魔王復活という預言が降りたので婚約破棄された
『すまない!! 必ず、君の身体を自由にしてみせる!!』
両手両足にまるで鎖が絡まっているような奇妙な痣が浮かび上がっているわたくしに向かって大司祭が必死に呪文を唱え解除しようとしているが、ずっとそれをし続けている大司祭はすでにふらふらで今にも倒れてそのまま儚くなりそうな雰囲気があった。
『……大おじさま。私が真の力に目覚めれば彼女を解放できるんですよね』
ずっと泣きそうな顔で大司祭を支えている黒髪黒目の少年が尋ねる。彼がそっとわたくしの腕に触れると鎖は僅かだが薄くなっていく。
『…………ああ。だけど、お前自身も封印されて』
『封印を解けるように努力します。だから』
労わるようにこちらを見つめる黒い目。
『待っててください』
この鎖の意味も何が起きているのかも当時のわたくしには分からなかった。でも、わたくしの中にあった大事なものが奪われたのだと感じ取れたのだった。
学園祭も盛り上がり、さて最後に生徒会長である王太子から締めの挨拶という段階だった。
王太子の婚約者であり、副会長であるわたくしは最終確認の打ち合わせで実行委員と話をしている最中に王宮からの使者が慌てた様子で王太子に向かって話をしているのを視線の隅で見かけた。
「殿下。何がありましたか?」
慌てた様子の使者の様子を見ていたので打ち合わせが終わるとすぐに駆け付けて尋ねると、
「はっ。そんなことまでいちいち首を突っ込むとは図々しいというかそれほど手柄が欲しい浅ましいハイエナのような奴だな」
婚約者でありながら王太子とわたくしはお世辞にも仲がいいとは言えなかった。王太子に声を掛けるたびにいつもそんな感じで言われているので必要以上話し掛ける気力はなかった。
「そんなことは…………」
「お前に話す理由などない。座学しか取り柄の無い奴に」
「…………」
用がないのならこれ以上顔を見せるなとばかりに避けられて、頭を下げて去るのを馬鹿にしたように鼻で嗤い、
「まるで負け犬のようだな。みっともなさで笑えて来る」
と告げる声がはっきりと聞こえる。
(好きで婚約者になったわけではない。王命だからこそなのに)
わたくしの一族はかつて魔王を倒した聖女の血が流れていると言われ、王太子は勇者の子孫だ。だけど、わたくしは聖女の力らしきものが片りんもない。それもあって王子はわたくしと結婚するのをよく思っていない。
聖女の血筋”だけ”で自分を拘束している忌々しい女だと蔑み、現聖女である女性と親しく付き合っていて、一緒になれないと悲劇の主人公気分でいる。
(わたくしだって、ずっとあんな扱いされ続けて一緒に居たくない。王命じゃなかったら……契約さえ無ければすべて捨てているのに)
第一、座学しかできないと王太子は告げていたけど、それだって、王太子が……。
長袖で隠れている腕をそっとさする。
わたくしの腕には魔法契約で魔術や剣術、体術を一切使用できないように施されていた。
王太子の婚約者にそんなものは不要だとばかりに――。
『力が足りなくてすみません』
私にもっと力があれば――と頭を下げていた青年の姿が脳裏に浮かぶ。こんなの間違っていると必死に解除しようと努力してくれた。
彼が……彼と大司祭がいなかったらとっくの昔に心は死んでいただろう。王族の都合のいい人形として。
「お前なんかに構っている場合じゃなかったな」
わたくしを馬鹿にし終えると、学園祭終了の言葉を掛けるために王太子は壇上に上がる。
「これにて学園祭は終了になる、皆よく頑張った」
壇上で王太子の声が響きあちらこちらで上がる歓声。
「だが――ここで皆に報告しないといけない緊急事態がある」
王太子の声に会場は静まり返る。
「先ほど城から使者が来て、魔王が復活すると神託があった。――勇者の末裔は印を持つ者と共に魔王を封じろと」
