第二章 金髪のゴブリン(一)
ベルリーズの街から北東に道をとること十日あまり。かつては多くの旅人で賑わっていたであろう幅広の街道を進んだ先にその廃墟はあった。
木は朽ち、草は枯れ、土は腐り、川の水は黒く濁って腐臭を放つ。地面には人間のものとも獣のものともとれない骨が散乱し、網の目のように広がった大地の裂け目からは、毒を孕んだ瘴気が音を立てて吹き出ている。
三十年前の大侵攻で魔物に滅ぼされたコーラル帝国の跡地である。
かつてランゴバルド王国や蓬莱国をしのぎ、大陸最大を謳われた巨大帝国の領土は、今や住む者とてない無人の野と化していた。
「話には聞いていたが、ひどいもんだな」
小さくひとりごちる俺の手には、赤々と燃えるたいまつが握られている。
本来、今はまだ太陽が中天に輝いている時刻なのだが、あたりは夜のように暗い。雲が陽光をさえぎっている、などというレベルではない。本当に真っ暗闇なのである。たいまつを使わなければ歩くことも難儀するくらいに。
異常が発生しているのは大地だけではなかった。この空の異常もまた、コーラルの地から人間を排除した呪いの一つであった。
滅亡当時、コーラル帝国は今のウィンディア王国と同様、一柱の戦神によって守護されていた。
それはコーラルが大陸最大の国家になりおおせた理由の一つであったが、同時に、戦神の存在は魔軍の注意を引き付ける役割も果たしてしまう。三十年前の大侵攻において、ガルカムウ山脈を南下してきた魔軍の最初の標的はコーラル帝国であった。
コーラル帝国を中心とする連合軍は、押し寄せる魔軍の大半をメルキト河で防ぎとめることに成功する。
しかし、飛行種を中心とする空の魔物はあっさりと諸国の防衛線を突破し、帝都コーラル・シーを急襲。人類側の予測を外すこの襲撃を指揮していたのは一人の魔人だった。
コーラルの戦神は魔人と三日三晩にわたる壮絶な一騎打ちを繰り広げた末、相打ちになって果てたとされている。
指揮官を失った魔物の群れは四散し、帝都はかろうじて守られたかに見えた。
しかし、死の間際、魔人はコーラルの地に呪いをかける。豊穣の沃野は不毛の荒野と化し、澄んだ泉は毒沼に変じ、漆黒の闇が空を覆って陽光を遮断するという亡国の呪い。
呪いは瞬く間に帝都を覆い尽くし、のみならず、帝国全土に広がってしまう。土地を汚され、空を失ったコーラルは人間が住める土地ではなくなり、昼日中から異形の怪物が闊歩する魔境となりはててしまった――以上が、以前に俺が聞いたことがあるコーラル帝国滅亡の推移である。
この話が決して大げさなものではないこと、そして三十年を経た今なお状況がまったく変わっていないことを、俺は自分の目で確かめることになった。
ここはまだ廃墟の外縁部なので魔物の気配はそれほど濃くないが、それでも息詰まるような圧迫感が両肩にのしかかってくる。マルガから聞いた情報では、このまま街道を進むと魔物は加速度的に数を増していくそうで、かつての帝都であるコーラル・シーにいたっては魔物たちの楽園と化しているそうだ。死ぬことさえ許されない亡者の苦悶の声が、一年を通して都中に響き渡っているという。
廃都コーラル。
かつて戦神と魔人が激闘を繰り広げ、共に果てた土地。
人界における最大の魔物生息地はガルカムウ山脈であるが、廃都はこれに次ぐ脅威として人々に認識されていた。
「しかし、何に使うんだ、こんなもん?」
採取を頼まれたものの一つ、茎のトゲにしびれ毒のある紅色の花を引き抜きながら、俺は首をかしげる。
ちなみに、花といっても美々しさとか可憐さとかはかけらもない。強いていうなら、踏み潰されたカエルの顔に似ている。これを花と呼ぶのは、他の花に対する冒涜かもしんない。引き抜くときに、腐った土がべちょりと付いてくるのも勘弁してほしい。
正直なところ、依頼の選定を誤った気がしないでもない。軽い気持ちで廃都を見ておこうなんて考えるんじゃなかった。
むろん、一度引き受けたからには依頼の破棄なんてしないけども。
ここは一つ、あの魔法使いの少女に良いところを見せるチャンスだと思って気合を入れることにしよう。
俺は蛙花(勝手に命名)を袋に放り込むと、せっせと手足を動かし続けた。
