幕間 トワ①
その日、カリスやトワと一緒に市場に買い物に出かけた俺は、広場の一角で大勢の人間が踊りの練習をしているところを見かけた。
聞けば一ヵ月後に収穫祭があり、その祭りで披露する踊りの練習をしているという。
このとき、俺はそんな祭りがあるのかーと思っただけで、それ以上は特に気にしなかったのだが、トワは何やら思うところがあったらしい。
買い物から戻るや、長細い布切れを持ち出して、己の腰に巻き始めた。
布の長さはトワの身長ほどもあり、それを腰に巻いたものだから、布地の半分近くは地面に接してしまう。どことなく尻尾のある動物を思わせる姿だ。
はて、この子は何をしているのかしら、と首をかしげていると、カリスが微笑みながら教えてくれた。
「あなたに自分の踊りを見て欲しくなったのでしょう」
「そうなのか? あの腰布は?」
「私たちが修めた舞では、衣装にあのような布がついているのです。踊り手は、あの布を地面に触れさせずに舞うことを求められます。私の国では胡旋、もしくは胡旋舞と呼ばれていました」
それを聞いた俺はふむとうなずく。当然というか何というか、その名は知らなかったが、名前の響きからして西の蓬莱国を思い起こさせるので、そちらの流れを汲む舞いなのだろう。
そんなことを考えているうちにトワの準備が終わり、俺たちは人通りの少ない路地に移動した。
そして始まる奏者カリス、踊り手トワの姉妹公演。
それを見た俺は――正直、心底驚いた。口語的にいうと、ぶったまげた。
失礼ながら、始まる前は子供のお遊戯めいたものを想像していたのだが、とてもとてもそんなレベルではなかったのだ。
一番驚いたのが舞いの激しさである。カリスの奏でる笛の音にあわせ、両の袖を翻して踊るトワは、左に右に身体を回転させて、およそ止まるということがない。
それでいて、そこらあたりを闇雲に駆け回っているわけではなかった。足元を見ればわかる。トワはほとんど場所を移動しておらず、その状態で腰布が地面につかないように小さな身体を力強く律動させている。陽光を浴びた栗色の髪が金糸のように輝いて、少女の踊りに花を添えていた。
我を忘れてトワの踊りに見入り、終わった後は心からの拍手を送った。さらに「素晴らしかった」という意味の言葉を、語彙が尽きるほどの勢いで浴びせかける。
笛の音に気づき、何事かと集まってきた少数の見物人もトワに賛辞を送っていた。
額に玉の汗を浮かべたトワは、はじめこそ嬉しそうに笑っていたものの、あんまりにも俺たちが褒めてばかりいるものだから、そのうち恥ずかしくなったのだろう、そそくさと姉の後ろに隠れてしまう。
そんなトワの可愛らしい振る舞いを見て、あたりはほがらかな笑い声に包まれた。
後で聞いたところ、二人がランカース公の目にとまった踊りは、姉妹が二人で舞うものだったという。
俺は年齢から推して、カリスとトワのことを「踊り子とその妹」として見ていたのだが「二人とも踊り子」というのが正解だったようだ。
その夜、久しぶりに踊った疲れのせいか、トワは早々に寝入ってしまい、カリスも妹にあわせて眠りに就いた。
俺は二つの小さな寝息に耳をくすぐられつつ、部屋の窓から夜空を見上げていた。相変わらずの安宿暮らしであるが、姉妹のおかげで不自由や退屈とは無縁でいられる。
ありがたいことだ、と素直に思う。
俺の思いつきではじめた貧乏生活に巻き込んでしまったのはいまだに申し訳なく思っているが、結果だけ見れば、姉妹のことをより深く知ることができた。その点は幸運だったといえるだろう。
ただ、気になることもあった。
姉妹を知るにつれて、俺の胸に兆す一つの疑問。
他でもない、処刑されたランカース公爵のことである。
『私は公爵様が魔人に通じていたとは思っていません。トワを案じてくださる公爵様の気持ちは本当のものだった。公爵様を処断した陛下の判断は間違っています』
最初の夜にカリスが口にした言葉が思い出される。
短いとはいえ一つ屋根の下で暮らしているのだ、カリスがランカース公のことを慕っていたこと、今も慕っていることは言動の端々から感じとれる。
したがって、あの言葉はその感情が高じて生み出されたもの、と見ることもできた。
しかし、あのとき、カリスの言葉にこもっていた深い確信は、激情の発露とは異なるものだった。明晰な思慮のもとに導き出された結論だと思えた。
仮にカリスの言うとおりだとすれば、当然のこと、先の一件には別の黒幕がいたことになる。
