断罪、そして…
警備隊による奴隷売買を暴いたフィル。首謀者を前にフィルは怒る!
「さて…」
フィルは笑みを消して警備隊長に向き直った。エリンは警備隊長を引き起こし、その場に膝立ちにさせる。もちろん腕は後ろで固めたままだ。
その前に腕組みして立ったフィルは、不快そうな表情を隠さない。
「領内の民を保護すべき警備隊が、奴隷商と結託して魔族の子供を村から差し出させ、奴隷として売りさばくとは、何事か!」
怒鳴り付けるフィルに、警備隊長は顔をしかめて目を逸らせた。
その表情には、不満がありありと浮かんでいる。所詮魔族ではないか、魔族を奴隷にして何が悪いのか…如実にわかるその態度が、余計にフィルを苛立たせる。
「エリン、その男を離していいわ」
「よろしいのですか?」
「えぇ。…ちょっとこいつ、殴りたくなったから」
「わかりました」
拳を握り締めるフィルを見て、エリンはくすりと笑って警備隊長から手を離し、グラムは小さくため息をついた。だが、二人ともフィルを止めることはしない。
「立て」
低い声でフィルが言うと、警備隊長は不貞腐れたようにのろのろと立ち上がる。こんな小娘に殴られるくらい大したことはない、そう思っていた。
次の瞬間、鈍い音がして身体をくの字に折った警備隊長が呻き声と共に地面に膝をついた。警備隊長の腹にフィルが思い切り拳を突き込んだからだ。痛みと衝撃に息が詰まり、酸っぱい胃液が口の中に逆流してくる。
「なっ…」
なんだこの力は…その姿から想像もできない威力に警備隊長は驚愕した。本能的に身の危険を感じ、よろよろと立ち上がりながら腰の剣に手を掛け、抜いた。
「ふぅん…わたしに剣を向けるなんて、それは総督への反逆ということでいいの?」
フィルは目を細める。総督の命令に違反したとは言え、魔族の奴隷売買に加担しただけでは重い刑罰には問われない。だが、総督に対しての反逆は重罪。特に危害を加えようとしたとなれば、その場で処刑されても文句は言えない。
「騙されんぞ…こんな小娘が総督閣下であるはずがない!」
錯乱したのか、それとも開き直りか、警備隊長が目の前のフィルに斬りかかった。
…これで厳罰に処すための大義名分は得られた。
「きゃぁぁぁ!」
フィルの後ろにいたエナの悲鳴が響き渡るが、フィルの意図を察してエリンもリネアも動かない。
フィルは、自分に向かって振り下ろされる剣に手を伸ばす。その刀身がフィルの手に触れる寸前、剣は青白い炎に包まれた。
「熱っ!」
炎は柄まで広がり、警備隊長は慌てて剣を手放して、その場に尻餅をついた。フィルは足下に転がった燃える剣を、まるで熱さなど感じていないように拾い上げ、その刀身を警備隊長の首に突きつける。
皮膚の表面が焼けるヒリつくような痛みと熱さに、炎が幻ではないことを思い知らされた。では、どうしてそれを素手で握って平気でいられるのか…蔑むように冷たく見下ろすフィルの目に、警備隊長はガタガタと震え始める。
「ば…化け物…」
「…子供たちの前じゃなければ、この場で首を刎ねてやったのに…」
心底残念そうにフィルは言った。人間が血の噴水を吹き上げる様子は、さすがにエナや子供達には見せられない。
フィルは、剣を引くと無造作に投げ捨てる。なんとか助かったと警備隊長が気を抜いた瞬間、その左頬にフィルの拳がめり込んだ。ぐしゃりと鈍い音がして、警備隊長の身体がごろごろと地面に転がる。
顎を砕かれ身体を痙攣させる警備隊長の姿に、周りの警備兵たちは戦慄し、慌てて額を地面にこすりつけた。
「代官、ラナス・ベルナート」
「はっ!」
続いて、フィルは代官ラナスを呼ぶ。自分の前に跪いたラナスを見下ろし、フィルは口調を改める。
「この男は、総督であるわたしに反逆し、剣を向けた。確かに見ましたね?」
「はい。直ちに捕縛し、厳正に罪に問う事をお約束します」
ラナスは顔を伏せたまま返事をする。
「よろしい。…警備隊と奴隷商が手を結び、魔族を奴隷として不当に連れ去って売買していた件、ラナスは知っていましたか?」
「恥ずかしながら、閣下からの手紙を頂き、初めて知りました。まさか領内に魔族の村があるとは、思ってもおりませんでした。ですが、警備隊の悪事に気付けなかったのは、この地を預かる私の落ち度。申し開きのしようもございません」
そしてラナスは、フィルの側で怯えたように固まっているエナと子供たちに顔を向けた。
「そなたたちには、本当に辛い思いをさせた。申し訳ない」
ラナスは跪いた姿勢のまま、エナたちに深々と頭を下げる。それを見たフィルは、口元に笑みを浮かべてグラムに視線を送る。グラムも小さく頷いた。
フィルたちが連れて行かれて5日目の朝。 寂しそうな表情でメリシャは窓辺から外を眺めていた。
