牢の中の子供たち
自ら奴隷を装った、フィルとリネア。その連れていかれた先は…?
フィルたちを乗せた馬車はレントで馬車馬を交換し、そのまま出発した。本来ならレントで一泊するところだが、もちろんフィルの指示だ。
奴隷商と2人の傭兵を3交代で御者に付かせ、夜を徹して街道を進ませる。馬が疲労したら途中の村や町で新しく馬を買い、交換させた。
フィルとリネアは、その気になれば食事を取る必要も、眠る必要もないので、奴隷商達に逃げる術はない。そうして魔族の村を出た翌日の夕刻前に、馬車はエンケラに到着した。
アニアが売られていたのがエンケラの奴隷市場だったため、おそらく行先はエンケラだろうと想像はしていたが、問題はここから先、街の中のどこに連れて行かれるかだ。
街に入る前に、フィルは自分たちに首輪を着けて手を縛らせ、檻の方に入って奴隷を装う。奴隷商には自分達をそのまま雇い主に引き渡せと命じておいた。そうすれば今回だけは見逃してやる、と。
馬車は、奴隷市場がある方へは向かわず、町外れにある広い敷地を持つ建物へと到着した。
止まった馬車から降ろされたフィルとリネアは、待っていた男たちに引き渡される。奴隷商と傭兵は、ちらちらとフィルたちの様子を見ていたが、報酬と思われる革袋を受け取ると、逃げるように去って行った。
入ってきた門の内側は、塀に囲まれた広い草地、その奥に2階建ての横に長い建物があった。
貴族の屋敷ほどの大きさだが、貴族の屋敷のような装飾はない。個人の邸宅ではなく、役所など公共の建物のような感じがある。
待っていた男たちは防具こそ着けてないが、揃いの服装に身を包み、腰に剣を下げていた。
「警備隊か…!」
フィルは苦々しげにつぶやいた。警備隊とは、領内の治安維持や犯罪の取り締まりを行う警察組織だ。
サエイレム以外に大きな都市のないサエイレム属州では、サエイレム市街は衛兵がその役割を担い、領内全体は第二軍団が巡回警備を行っている。だが、人口も多く領都以外にも複数の都市を抱えるベナトリアでは、属州軍とは別に警備隊が組織され、各地方の中心都市を拠点に近隣の村や町、街道の警備を行っていた。属州軍が総督や総督代行の直轄なのに対し、警備隊は各都市の代官の指揮下にある。
領内を警備する警備隊がグルなら、魔族の村を秘匿することもできただろう。仮にどこかから魔族の村の情報が漏れたとしても、情報を握りつぶすなり、現地を調査したがそんな村は無かったと上に報告すれば良いのだから。
数人の警備兵に囲まれたフィルとリネアは、警備隊の建物内へと連行され、そのまま裏手にある牢に入れられた。本来は犯罪者を入れるためのものを、奴隷の隠し場所に使っているのだ。
牢の中には部屋の隅に固まるようにして、数人の魔族の子供たちがいた。10代前半くらいの少女が1人と、あとはシアやテオと同じくらいの子ばかりだ。
フィルとリネアは、手を縛っていたロープだけ解かれ、乱暴に背中を押されて牢の中に入れられた。後ろでガチャリと扉が閉まり、鎖をかける音がした。
「…警備隊が、こんなことをやっていたとはね」
呆れたような表情で、フィルは閉まった扉を見つめた。
だが、そうなると単純に潰して終わりという訳にはいかない。警備隊だけの仕業なのか、警備隊を指揮下に置く代官もグルなのか、確かめる必要がある。
これまでにフィルに上がっている報告からすると、ここの代官であるラナスが関与している可能性は薄いように思うが、人間に対しては真っ当な領主でも、魔族に対しても同様なのかは疑問が残る。
「フィル様、どうなさいますか?」
リネアは、奥で固まってこちらを見ている奴隷の子たちが気になる様子だ。
「そうだね。まずはこの子達に話を聞いてみようか」
フィルとリネアは頷き合い、牢の子たちに話しかけた。
「こんにちわ」
フィルの声にピクリと身を震わせ、警戒の視線で見つめている。奴隷として捕まり牢に入れられたというのに、あまりにも平然としているのが不審がられたらしい。
「あ、あなたも奴隷に出されたの?」
意を決したように、一番年上と思われる狼人の少女が立ち上がり、フィルに尋ねた。
「そうよ。わたしはフィル、この子は妹のリネア」
フィルの紹介に合わせて、リネアも軽く頭を下げる。
「あたいはエナ」
エナは頭を下げつつ上目遣いにフィルたちを見つめる。
「エナ、話を聞きたいんだけどいいかな?…とりあえず、座ろうよ」
緊張させないように、砕けた口調に変えてフィルは言う。フィルとリネアが床に座ると、エナも大人しくその場に腰を降ろした。
「何を聞きたいの?」
「あなたたちがどこから連れてこられたのか、教えてくれる?」
