クウダイの葛藤
体を震わせる程の音、衝撃。
木々が軋み、空の色が目紛しく変化した。
「なんだ。何が起きた?」
隣に立つ狼獣人の女戦士、リンシャンが耳を抑えながらそう聞いてきた。
リンシャンは長い銀色の髪を揺らして、こちらを振り向いた。国でも指折りの美人で老若男女問わず人気のある彼女だが、俺は純粋にその剣技に強く惹かれていた。
「分からん。だが、恐らくハイエルフ達の魔術だろう。実力の確かなエルフが三人合わされば、あのような事象も引き起こせるのかもしれん」
俺がそう言うと、リンシャンは空を見上げて小さく唸る。
「…魔術というのも馬鹿に出来ないかもしれないな。たまに森の外で見かける冒険者とやらの魔術は遅いし弱かったが、エルフともなると違うものか」
リンシャンがそう呟いた時、最前列になる筈の俺達の横を通り抜ける人影があった。
最初は罠を仕掛ける斥候の援軍かと思ったのだが、良く見ればレン殿の配下の戦士達のようだった。
だが、いくら神の代行者の現在の従者といえど、たった三人で行くのは危険過ぎる。
「クウダイ、今の者達は誰だ? あのような変わった格好の戦士達がいたか?」
リンシャンが怪訝な顔で俺を見てそう呟いた。俺は首を左右に振ると、あの三人を追うために歩き出しながら口を開いた。
「いや、彼らは神の代行者の従者達だ。いくら何でも三人では厳しいだろう。俺も一緒に行ってくるぞ」
俺がそう言うと、背後で戸惑うリンシャンの声が聞こえてきた。
「は? な、なに? 神の代行者!? おい、初耳だぞ!?」
そんなことを言いながら、リンシャンが後ろから追いかけてきた。
「おい、俺がいなくなるんだからお前が指揮をしないか」
俺が隣に並んできたリンシャンにそう言うと、リンシャンは眉を吊り上げて俺を睨んだ。
「まだシタマチの戦士達ばかりなんだ。指揮系統はシタマチの者が受け持つ方が良い。それよりも、神の代行者様はどうだ? また偽物だったのか? メーアスに本物が現れたと聞いたぞ? お前らは信じなかったが、外に出た…」
リンシャンは興奮した面持ちでいつに無く喋り始めた。
そうだった。リンシャンは子供の頃から英雄譚として語り継がれる先祖の話が大好きだった。
俺は余計なことを言ってしまったと後悔しながら森の奥へ足を踏み込んでいった。
「クウダイさん!? さっき見たことも無い人たちが…ってリンシャンちゃんまで! 二人とも危ないっすよ!」
と、先を急ぐ俺達に猫獣人の斥候、ウーピンが声を掛けてきた。
すると、気が急いているリンシャンがウーピンに大きな声を出して怒鳴った。
「馬鹿を言うな! 神の代行者様の従者様が最前線に出られるというのに、この国の戦士たる私が後ろで震えていられるか! 私とクウダイは従者様と共に戦うぞ!」
リンシャンはそう怒鳴ると、鼻息も荒くどんどん先行していった。
ウーピンや、その近くで罠を仕掛けていた者達が呆気に取られて顔を見合わせていた。
「神の代行者…?」
「さっきのが従者様って、マジか?」
「おい、そういえばさっきの狐のコは滅茶苦茶綺麗じゃなかったか?」
若い者がそんな噂話をしている声を聞き流し、俺は先行してしまったリンシャンを追った。
先に行くと、木々の間の小高い丘になっている部分に三人の人影があった。
その後方には三人に近づくリンシャンの背中も見える。
俺も急いで丘を駆け登り、その三人のすぐ後ろへと移動した。
「ん? また一人来たね」
「俺達が壁役なんだ。俺とラグレイトより前には出なさんなよ?」
金髪の美しい少年と、犬獣人の青年が俺とリンシャンに横顔を向けてそう言った。
リンシャンは胸に手を当てて二人を見返し、口を開いた。
「わ、私も戦います! これでも剣には自信がありますから、お任せください!」
リンシャンがそう言うと、二人は何とも言えない顔で狐獣人の美女を見た。
狐獣人の美女は何とも艶やかな微笑を浮かべて、二人に頷いてからこちらを見やる。
「私が援護するので大丈夫でしょう。皆に結界を張りますね。後は、自然治癒力向上と状態異常無効で良いでしょう」
「ソアラがそう言うなら良いか。そんじゃ、僕達が左右に別れるから、真ん中に抜けた奴をお願いね」
ラグレイトと呼ばれた少年はそう言って左手に走り去った。恐ろしい速度で移動するラグレイトの姿に、リンシャンも唖然とした顔を晒していた。
そして、確かローレルという名の重戦士らしき犬獣人の青年は、肩を竦めてリンシャンを見た。
「お嬢さん。危なくなったら素直に下がれよ? 綺麗な顔に傷が付いたら俺が悲しむぞ」