魔に汚された土地だけあって、この地に生息する植物の多くは他所とは異なる変化をとげている。蛙花のように、たいていが毒ないし呪いつきだ。
もしかして、いつの間にか魔人領域に入り込んでしまったのではないか――ついそんな疑惑が脳裏をよぎるくらい、この土地は毒物の宝庫であった。
「さっさと仕事を終えて、さっさと帰るとするか」
周囲を警戒しながら、小声でつぶやく。
中心部から遠いとはいえ、このあたりにも魔物はそれなりに出没する。俺もすでに下級の妖魔であるゴブリン五匹、それに毒沼に生息する犬みたいな魔物三匹と戦っていた。
いずれも大した相手ではなく――犬の方は毒液を吐き出してくるので面倒だったが――研ぎから戻ってきたばかりの長剣でしとめたが、コーラルの跡地に足を踏み入れて一時間足らずでこの数である。
ついこの間、シルル教団による廃都への遠征が行われ、かなりの数の魔物が掃滅されたという話だったが、それでもこれなのだ。この地に住まう魔物の総数が思いやられた。
ぼやぼやしていると、すぐに次の魔物が襲ってくるだろう。けっこう報酬が高かったにもかかわらず、この依頼に引き受け手がつかなかったことも今となっては納得――
「……ん?」
周囲にわだかまる闇の向こうで何かが動いた気がして、俺は手足の動きを止めた。たいまつをかざし、闇の向こうをすかし見る。
と、いきなり風に乗って凄まじい悪臭が吹きつけてきた。
あやうくむせそうになり、とっさに手で口と鼻を覆う。同時に、事態を察した俺はたいまつを地面に落として足で火を消すと、そのまま手近の岩陰に隠れた。
あたりはたちまち澱のようによどんだ闇に覆われる。ただ、俺は多少夜目が利くので、自分の周囲であれば、かろうじて状況を把握することはできた。
俺が予想したモノが姿を見せたのは、それから少し経ってから。
ズシン、ズシンと重い足音が響いてくる。悪臭が一際濃くなったと思った瞬間、それは現れた。
醜悪な外見をした十匹あまりの魔物の群れ。
先刻戦ったゴブリンと並んで著名な魔物、オークだ。
額に生えたツノは鬼族と呼ばれる魔物の証で、その意味でオークはゴブリンの同族でもあった。
もっとも、外見は大きく異なっている。
ゴブリンの身長は俺の半分ほどで、腕や足も細く、人間の子供同然であるのに対し、オークは俺より頭一つ二つ背が高く、手足は丸太のように太い。
体毛のない黒い肌、平べったい顔、特徴的な才槌頭と額から突き出た太いツノ。
ぽっかりと開いた二つの眼窩は、まるで井戸の底を覗き込んでいるように深く、暗く、食欲と性欲と破壊欲が渾然と溶け合っている。
鼻は小さく目立たず、代わりに口は大きく開かれていて、サイズは人間の倍以上はありそうだ。幾重にも並んだ頑丈な歯は、人間の四肢くらい骨ごと噛みちぎる凶器である。
小鬼は猿や豚に似た顔立ちをしているが、大鬼のそれは人間に近い。
率直にいって、気色悪いことおびただしい。なまじ顔つきが人間に似ている分、おぞましさもひとしおだ。おまけに臭いも強烈で、それが十匹もいるから、こうして離れて見ているだけでもけっこうきついものがある。
オークは生殖能力が極めて高く、同じ鬼族はもちろん、人間やエルフといった他種族とも交配できる。悪臭の源が何なのかを想像するのは、精神衛生上、非常によろしくなかった。
「……生殖能力、か」
その一語で、ふとギール山道で戦った大グモを思い出した。
あの魔物が俺の推測どおりの存在だとしたら、姿を消した親グモの生殖能力は並外れている。それこそオークのそれを取り込んだかのように。
推測に推測を重ねても益はないと知りつつ、頭は勝手に回転し続ける。
子グモは人とクモをかけあわせたような存在だったが、もしかしたら親グモの方も何かをかけあわせた存在だったりするのだろうか。たとえばオークとクモ、といったような。
だとすると、そんな存在が現れたり消えたりする理由は何なのか……
『ササ、ウニウ! マキイチワエ!』
妙に甲高い声が響き渡って、俺ははっと我に返った。
オークの集団は、なにやら興奮したようにわめき立てていたが、ほどなくして別の方角に立ちさってしまう。たいまつの明かりに気づいてやってきたのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