エナの表情が強張る。エナはフィルたちを知らない。魔族同士…ではあるが、帝国内に魔族の村があることは、知られてはならないと思った。
「レントの北西にある森の向こう、ルブエルズ山脈の山麓にある魔族の村、違う?」
フィルの指摘に、エナは大きく目を見開き、フィルに詰め寄った。
「どうしてそれを!」
自分を睨むエナに、フィルは微笑む。
「心配しなくていいわ。わたしとリネアは、そこから連れてこられたんだから。連中はわたし達も村の子だと思っている。…村長のドルグさんに、わたし達を奴隷として差し出すように提案したの」
「どうしてそんなことを…」
半信半疑のエナに、フィルはこれまでの出来事を話した。
自分達はサエイレムから来たこと。旅の途中でシアとテオ、アニアを助けて、村まで送り届けたこと。魔族を奴隷として連れ去っている連中の正体を暴くために、奴隷の振りをしてここまで来たこと。
これから、警備隊の悪事を暴いて、エナたちを助けるつもりであること。
エナは絶句した。何を言っているんだと思った。だって、ここは帝国だ。狐人の娘2人で何ができる。…今だって、奴隷の首輪を嵌められて牢に捕らえられているじゃないか。
「そんなことできるわけないって思ってるでしょ?」
「あ、当たり前でしょう!」
フィルは、スッと自分の首輪に手を添えた。バキリと音がして、ふたつに千切れた首輪が床に落ちる。
「え?」
「リネアも外したら?」
「そうですね」
リネアも自分の首輪を掴む。少し力を込めると金属製の首輪が呆気なく砕けた。
「えぇっ?!」
エナは唖然とする。後ろの子供たちの中には、怯えている子もいる。
フィルはエナの首輪に手を伸ばし、その首輪も軽く砕いた。もちろん、エナには傷一つ付けていない。
「みんな、安心して。みんな助ける。必ず家に帰してあげる。だから、怖がらないで」
「帰れるの?奴隷にならなくていいの?」
首輪の外れた首を撫でながら、エナはフィルを見つめる。まだ半信半疑だが、フィルとリネアがただの狐人でないのはわかった。
「もちろん。…みんなの首輪も外してあげるから、こっちにおいで」
近くにいた10歳くらいの狐人の男の子が、おずおずとフィルに近寄ってきた。
「じっとててね」
フィルは、その子の首輪に手を添え、痛くないように、なるべく小さな力で砕く。
ぎゅっと目をつぶっていた男の子は、首が軽くなったのに気が付いて、自分の首に手をやり、そして、ありがとう、とぺこりと頭を下げた。
「どういたしまして。首輪、痛かったよね。よく我慢したね」
フィルが男の子の頭を撫でてやると、男の子の目にじわりと涙が盛り上がる。
「泣かないの。男の子でしょ?」
男の子を抱き締めてやる。それを見ていた周りの子達も、次々とフィルとリネアの周りに集まってきた。
全員の首輪を外すまでに大した時間はかからなかった。中には、無理矢理引きずられるか何かしたのか、首に傷を負っている子もいたので、フィルが治癒を施した。
牢にいた子はエナを含めて6人。話を聞くと、やはり全員がアニアたちと同じ村の子たちだった。ここから奴隷市場に連れ出され、売れなかったらまたここに戻されるという生活を続けているようだ。
だが、エナがここに連れて来られてから、3人ほど売られてしまったという。今は貴重な若い魔族の奴隷に、買ってすぐに死なせるような扱いはしないと思うが…早くその子たちの行方も探さなくては…。
「フィル、リネア、これからどうするの?」
向かい合って座るエナの質問に、フィルは、んー、と小さく唸ってから答えた。
「まずは、休もうか」
「え?」
「今日はもう遅いじゃない。一晩休んで、行動は明日かな」
フィル達がエンケラに着いたのが夕刻前。そして今は夜も遅い時間だ。小さい子の中には、眠気に逆らえず半眼になっている子もいる。
「わたし達が見張っておくから、今夜はゆっくり寝なさい」
「フィルたちは、その…疲れてないの?」
心配そうに言うエナに、フィルは苦笑する。
「わたし達は、ちょっと特別でね。寝なくても平気なの。だから、エナたちは心配せずに寝ていいよ」
「そう、なんだ…」
フィルとリネアが見た目通りの存在ではないのはわかる。エナは難しく考えず、そのまま納得することにした。フィルは自分達を助けると言ってくれた。ならそれを信じるだけだと。どのみち、他に頼れるものはないのだから。
「ありがとう。…おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
エナは他の子達と一緒にボロボロの毛布にくるまり、目を閉じた。
次回予定「形勢逆転」
奴隷の子供たちと一緒に牢に捕らわれたフィルとリネア。…反撃の機会を伺います。