「パエラ、フィルたちはまだ帰ってこないのかなぁ…」
「そうだね。どこまで行ったのかわからないけど、遅いねぇ」
パエラも窓際に近寄り、窓から見える森を見つめた。心配はしていないが、ここでただ待つのも退屈になってきた。
「メリシャちゃん、パエラちゃん、ご飯持ってきたよ」
お盆に幾つかの食器を乗せたアニアが部屋にやってきた。テーブルの上に、平たいパンとキノコのスープ、そして何かの肉を焼いたものを並べる。
「…ありがとう」
少しぎこちなく笑うメリシャに気付き、アニアはすまなそうに顔を曇らせる。
「ごめんね。リネアちゃんのご飯みたいに美味しくなくて…」
メリシャとパウラは客人として、村の人たちよりも幾分なりとも良い食事が用意されている。メリシャもそれは分かっている。でもやっぱり、リネアのご飯が食べたい。フィルとリネアと一緒に食べたい。
「メリシャ、フィルさまもリネアちゃんも、きっともうすぐ帰ってくるよ」
しょんぼりと俯くメリシャの頭をパエラが撫でる。
「うん…」
「さ、食べちゃおうか」
パエラはテーブルに着いてパンを手に取って、メリシャに渡した。もそもそとパンを食べ始めるメリシャを見やり、パエラも自分のパンを口に運ぶ。
だが、メリシャの顔から寂しそうな表情が消えないのを見て、メリシャの頭にポンと手を置いた。
「ねぇ、メリシャ。…ご飯が終わったら、少し森の方へ行ってみようか?」
「行く!」
がばっと顔を上げるメリシャに、パエラは微笑んだ。
食事が終わると、食器を片付けに来たアニアに出かけることを伝え、パエラは森の中へと向かった。
ぴょんぴょんと跳ぶように進むパエラは、蜘蛛の背に乗せているメリシャに衝撃を与えないよう、しなやかに8本の脚を折り曲げて着地の衝撃を殺し、滑らかに次のジャンプへと動作をつなげる。パエラにとっては小走り程度だが、馬車よりも速い。
さすがに今からレントまで行くのは無理だが、森の中程まで行って村に引き返すくらいなら、夕暮れまでに戻れるだろう。
森の中は静かだ。小鳥のさえずりや風が木々の梢を揺らす涼しげな音、聞こえてくるのはそれだけ。アラクネの里があるラディーシャ渓谷の森を思い出す。高さ数十メートルもの巨木が立ち並ぶラディーシャ渓谷とは森の様子がだいぶ違うのだが、それでも静かな森の雰囲気は居心地良く感じた。
「このあたりで休憩にしようか」
道が少し広がり、小さな広場になっている場所で、パエラはメリシャを抱き上げて地面に降ろした。
「うん」
近くにあった平たい石にちょこんと腰掛け、メリシャは物珍しそうに周りを見回している。
パエラは、腰に下げていたバッグから水筒を取り出し、メリシャに渡す。
「ありがとう」
蓋を開けてコクコクと水を飲むメリシャの傍らで、パエラも足を折り曲げて地面に身体を付けた。
「ねえ、パエラ、村のことは、どうして秘密なの?」
ふと、メリシャがパエラに尋ねた。
村があることを隠すために奴隷を差し出していたと聞いたけど、悪いことをした訳でもないのに、どうしてそんなことをしていたのか、メリシャにはよくわからない。アニアたちに訊こうかとも思ったが、なんとなく村の人に訊いてはいけないような気がした。
そのせいで、もやもやと疑問を抱えたままだったが、村の人が近くにいない今ならパエラに訊いても大丈夫だと思った。
「少し前まで、帝国の人間と魔族は戦争…殺し合いをしていたんだよ。だから、この村の事が人間に知られたら、人間たちに襲われるかもしれないって思ったんじゃないかな」
パエラは、あえて言葉を飾らずに答えた。フィルはそういう人間と魔族の嫌な部分をメリシャに教えたがらないが、メリシャもちゃんと知っておくべきだとパエラは思う。
「殺し合い…」
メリシャは悲しそうにつぶやく。
「そんなの嫌だよ。だって、フィルは人間で、リネアとパエラは魔族で…でも、メリシャはみんな好きだもん」
「大丈夫。フィルさまはメリシャやリネアちゃんが大好きだから、そんなことにはならないよ」
「うん、そうだよね」
パエラは、にこりと笑ったメリシャに頭を撫でる。
「フィルさまが来る前は、サエイレムでも人間と魔族はあんまり仲良くなかったんだよ。さすがに殺し合いはしないけれど、今みたいに一緒に働いたりすることは少なかったし、お互いに関わらないようにしようとする人の方が多かった」
「パエラもそうだったの?」
「そうだね…あの頃は、あたしも人間のことは信用できなかったし、関わろうとも思わなかったなぁ」
パエラは懐かしそうな表情を浮かべた。
次回予定「総督の使い」
フィルたちの帰りを待つパエラとメリシャの前に現れたのは…?