知らず、安堵の息がこぼれる。
重量級の武器を苦もなく振りまわすオークは厄介な敵だ。個としての戦闘力もさることながら、連中は互いに意思疎通して集団戦を展開してくる。
これは鬼族すべてに共通する特徴であり、だからこそ鬼族相手の戦いは、たとえそれが最弱のゴブリンであっても注意を要する。一対一ならともかく、一対多で戦うことは極力避けなければならない相手だといえるだろう。まあ、これは鬼族に限った話ではないけれども。
ともあれ、オークとの戦いは避けられた。安堵しつつ岩陰から出る。
やはりこの廃墟は危険だ。行けるようなら廃都まで足を伸ばそうと考えていたが、無理はしないでおこう。
いずれまたシルル教団主導による遠征が行われるのは確実だから、廃都行きはその時まで待った方が賢明である。度重なる遠征を憂えていたイズには申し訳なかったが、俺はそのように結論した。
「そうと決まれば長居は無用。さっさと依頼を終わらせて帰るとしよう」
たいまつを拾い上げ、再び火をつける。
あと見つかっていないのは、とある植物の根で、当然のように毒を含んでいる。煎じて飲むと軽い毒状態になるらしい。
頭の中で植物の特徴を思い起こしながら、俺ははじめて依頼書を読んだときとまったく同じことを考えた。
――何に使うんだ、こんなもん?
◆◆◆
「つくった解毒薬がちゃんと効くか試すために一番手っ取り早い方法は、毒状態の相手に飲ませることよ」
というのが毒花、毒根の採集を依頼した人物の答えだった。
今日も今日とてとんがり帽子をかぶったフレアに向け、俺は新たな疑問をぶつけてみる。
「自分で?」
「自分で毒をあおる趣味はないわよ。他人に飲ませる趣味もね。実験用のネズミに与えるに決まってるでしょ」
「すると、麻痺する花の方も、麻痺用の解毒薬のためか?」
「ええ。まあ、そっちはしびれ薬のままでも軍や病院なんかに良い値で売れるんだけど」
重傷者の治療をする際、意図的に患者を麻痺状態にすることもある。そういった際に重宝されるらしい。
「いつもなら自分で取りに行くんだけど、今回は色々たてこんでいて、半月以上も街を空けるわけにはいかなかったの。引き受けてもらって助かったわ」
魔法研究のかたわら、薬師としても活動している少女は淡々とした表情で礼を言った。
俺はいやいやとかぶりを振る。
「こちらこそ。おかげでわりのいい依頼にありつけた」
「この前の魔物退治の報酬に比べたらはした金でしょうに」
「あれはなあ……夕食の献立を考えていたら、ウサギが勝手に木の根にけっつまずいたようなものだから」
堅実をモットーに生きるつもりはないが、今回のような幸運をあてにして過ごすつもりもない。
俺がそう言うと、フレアは興味なさげにうなずいた。
「そう。それじゃあ私はこれで」
言って、さっさと席を立ってしまう。
ちなみにここはマルガの宿の一室である。もちろん俺が泊まっている部屋ではなく、依頼を出した人間と引き受けた人間が話をするための場所だ。
先日、イズと会ったときはいろいろと話が弾んだものだが、フレアの場合はそもそも向こうに話を続ける意思がない。必要なやりとりが終わったら、はいさよなら、という感じだった。
いや、別にそのことにケチをつけるつもりはないのだ。
俺とフレアの関係はただの知人、この場にかぎっては依頼主と引き受け手。友人ですらない俺に好意的な態度をとらなければならない理由はない。
それはわかるのだが、どうもあちらの言動の端々に警戒心が見え隠れしている。率直に言って、初対面のときより警戒されている感があった。
――たぶん花嫁令のことをイズから聞いたんだろうなあ。
そんな気がした。
まあ普通に考えて警戒するよな、と内心で苦笑する。逆の立場であれば、俺だって警戒するだろう。
それに、俺が花嫁候補を物色しているのは事実であり、そこにイズたちが入っていることも事実だからして、フレアの警戒はしごくまっとうなものだ。もしかしたら、俺の視線から下心を鋭敏に感じ取っているのかもしれない。
扉の向こうに消える紅茶色の髪を見送りながら、今後女性と話すときはもう少し注意しよう、と俺は自分に言い聞かせた。




