形勢逆転
牢の中で機会を待つフィルたち。そこにやってきたのは…?
※誤字報告ありがとうございます!
警備隊の様子が騒がしくなったのは、翌日の朝だった。
「ふふ…」
フィルは牢の扉の方を見て笑う。
「はじまりましたね」
リネアも小さな声ながら楽しげに言った。
フィルは、妲己と玉藻に頼んで、夜の間に警備隊の建物内を偵察してもらっていた。
警備隊の施設は3つの建物からなっている。中心にある本館、本館の西側にある兵舎、本館の裏手にある牢-ここにフィルたちは閉じ込められている。そして本館と門の間、前庭に当たる場所は、隊員の訓練に使用する広い練兵場となっていた。
施設にいる警備兵は全部で約50人ほど、牢の見張りは3名、警備隊長と思われる人物の部屋は本館の1階…めぼしい情報としてはそんなところだ。
その警備隊長の部屋で面白い話が聞けた。どうやら、代官のラナスが警備隊を視察に訪れることになったらしい。急遽決まったことのようで、警備隊は代官一行を迎える準備で大慌てだ。
フィルがエリンに託した手紙には、魔族の村のことと奴隷売買のことは書いていたが、さすがにその黒幕が警備隊だとは書いていない。手紙を書いた時には、まだそれを知らなかったのだから当然だ。
ラナスがこのタイミングで視察を言い出したのは、手紙がきっかけなのだろうか。
だとしたら、ラナスも奴隷売買の黒幕が警備隊だと知っていた、つまりグルだったということか。それとも、警備隊に何か不正の疑いがあるとラナスも睨んでいたのか。
「うぅ…ん、なに?」
外の音に気が付いたのか、エナがもぞもぞと身を起こした。
「おはよう、エナ」
「おはよう、フィル…って、なに、これ?」
牢の入口近くに折り重なって倒れている3人の警備兵に、エナは目を丸くする。代官の視察に備え、奴隷を他の場所に隠すためにやってきた見張りの兵だ。入ってきた瞬間にフィルとリネアが襲いかかり、一瞬で昏倒させていた。
「夜中に不審者が来たから、ちゃんと倒しておいたよ」
「不審者って…」
エナは呆れたようにフィルを見て、軽くため息をつく。もう一々驚くのが面倒になった。
外を見張ってくれていた妲己が戻ってきて、するりとフィルの中に入る。妲己が言うには、代官一行が到着したとのこと。そして、一行は代官たちだけではないとも。それを聞いたフィルは、にやっと笑った。
フィルは妲己から聞いたことをリネアに耳打ちする。それを聞いたリネアは、まぁ、と驚いて目を見開き、そしてフィルと同様に笑みを浮かべる。
「派手に姿を見せても良さそうね」
「はい」
リネアと頷き合い、フィルはエナと子供達に言う。
「みんな、ここから逃げるよ。わたしについて来て!」
一瞬、ポカンとした表情を浮かべた子供たちも、ここから出られると気付いて、表情を引き締めた。
入口の扉は兵達が入ってきた時に開いている。
「行くよ」
フィルが先頭、二番手にエナそして5人の子供達が続き、殿はリネアだ。子供達の走る速さに合わせて、フィルは早歩きで出口へと向かう。
牢があるのは本館裏、代官一行が着いたのは本館の建物の向こう側だ。警備兵たちの関心は代官一行に向いているようで、牢の出口には誰も居ない。見張りの兵が戻ってこない事にも気付いていないなんて、たるんでいるにも程がある。
まぁいい、それだけたるんでいるなら、派手に目を覚まさせてやろう。フィルは本館の中を真っ直ぐ突っ切ることを選択する。
本館の裏口を蹴破り、フィルは本館に乱入した。そこは、正面玄関まで一続きの広いホール。
代官を迎えるために整列していた警備兵達が驚く間もなく、フィルは手近にいた1人を殴り倒し、その腰に下げられていた剣を拾い上げる。ブンと素振りして感触を確かめ、警備兵たちに切っ先を向けた。
ここしばらく、戦いは妲己や九尾の力に頼ることが多かったので、自ら剣を握るのは久しぶりだ。
呆気に取られていた警備兵たちが、我に返って次々に剣を抜く。
「リネア、わたしが前を切り開くから、後ろはお願い」
「はい。お任せください」
フィルと一緒に戦えるようになったことに、リネアは嬉しそうに頷く。
フィルは床を蹴った。振り下ろされる警備兵の剣を受け止め、返す刃で切り伏せる。一応、殺さないように急所は外した。2人目の剣を弾き飛ばし、柄を腹に叩きこむ。3人目が突き込んできた剣を避け、すれ違いざまに腕を切り裂いた。
妲己ほどの技量はないが、フィルだって帝国兵の平均以上に剣を使える。それに九尾の力で強化された身体能力もある。警備兵程度では相手になるはずもない。
「こいつは…!」
たかが奴隷の小娘と侮った隙に、たちまち3人を倒され、警備兵たちも色めき立った。フィルたちを取り囲み、一斉に襲い掛かる。
狙いはフィルだけではなく、エナや子供たちも含まれていた。
「ひっ…!」