ローレルは何ともむず痒いセリフを言い残して去っていった。
その言葉に苦笑しながら、ソアラが首を左右に振る。
「私が治しますけど」
そんな緊張感の無いやり取りに脱力感を覚えつつリンシャンを見ると、リンシャンは惚けた顔でローレルの背を目で追っていた。
俺は何故か腹が立った。
「そろそろ来ますよ、お二人さん」
と、余計なことを考えて苛々している俺に、ソアラがやんわりとした口調でそんなことを言ってきた。
見れば、二つ向こうの木々にもうオーガとキマイラが数体ずつ迫ってきていた。
「…っ!」
俺は気持ちを切り替えて腰を落とし、いつでも動けるように身構えた。
リンシャンも腰に下げたロングソードを抜き放ち、刃先を前に出して構える。
その瞬間、魔物達の位置を閃光が奔った。
白い閃光は木々の合間を横一直線に突き抜け、魔物達の姿を視界から消した。
直後、聞いたことも無い、澄んだ金属音とも氷の割れる音ともとれる不思議な音が辺りに響き渡った。
「な、何が…!?」
「魔術か!?」
俺とリンシャンが動揺する中、その白い光の奔流は徐々に消え去っていった。
そして、眼前には十数体に及ぶ魔物の焼け焦げた死体が並んでいた。
「ローレルのスキル…技といった方が良いでしょうか。魔術と剣技の間のような技ですよ。多分、木々に被害を与えない場所を見つけて使ったのでしょう」
ソアラはなんでも無いことのようにそう口にして微笑み、少し楽が出来そうですね、なんてことを言った。
あれが、技?
そんな馬鹿な話が…。
「えいやー」
俺が呆然としていると、何処か気の抜けた掛け声と共に、魔物が地面と平行に吹き飛んでいくのが見えた。
辺りを見ると、ラグレイトが走り、飛び上がり、木々を蹴って魔物に接近するのが見えた。
次の瞬間、ラグレイトの姿が消えたと思ったら、魔物が一体、また一体と吹き飛ばされていく。
目で追うこともままならない速度だ。
「…あ、あれは何という技だ」
俺がそう呟くと、ソアラは困ったように笑った。
「ラグレイトはただ殴ったり投げたりしているだけですね。スキルを温存しておこうという判断でしょう。基本的に強敵との戦いの方が好きな子ですから」
そう言って、ソアラは上品に笑った。
俺は夢でも見ているのか。
確かに、俺でもあの魔物達と一対一で倒すことができるが、あのような圧倒的な戦いなど不可能だ。
あれが、神の代行者に付き従う従者の力なのか。
俺がそんなことを思っていると、リンシャンが剣を手に俺の前を走った。
「クウダイ! 動け!」
リンシャンはそう叫ぶと、いつの間にか接近していたオーガの腕を剣で下から斬り裂いた。
赤黒い肌と、黄ばんだ長い牙を見せて、オーガは苦悶の表情を見せる。
「ギャア!」
オーガは醜い悲鳴をあげると、リンシャンに向かってもう一つの腕を振り下ろす。
「…っ! ぬん!」
俺は咄嗟にオーガの横に向かうように走り、リンシャンに向かうオーガの腕の肘の部分を殴り上げた。
両腕の自由を失った形になったオーガが、険しい顔で口を大きく開き、俺に向かって身を乗り出したが、態勢を立て直したリンシャンが剣を振った。
「ふっ!」
短く息を吐き、リンシャンが無防備になったオーガの首を一太刀で斬り落とす。
「お見事」
俺達が二人で一体を倒すと、ソアラが笑顔でそう口にした。
その態度と、優しい笑顔が、俺達よりも遥かな高みにいることを否応無しに理解させた。
視線を前に向けると、ラグレイトがまたオーガを一撃で吹き飛ばしている。
そして、ローレルはキマイラを一刀で真っ二つにしてしまった。
「…クウダイ、負けてられないぞ」
リンシャンにそう言われ、俺は拳を握り込む。
「…当たり前だ」
俺はそう口にすると、右腕に力を込めて構え直し、接近してくるキマイラに狙いを定めた。
足の親指に全体重を掛け、地面を蹴りつけ、一足飛びにキマイラとの距離を潰す。
そして、口を開けたキマイラの下顎を下から振り上げた拳で思い切り殴り付けた。
魔力を込めた、俺の必殺の一撃だ。
その一撃で、キマイラの下顎は吹き飛び、その肉片と一緒にキマイラ自身も仰け反りながら身体を空中に浮かせた。
目の前には立ち上がるような格好になったキマイラの巨体がある。
「おぉ!」
俺は気合いと共に、左の拳を握り込み、右足の親指にまた力を込めて体重を移動させた。
そして、渾身の左の拳をキマイラの腹に打ち込む。
ボッという低い音が響き、キマイラの腹に拳大の穴が開いた。
やはり、俺ではこのクラスの魔物を殺すのに二発かかるか。
だが、負けてられん。
俺達は俺達の、意地がある。




