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疑問が、嗚咽のように口から漏れる。
「なんで」
消え入りそうな弱い声。そして数秒ののち、本条次郎の机がけたたましく鳴いた。
「なんでだよ!! お前ら、この会議から抜けたくないのかよ!!」
問い掛けた、とはあまりにも生温い表現だ。詰問、糾弾、あるいは尋問。後ろを振り返ってしまった本条次郎の表情こそこちらからはうかがい知れぬが、そのひとつひとつの所作から彼の激昂は十二分に察せられる。あるいは、彼を見上げる女生徒の、その表情から。
彼の醜態を眺めながら私は、現状を冷静に把握しようとしていた。私は理解している。この結果が、決して私の功績などではないことを。投票前に交わした私と本条次郎の議論。恐らくあれは、この結果になんら影響してはいないはずだ。つまり、本条次郎の敗因はただひとつ。それは、彼の演説があまりにも完璧すぎたことだ。
――死刑執行のボタンは三つある。
ボタンを押す刑務官も三人いる。そのうち、通電されているボタンは一つだけ。これは誰が“当たり”のボタンを押したのかを分からなくさせるための措置であり、精神的苦痛に悩まされるであろう刑務官のための配慮だ。だが、実際にはこんな子供騙しで刑務官の罪悪感が軽減されることはなく、三人が三人とも“当たりのボタンは俺が押したのだ”と同等の苦しみに苛まれるという。
本条次郎は見誤ったのだ。人間の“罪悪感”を。本条次郎は過小評価しすぎたのだ。人間の姑息さを。本条次郎の演説はあまりにも完璧すぎたのだ。あれで七人の間には安堵の余裕が漂った。八人の間には、稲田正太郎に票を集めてしまえば会議を終わらせられるという、確固とした意思疎通が成立していたはずだ。だが、あまりにも完璧すぎた。あまりにも求心力がありすぎた。あまりにも、皆に安心感を与えすぎた。
――つまり。彼らは、“自分一人くらい投票しなくても大丈夫だろう”と考えたのだ。“三分の一の死刑執行人”になることを恐れた。その精神的苦痛は他人に押しつけて。
見たか本条、人間の罪悪感というものがいかに強大か。人間の姑息さがいかに果てしないか。どうせ、今回の投票では確実に稲田正太郎に五票以上集まる。ならば自分はやめておこう。死刑執行のボタンを押すのは他人に任せて、自分は死に票を投じよう。なぜならその方が楽だから。八分の一の罪悪感を避けて歩いた結果がこれだ。お仲間の愚かさを恨め本条。お前の完璧な立ち回りは、連中のくだらない自己保身のために霧散した。
「立会人!!」本条次郎の矛先が今度はこちらを向いた。「お前、本当に正しく投票用紙を読んだのか?!」
「……質問の意味がわからないな」
「“お前に都合のいい読み間違い”が百パーセント起きないと、保証できるのかってことだよ!」
「なんでも疑ってかかる姿勢は評価できるが、なかなか、如何ともしがたいよ。投票先は非公表だから、投票用紙を確認させるわけにもいくまい。記名式ではないが、その筆跡だけでもおおよその“アタリ”はついてしまうだろう」
「その点については、安心してくれたまえよ」
公正委員会の一人、ひょっとこが静かに口を開いた。
「立会人の選挙事務に不届きがないことは僕が保証しよう。ましてや、票数操作の不正など。万が一そんなことが発覚すれば、本郷を立会人に指名した僕ら全員で責任を取ろう」
「……仮にも顔を晒している本郷立会人にもない信用が、自分たちにはあると考えているのがまったく意味不明だな」本条次郎はなおも食い下がった。「そんな提案しかできないなら黙っていてくれないか」
「血気盛んで結構なことだな。ならば、どうする? 選考委員を辞退するか?」
本条次郎とひょっとこの間に、分かりやすすぎるほどの火花が散った。およそ五秒。お互いがまったく退かずに視線をぶつけ合ったのち、先に矛を収めたのは本条次郎であった。どすん、と諦めたように椅子に腰を下ろす。
「いいだろう。会議が終わったら、投票用紙をすべて確認させろ。会議中の票数と齟齬がないか確認させてもらう。それくらいなら問題ないだろう?」
「……いいだろう。“会議終了後、使用した投票用紙を確認する権利”を与える」
ひょっとこがそう言い終えるのとどちらが先か。十人の公正委員が立て続けに“承認”の札を立てた。会議中、立会人の領分を超えた事象には公正委員会の判断を仰ぎ、過半数の承認で議決される。
こうして、にわかに炎の上がった第二回投票は終了した。第三回自由討論へと移行するその隙間の時の中で、私は手元の資料に目を落とした。
一年三組 稲田 正太郎
細身で長身。顔も悪くなく、性格も活発。元来、弱い者イジメの対象になるようなタイプの生徒ではないが、弱きを挫き強きにへつらう性格から、周囲からはヘイトを溜め込んでいる模様。嫉妬心や人望のなさから、本会議においては人柱に選任される可能性あり。しかし、彼が人柱に選任された場合、黙ってやられているだけの性分とは思えないことから、本制度が表面化する恐れあり。
選任確率B 人柱適正E
教卓に潜ませた分厚い資料。たまたま稲田正太郎の分だけを用意していたわけでは、もちろんない。全候補者百五十二名分、すべての資料が公正委員会から提供されていた。




