第96話 勇者説得 (主人公トキヒロ視点)
この日は決闘騒ぎで夜になり、みんな疲れ切っていたので、香澄さん達のベヒモス沼拠点で休むことにする。
これからのことの協議など、全ては明日の朝だ。
勇者一行は着替えに使った部屋を宛がわれ、俺達も昨日の客間で疲れを癒やす。
ちなみに勇者君は意識が戻らなかったので、俺が運んでそのまま寝かせている。
夕食は藍音さんが日本から持ち込んだカップ麺だった。
久しぶりに食べたカップ麺に、思わず転生前の生活を思い出し、涙が出そうになってしまう。
旨かった。
これはカップ麺が美味しいと言うより、思い出の味と言うことだろう。
俺達は早々に就寝し、翌朝を迎える。
朝日が昇った。
まだ朝早いにも関わらず、藍音さんが「遅刻よ、遅刻ーーー」と叫びながら慌てている。
今朝も時差の1時間を考慮せずに寝坊したのだろう。
「おはようございます。
藍音さん。
昨日よりは早いと思うのだが、どうしてそんなに急いでるんだ」
「今朝は月に一度の早朝ボランティアの日なのよ。
全社員1時間早く出社して、会社の周りをボランティア清掃するのよ」
「それって強制参加なんですか」
「あくまでボランティアだけど、参加しない社員はいないわね。
2ヶ月前に寝坊して参加しなかった後輩は、それをネタにいじられるようになって今も針のむしろよ。そうはなりたくないわ」
藍音さんの言葉に思わず社会人って大変だななどと思ってしまう。
転生世界での魔王討伐と転生前の学生生活しか知らない俺は、日本の社会常識が不十分なようだ。
藍音さんは自分で持ち込んだ食パンをかじりながら日本へテレポートしていった。
藍音さんが消えてすぐにカオリと香澄さんが起きてくる。
「おはようヒロ、早いのね」
「おはよう、トキヒロ君。
藍音ちゃん見なかった」
「おはようカオリ、おはようございます香澄さん。
藍音さんは会社の早朝ボランティアに遅れると大騒ぎしながらテレポートしていったよ。
その騒ぎのせいで目が覚めた」
むしろ、あれだけ大騒ぎしている中でよく眠れていたものだと感心する。
「そう、それじゃあ日本への帰還は早くても今日の夕方ね……
それまでに大塚君達を説得しないと……」
「香澄先生、私も手伝いますよ。
ところでヒロはどうする」
「俺は……」
そう、俺はまだ自分の世界に帰る方法を見つけていない。
「もし、魔石を集めて私の送還魔方陣を試すのなら、魔石集めを手伝うよ」
カオリの言葉にしばし考えてから、結論を出す。
「いや、俺も久しぶりに日本へ戻りたい。
俺の世界に帰る方法はその後考えるよ」
正直、昨日食べたカップ麺の味に、日本へのノスタルジーが呼び覚まされてしまったようだ。
「そう、わかったわ。
香澄先生、問題ないですか?」
「うーん、学校に入学するとかじゃなければ、日本に帰って見て回るくらい問題ないんじゃないかな。
お金ならこっちのアクセサリーなんかをリサイクルショップに売れば何とかなるだろうしね。
ショッピングや観光を楽しんでから帰る方法を考えてもいいんじゃなかしら。
藍音ちゃんのテレポートなら、これくらいの人数簡単に移動できると思うし」
話は決まった。
後は勇者とビッチの4人を起こして説得するだけだ。
「あっ、そうそう。
2人とも日本に帰るとき、藍音ちゃんはこの世界の善意の祠祭様アイネリアという設定になるから、話を合わせてね」
カオリが4人を起こしに行こうとロビーを出かかったところで突然香澄さんが言う。
「先生、今更だと思うんですが、何故そういう設定にするんですか」
カオリの質問に頷きながら香澄さんが答える。
「うん、そうよね。確かにあなたたちの前では自重していないけど、それはあなたたちが信頼できるからよ。
けど、あの4人は人として未熟すぎるわ。
もし、この世界と日本を自由に行き来できる人間が日本にいると知れば、それを誰かに話してしまう危険性が高い。
そうすれば、その能力を持っている人はとても迷惑することになる。
だから、世界を越えることが出来る人間はこちらの世界にしかいないことにして置きたいの」
「わかりました。
確かに、異世界に簡単にいける人がいればマスコミや政府が放っておかないでしょうからわかります。