先ほどの王城からの使者はそれを伝えに来たのだとすぐに理解した。
「ユリアーズ・サイレントベル!! さっさと来い!!」
いきなり壇上の王太子に名前を呼ばれて、壇上に続く階段に上がろうとしたら、
「上がれなどと言っていない」
冷たい声。
「も……申し訳……」
「――お前との婚約を破棄する」
謝罪の言葉は途切れた。
「聖女の血筋だからという理由で俺の婚約者の座に図々しく座り込んで、此度の魔王復活に力の無い者など足手まといにしかならない。お前との婚約を破棄して教会で認められている聖女と婚約をする」
王太子の宣言と共に、壇上に嬉しそうに駆け上がる聖女の姿。それを祝福する生徒たち。まるでわたくしが悪者みたい……いや、悪者なんだろう。
でも、婚約を破棄すると言うことは自由になれるのかと希望の光が胸に灯る。
ばりんっ
「――ユリアーズ嬢。こっちに」
どこからか壊れる音と同時に、そっと名を呼ばれ、そちらを見ると黒髪黒目の青年が舞台袖で隠れるように手招きをしている。
壇上では二人の世界を作っている王太子と聖女。それを祝う人々で誰もわたくしを見ていない。
(ならば、いいか)
そっと舞台袖に向かうと、
「ここに秘密の通路があります。普段は物置に使われているから隠れていますが」
舞台袖の物置だと思っていた場所の奥にひっそりと隠れている扉を使って外に出る。
「兄上が申し訳ありません」
「いえ、ルドルフさまが謝ることでは……」
王太子の弟君であるルドルフさまは王族の誰にも似ていない黒髪黒目故に王子でありながら王子ではないと扱われていた。
生まれた時は、その黒髪黒目が不気味だと呪われていると恐れられ殺されそうになったが、先の王の弟君。教会の大司祭がルドルフさまを保護したので彼は教会で育ち、ずっと守られ続けてきた。
ルドルフさまはわたくしに掛けられていた魔法契約を解除しようと努力していた方。彼は魔法契約をすべて無効化できていないと謝罪していたが、魔法契約の拘束は少しずつ弱っているのを知っていた。そして、
「婚約を破棄されました」
「聞いてます。――試させてもらっていいですか?」
ルドルフさまの声に頷くとルドルフさまの手から優しい光が生まれ、身体を縛り続けていた契約が完全に消滅したのを感じ取れた。
「ルドルフさまっ!!」
「よかった……成功した……」
嬉しそうに声をあげるルドルフさまに涙をぼろぼろ流して、
「ありがとうございます。ルドルフさまっ……」
身体が軽い。身体を巡る魔力の流れもはっきりと感じ取れる。とても懐かしい感覚。
「大司祭から伝言です。ここまで仕出かした輩をどうなさりたいかは任せますと」
「大司祭さまが……」
ずっとわたくしを案じてくださった。数か月前に体調を崩されて、名ばかりの役職になっていたが、自分がその地位を降りたらわたくしとルドルフさまに危険が迫ると判断して老害の汚名を被ってまでその地位に固執してくれている方。
「………………神が告げたのなら従います」
「ですが……」
本当にいいのかと伺う声。
瞼を閉じれば、【聖女の血筋】というものだけで王太子の婚約者の座にいた図々しい女。と嘲笑い役立たずと罵り続けた人々の顔。彼らにされたさまざまな嫌がらせ。副会長という立場に押し付けて奴隷のように扱い続けた王太子。
そして、魔法契約でわたくしの本来の力を奪い続けていた王族。
それでも……。
「大司祭さまとその傍で仕えていた神官の方々。わたくしのことを怒って泣いてくれた家族。わたくしのことを心から案じてくれた方はこの国にいます」
「………………」
「わたくしはわたくしのすることをします」
「――ならば従います」
ルドルフさまは跪いて誓いの言葉を述べてくれた。
教会の中庭には王太子と聖女。
「ロイさま頑張ってください♪」
「応援ありがとう。ミレニア」
中庭には勇者が使用したと言われている勇者の剣が地面に突き刺さっている。
