわー、気持ち悪い。
我が主で無くてもアレは嫌だな。
まあ、戦い始めたらどうでも良いか。
さあ、久しぶりに蛇狩りだ。