実際私も魔石さえあれば召喚や送還の魔方陣が使えることを知られるのは避けたいですし、納得しました」
「助かるわ。
トキヒロ君もそれでいい」
「了解した」
俺は頷きながら香澄さんに返事をした。
香澄に起こされたビッチーズ3人は何か緊張した様子でビクビクしている。
俺達の誰かが話すと、そのたびにびくっとするのだ。
勇者の少年は3人にかなり遅れて起き出してきた。
どうやらなかなか目が覚めなかったらしい。
大塚正義がロビーに現れると、ビッチーズの3人はすぐに勇者の周りに集まり、小声で話し始める。
「大丈夫……大塚く……」
「貴方、昨日死んで……」
「俺……何があった……だ」
どうやら昨日気を失ってからの流れを勇者君に説明して、今後を相談しているようだ。
はっきりと聞き取れないのがもどかしいと思っていると香澄さんが声をかける。
「そこの4人、こそこそしていないでこっちに来なさい」
ビッチーズ3人がびくっとして硬直し、少ししてから怖ず怖ずと香澄さんの前に並ぶ。
「お前達なんでそんなにビクビクしているんだ」
3人の様子に勇者の少年が疑問をぶつけると、ビッチーズのリーダー格らしい少女が説明する。
「あんたは気絶というか……、死んでいたから知らないだろうけど、先生も関谷香織もそこの男も、私たちでは考えられないくらい強いのよ。
それにあんたにしたことを考えると、今でも震えが来るわ」
「一体どういうことだ」
勇者の少年の疑問に3人のビッチ達は口ごもって答えようとしない。
どうやら昨日のベヒモス戦以降の光景がトラウマになったようだ。
「大塚君はどこまで覚えているの?」
香澄さんが勇者君に聞く。
「いや、あの審判していた女に目にもの見せてくれようと駆け寄ったところで意識が切れた。
後は気がついたら関谷に起こされた。それがさっきだ」
「まあ、そうでしょうね。
貴方は藍音ちゃんに突き飛ばされて失神し、大きなベヒモスに丸呑みされて、何とか助けたときには蘇生措置が必要だったのよ。
そこで関谷さんの雷魔法とポーションで一命を取り留めたというわけ。
わかった?」
「いや、それだけで何で龍造寺達があんなに怯えるんだ」
勇者君はあまりにもさらりと説明されたため、今の話が如何に規格外な事なのか納得していないようだ。
「大塚……、もうやめなよ」
「そうよ、どう考えても私たちと先生達では強さの桁が違うわ」
「というか、あの人たちは人間じゃないわ。化け物よりバケモノよ」
3人の言葉にどこか納得できていない勇者君だったが、俺達が自分よりも遙かに強い存在だと言うことはわかったようだ。渋々口をつぐむ。
「さて、そこで提案だけど、自分たちの能力がこの世界では通用しないと言うことはわかってもらえたと思うから、もういい加減、日本に帰ると言うことでいいかしら」
香澄さんの言葉に、ビッチーズ3人は下を向いて黙り込む。怖くて逆らえないのだろう。
しかし、勇者の少年は違った。
「先生、確かに俺は昨日の決闘で負けたようだが、それはこれからレベルを上げればどうとでも結果を変えることが出来るはずだ。
俺はまだ帰らない」
青い顔をしたビッチーズから袖を捕まれて止められていることにも気がつかずにまくし立てる。
香澄さんは少し考えてから口を開く。
「それじゃあ、最初にレベリングしていた平原に今から連れて行ってあげるから、スライムでも倒して本当にやれるかやってみるといいわ。
ただし期限は今週の金曜日まで。
日本時間で土曜になって、思うように伸びていなければ、今度こそ諦めてもらうけどそれでいい」
「チッ、あと3日か。
かなり不利な条件だが、勇者ならそれくらい克服しなきゃな。
いいだろう。
金曜日までに先生達を納得させるくらい強くなってみせるさ。
行くぞおまえたち」
後ろでビッチーズが揃ってイヤイヤしているのにも気づかず、勇者君は勝手に決めてしまった。
「と、言うわけで、あなたたちも昼間は手伝ってね。
のたれ死なれないように保護するのを」
香澄さんが俺とカオリに向けてささやいた。
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