勇者の剣は勇者しか抜けず、勇者の剣は雨ざらしになっていてそれを完全に修復できるのは聖女しかいない。と言われている。
大勢の貴族、生徒たちを集め、自分が勇者の子孫であること――自分が新たな勇者だと見せつけるために王太子は勇者の剣に近付き、いざ抜こうと手を伸ばす。
「んっ?」
柄に触れるがびくともしない。
「んっ? んんっ?」
揺らす、引っ張る。力を込める。だが、剣はびくともしない。
「王太子……」
「殿下………?」
「ロイさまぁぁぁぁぁ?」
呼吸を乱して、力を入れ過ぎて顔を赤らめて力んでいるが抜ける素振りのない剣に見ている人々が不安げに王太子を見ている。
やがて力尽きて、地面に尻もちを搗いて崩れていく。
「こっ……」
息絶え絶えに王太子が声を出すのを心配したように駆け寄る聖女。
「何が、勇者の剣だっ!! 馬鹿にしているのかっ!!」
喚く王太子をずっと教会のある部屋から見ていた。
「大司祭さまの言うとおりになりましたね」
ルドルフさま……と呼ぼうとしたら敬称はいらないと告げられた。ルドルフはずっと王太子の……王族の反応を試していたのだ。
大司祭の頼みで。
「大司祭も予想していたでしょう。自分の見た過去視。未来視。そのままで。……もういいでしょう。身体の方は?」
束縛は解いた。自由になった身体は思うように動けるかと案じる視線に、
「――大丈夫。なんでも出来る」
今までできなかったことが嘘みたいに身体が軽く動ける。
三階の窓から飛び降りて、
「こんな剣っ!!」
王太子が乱暴に剣を壊そうと術を放つのと同時に剣を握って、あっという間に抜き取っていく。
ちなみに放たれた術は今のわたくしには痛くもかゆくもない。爆発系の魔術で煙は出ているが、傷一つとなく、わたくしの後ろに一緒に飛び降りて控えていたルドルフにも影響はない。
「ユ……ユリアーズ……っ⁉」
王太子からすれば信じられないだろう。自分が無価値だと判断した元婚約者が勇者の剣をさも当然のように引き抜いているのだから。
「ルドルフ」
ましてや、自分の弟でありながら不気味な黒髪黒目を持つ忌々しい弟と思いたくない存在がわたくしが差し出した勇者の剣に触れたとたん錆び付いてぼろぼろだったそれが、白金色の輝きを放つ一振りの剣に変貌していくのだから。
「――神託通り、魔王討伐に行きます。勇者の子孫として」
「黒髪黒目を持った存在として」
この場にいる貴族。生徒たち全員に宣言する。自分たちの立ち位置を見せつけるように――。
大司祭さまはずっと詫びていた。
かつて王族は勇者の行った偉業を我がものにするために歴史を捏造していったのだ。
勇者の子孫を【聖女】の子孫と書き換えて、【聖女】の証は黒髪黒目だったのを自分達王族によく現れやすい色彩に変えた。
そうすることで自分たちの地位を高めて、本来の勇者を聖女の末裔とすることで自分たちの一族にその血を取り込もうとして乗っ取りを図ったのだ。
資質のある子どもの力を魔法契約で封じて。
彼はその王族の行ってきた所業を過去視で見せられ続けて、未来視で黒髪黒目の子供が生まれたら【聖女】の証であったことを忘れ去った者たちに殺される未来を見て、その子供を保護した。
歴史を本来のものに戻そうとしたが、自分たちの都合の悪いことを認めない王族は彼の言葉を封じた。
このままだったら王の思い通りだっただろう。だけど、魔王は復活してしまった。
偽りでは世界を守れない。
「――行こう」
「はい」
大司祭さまが先ほど亡くなられた。家族はすでに全員この国を出るように手を回してくださった。柵はない。
守るのも守らないのも自由だと遺言を残された大司祭さまはそれでも世界を守ってほしいと思っていただろう。その意思を守るためだけに魔王の元に行くことを決めた。
「ユ……ユリアーズ」
弱弱しくわたくしの名を呼ぶ王太子を見向きもしないで――。
歴史捏造