ベルリーズにいる俺に、それが誰かを突き止める手段はない。だが、推理することはできる。
あの事件でさらわれていた人の数は最終的に百人を超えたと聞いている。
あくまで最終的に助け出された人数が、だ。当然のこと、それ以前にさらわれて犠牲になった人は勘定に入っていない。最終的な犠牲者の数がどれほどにのぼったのか、想像するだにおぞましい。
ただ、それはそれとして、問題はそれだけの人数をさらい、閉じ込め、見張り続けた『反乱軍』の能力にある。
誘拐の実行やその後の監視に必要な人数を集めるだけでも一苦労だ。それ以外にも監禁するための場所を確保し、配下と虜囚のための食糧や水を定期的に用意するなど、いずれも並大抵の財力、権力では為しえない。
権力者、それもかなり高位にいる人間が関与していたことは疑いない。
ランカース公爵が犯人ではないのなら、それは誰なのか。
こんなときに推理の助けとなるのは、先の一件で一番得をしたのは誰なのか、という視点である。
これは考えるまでもない。魔人の策にのって政敵を排除した国王クライフであろう。
……今、自分がきわめて危険な考えに踏み込んでいることは自覚していた。
口にすることはもちろん、考えを悟られただけで極刑間違いなし、それくらいの危険性。
しかし、一度そこに踏み込んでしまえば、これまでは見えなかったものも見えてくる。
先にセルディオと会った際、あの王弟は国王が暗殺者に襲われたといっていた。
右目からこめかみにかけての線を指でなぞった王弟の姿が思い出される。あらためて考えてみれば、その傷口は廃都の地下で聖騎士団長エロイスが戦ったという鉄仮面のそれと重なるのだ。
おそらくは魔人と思われる謎の敵。もう一人の女オウガと同じく、廃都では最後まで俺の前に姿を見せなかった相手。
エロイスによれば、仮面の下から青い目と金色の髪がのぞいたという。
ランゴバルド王クライフと同じ容姿であった。
国王が魔人であれば、あるいは魔人とつながっていれば、傷の一つや二つ、跡さえ残さず治すことができるだろう。
だが、クライフ王はそれをしなかった。
何故か?
それは架空の暗殺騒ぎを起こして、残ったランカース公の与党を完全に滅ぼしつくす口実を得るため――そんな推測も可能であった。
まあ、正直かなりこじつけめいた推理である。金髪碧眼の上級貴族なんて、それこそ掃いて捨てるほどいる。条件だけを言うなら王弟セルディオだってあてはまるし。
もし他の人間にこの推理を話したら、下賜された女に同情したか、たぶらかされたと判断されるのがオチだろう。
だが、実のところ、その「下賜された」というくだりも俺の疑念をかきたてる材料なのである。
カリスが俺のところに来た事情はセルディオが語ったとおりであろう。
だが、王弟がどれだけ策動しようとも、そもそも国王がうなずかなければ、今回の件が実現することはなかった。
王弟が巧みに兄王を口説いただけだ、と言われればそれまでである。
だが、俺は以前にランゴバルド王国についてこう述べた。
『ランゴバルド王国は西の蓬莱国と並ぶ大国で、人界の盟主を自認する尊大な――もとい、誇り高いお国柄である。ウィンディア王国との仲は決して悪くないが、なんというか、属国視されている感があって、俺はあまり好きになれなかった』
それはつまり、クライフ王は『魔人殺し』アレス・フォーセインが治めるウィンディアを属国扱いしている、ということである。
俺がハイランダーであることをクライフ王が察知しているかどうかは知らないが、仮に察知していたとしても、陛下すら見下す人間がその臣下に関心を向けるだろうか?
カリスほどの美貌だ、下賜されて喜ぶ騎士や貴族は宮廷にいくらでもいたに違いない。あるいは、都の豪商あたりに授けてもいい、その方がよほど国王にとって益になる。王弟がどれだけカリスを俺に与えるように説いても「ならぬ」の一言で却下する方がよほど自然であろう。
だが、国王は弟の言葉にうなずいた。セルディオの話しぶりからして渋った様子もない。
思い出されるのは、廃都からの帰途、俺の前にあらわれ、魔剣の情報だけ吐き出して姿を消したベアトリスの奇行だ。
これまでは魔人の気まぐれ以外の理由が思いつかなかった。
ところが、クライフ王とベアトリスがつながっていると考えれば、不可解に見えていたあの出来事にも意味が見出せる。
もちろん、すべては推測に過ぎず、確たる証拠はどこにもない。
だが、一度脳裏をよぎったこの疑念は俺の頭にこびりつき、なかなか離れようとしなかった。