子供たちを庇って抱きかかえたエナの頭上に、刃が振り下ろされる。エナは殺されると感じて身を固くする。だがその瞬間、ガキィンと硬質な音が響き、誰かがエナの上に腕を差し出していた。
「リネア?」
一瞬わからなかった。その顔は柔らかな栗色の狐耳とふさふさの尻尾を持っていた狐人の娘。しかし、彼女の頭から伸びるのは黒い角、スカートから覗くのは赤褐色の鱗に覆われた太く長い尻尾。そして同じく赤褐色の鱗に覆われた腕が、振り下ろされた刃を受止めていた。
「エナ、みんな、大丈夫ですか?」
微笑む顔は変わらない。ただ、その姿は竜人とでも言うべきものに変わっていた。リネアが無造作に腕を振るうと、警備兵が数人まとめて弾き飛ばされた。後ろから襲い掛かってきた兵は、強靭な尻尾で打ち据えられる。
「さぁ、早くフィル様に続いてください。後ろは私が守ります」
数歩先ではフィルが剣を振るっている。エナは小さく頷いて立ち上がった。
「ありがとう!」
エナは一番幼い子を抱き上げ、次に幼い子の手を握る。
「エナ!こっちへ!」
フィルが叫ぶ。目の前の警備兵の側頭部を剣の腹で殴って昏倒させ、通路の先、正面玄関へと道を開く。
「はいっ!」
小走りに駆け出したエナたちの姿を見て、フィルも走り出す。リネアはその場に残り、追おうとする警備兵たちの前に立ちはだかった。
バンッと扉を開けて、フィルは本館から練兵場へと飛び出した。そこには豪華な馬車が止まっている。居並ぶ者たちの中に良く知る女性の顔を見つけ、フィルは目の前にいた警備兵を後ろから殴り倒し、数段の階段を跳び下りた。
「賊か?!」
振り返ったのは、金の組紐で飾られたマントをまとう男。こいつが警備隊長だとフィルは当たりを付ける。
「エリン!その男を捕らえて!」
「はっ!」
躊躇なく動いたエリンが、警備隊長の腕を捻り上げ、その場に組み敷いた。
「なっ…!」
警備隊長と話していたらしいローブ姿の男が、目を見開く。
「離せ!何をするか!…副隊長、この女と奴隷どもを早く取り押さえろ!」
エリンに組み敷かれている警備隊長がわめく。
「奴隷たちを取り押さえろ!」
警備隊の副隊長と思しき男が叫び、周囲の警備兵がフィルとエナたちを取り囲んだ。
「止めろ!この無礼者ども!」
響いた声に、その場にいた全員が動きを止める。馬車から降りて来た男は、ゆっくりとフィルの前に進み出て、その前に跪いた。
「お久しぶりです。フィル様」
「久しぶりね。グラム…ここまで来てくれて、ありがとう」
それは、領都イスリースにるはずの総督代行、グラムだった。グラムは、エリンが届けたフィルからの手紙を読むなり、自ら馬を走らせてエリンと共にエンケラにやってきたのだ。
「グラム様、これは一体…」
「フィル、この人たちは…」
ローブ姿の男、エンケラ代官ラナス・ベルナートと、フィルの後ろに庇われているエナの声が重なる。
「騙してごめんね。…わたし、本当は魔族じゃないの」
フィルは、狐耳と尻尾を消してエナを振り返った。
「何を言ってるの?…フィル…?」
耳と尻尾がなくなったフィルの姿を凝視しながら、エナはうわごとのように呟いた。
グラムは、フィルに一礼して立ち上がり、大きな声で告げた。
「こちらにおわすは、サエイレム属州総督、フィル・ユリス・エルフォリア様である。皆、控えよ!」
その場が一瞬にして静まり返り、しばらくして、その場にいた警備隊の兵たち、ラナス、彼に従う役人たち、その場の全員が平伏した。
「え?え?」
全く状況が呑み込めていないエナと子供たちは、ただただ慌てふためいていた。
「エナ、みんな、落ち着いて下さい」
建物の中の兵たちを片付けたリネアが、エナたちに駆け寄った。その姿はすでに竜人から狐人に戻っており、不安そうに涙ぐんでいる子供達の頭を撫でてやる。
「リネア、これはどういうこと?…総督って、確かこの領地で一番、偉い人なんじゃ…」
「はい。フィル様が、その総督様なんですよ」
にこりと笑ってリネアは答える。
「ほ、ほんとうに?リネアはそれを知っていたの?」
「ごめんなさい。私はフィル様の妹じゃなくて、フィル様の側付侍女なんです」
「…じゃ、本当に…!」
エナは、慌ててその場に身を伏せた。子供たちもエナの真似をして膝と手のひらを地面に付ける。
「やめて。エナ」
フィルはエナの肩に手を掛けて顔を上げさせる。
「でも、あの…フィル…すいません、総督様」
「いいよ。フィルで」
「そ、そんなこと…」
「いいから。…ね?」
「じゃぁ、あの…フィル様」
「うん。みんなも、今までどおりでいいからね」
「はーい!」
子供たちは、気にした様子もなく元気に返事をし、フィルは嬉しそうに笑う。エナも苦笑を浮べながらホッと息をついた。
次回予定「断罪、そして…」
警備隊による奴隷売買を暴いたフィル。その頃、村に残ったパエラとメリシャは…。




